第3話 雨とプールと豚モダン焼き
「結城さんを指名でお願いします」そう言えるシステムがあればよかったのに。オレの前には知らない女性店員がいて、胸には研修生のバッジをしている。
最近はたまたま結城さんが続いていたが、休みかもしくは遅番だったのだろう。そんな日もあるさ。
でも契約社員になったというし、もしかして別の支店に転勤? やめやめ、それは考えてもしかたない。
その日は家に帰ってからもなにもする気が起こらなかったので八時に寝た。
そんなことが三連続で続いた。
神様が『あの子はやめとけ』と忠告しているように感じた。正直少し疲れた。面倒くさくなってきた。愛が憎しみに変わるとはよくいうけれど、あながち嘘でもないみたいだ。
もしかしてオレは、彼女が店を辞めたことも知らずに、忠犬ハチ公のように『でんぐり返し』に通っている状態なのではないか?
結城さんとささいな会話をしていた時が、貴重なチャンスで、オレはみすみすそれを逃していたのかもしれない。
次に彼女に会ったときは、絶対に彼氏がいるかどうかを確認する。そしていないことがわかれば電話番号を聞く。そうやってハッピーになるのだ。
オレはバイト中、どうやって彼女の電話番号を聞き出すかを頭の中でシミュレーションしていた。
そうやってオレの夏は終わった。
※
「お客さん本当にイカなくていいの?」
「うん、もう今日は無理やわ。もともとフェラチオでイクことって滅多にないもん」
暗い店内にミラーボール。オレはネグリジェ姿の女にオシボリでペニスを拭いてもらっていた。そう、オレは池袋のピンサロに来ていたのだ。唐突な展開に読者も戸惑っていることだろう。好きな子がいながら、なぜに風俗店にきているかと思うことだろう。弁解させてもらうと、これは取材のためなんだ。小説の取材。
このときオレは初の長編小説『東京アニモー』を書いているところだった。そして物語のクライマックス、主人公が好きな女の子の働いているピンサロに行くシーンで筆が止まっていた。オレはできるだけ自分の目で見たもの、感じたことしか書かないタイプの人間だ。だからピンサロに行く必要があったというわけだ。
地下のピンサロ店から階段を上がって外に出ると、相変わらず雨が降っていた。雨は店に入る前より強くなっている。
よし! じゃあこれからついでに『でんぐり返し』に寄っていくか……オレは自分に強く言い聞かせた。
あくまでも『ついでに』その自然体が重要なんだぜ。
少し肩の力をぬいたほうが物事は上手くいくような気がする。友達に頼まれてタレントのオーディションに仕方なくついていったら受かってしまったというやつだ。ピンサロに行った『ついで』にお好み焼き屋に寄ったら店員さんとつきあうことになってしまった。世の中にはそんなこともあるだろう。
今日の最重要ミッションは風俗店の取材であり、結城さんに会うのは『ついで』なのだ。リラックスしろ。チャラい感じでいくのだ。必死なところを見せるなよ、女性は引いてしまうからな。と、必死に自己暗示をかけている矛盾。けして冷静とは言えなかった。
※
雨は強くなっている。ジーンズの裾が濡れていく。水たまりに注意をしながら、オレは頭の中で入念なシミュレーションをしてみた。
「もう夏も終わってしまったね。この夏はどっかに行った? 海とか花火とか?」
「それが行ってないんです」
「え? 彼氏はどこにも連れてってくれないの?」
「彼氏は今いないんですよぉ、五月に別れちゃって」
「あぁ、そうなんだ……でも結城さんってば可愛いから、よく客からナンパされるでしょ?」
「ええ~、そんなことないですよ(笑)」
「マジで? みんな見る目がないなぁ。あのさ、もしよかったら今度デートしようよ」
チャラすぎず、かつ自然にさそえているではないか。これが理想の展開だ。
じゃあ、もし海とか花火に行ったという答えが帰ってきた場合はどうする?
「へぇ、海に行ったんや、どこの海? それは友達? 彼氏と?」続きは以下同文。基本的にこの流れに沿ってやればいい。欲を出して変なアドリブを入れたりするなよ。お前はアドリブの苦手な男だ。とんちんかんなことを言わないように気をつけろよ。
そんなことを考えながら歩いていると、あっという間に『でんぐり返し』の前に着いた。
※
店に入る前にトイレに入った。この界隈の地下飲食街は店の外に共同トイレがある。
男前に見える角度で鏡を見つめ、髪を手グシで整えた。その後に小便器の前に立つ。自分のペニスを見つめながらオレはふと思った。そういえばピンサロ店では射精しなかった。いわば蛇の生殺し状態。この際、個室の中で抜いてしまおうか? 一発抜いて性欲をリセットしたほうが、彼女の前で紳士然とした態度がとれるのではないか? いや、ここで賢者モードになるのは得策ではない。やはり根底に性欲を残しておいたほうが、彼女にたいしての情熱を瞬間爆発させることができるはず。
もし結城さんが不在だったら、それはそれで安心できる。でもそんなのは結局、物事を先延ばしにするだけだ。
オレは平静を装い、少し湿った髪をかきあげながら店内に入った。
「いらっしゃいませぇ! あ? おひさしぶりです!」
笑顔の結城さんがオレをテーブルに誘導する。オレは覚悟を決めた。
「今日はなんになさいます?」
彼女がすぐにメニューと水を持ってくる。普段なら『お決まりになったらお呼びください』と、いったん立ち去るものだが、店内に客が少なくてヒマなのか、親密度が上がったせいなのか、オレの脇に突っ立っている。
うぅ、嬉しいけど正直なところ選び辛い。
「んと、どれにしよ。じゃあ豚モダン焼きで」
やはりここは、結城さんと話すきっかけになった豚モダン焼きで。すべての始まり、豚モダンで。
「はい、豚モダンですね! 以上でよろしいですか?」
彼女が厨房にむかっていく。いつものオレならバッグから文庫本を出すところだが、とても本なんか読む気になれなかった。
そうだ、もしかしたら彼女から電話番号を聞くことになるかもしれない。当時のオレはガラケーの待受画面を『モー娘の高橋愛』にしていたが、これを見られるとまずいので、初期設定の『大きな葉っぱにてんとう虫』という無難な画像に入れ換えた。
結城さんがもどってきた。オレは水を半分、くいっと飲んだ。
そしてもちろん、いつもどおりに具材を混ぜてもらう。ここからが本番だ、落ちつけオレ。脳内リハーサルと同じようにやれば大丈夫だから。
「外さぁ、雨すごいよぉ、夏ももう終わってしまったね。悲しいわぁ。海とか花火とか行った?」
話のとっかかりはこんな感じで。まずまずの自然体。
「花火は行ってないですねぇ、海じゃないですけどプールになら行きましたよ」
「へぇ、どこのプール?」
「としまえんです」
「それは彼氏と?」
「えぇ、そうです」
ゲームオーバー。彼氏おった。茫然自失。
あとねぇ、箱根のほうに旅行に行ったりとかいろいろと楽しかったですよ。
そんなことまで聞いてない、聞きたくない。やはりここはキャバクラとは違うのだ。彼氏? そんなのいないですよ、なんて気のきいた返答はしてくれなかった。そんなの当たり前じゃないか。
ふと我にかえり、硬直している自分に気がついた。やばい。なんでもいいから話すんだ。
「あ、そや。知ってる? 宇多田ヒカルが結婚するらしいで。昼のニュースでやってた」
「へぇ、そうなんですか。宇多田ヒカルがですか」
彼女はあまり興味がなさそうだ。
「最新ニュースやで」
「ありがとうございます」彼女は微笑した。「あっ! なんか形が悪いですね、すいません」
鉄板の上のお好み焼きは円形というよりも、むしろアメーバのような不格好な形になっていた。
「いやぁ、こういうのも愛敬愛敬!」
オレはオーバーに笑顔を作った。
彼女が立ち去ってから、流れ落ちる砂時計を見ていた。退屈だとは思わなかった。片面焼き終わり、両手にヘラを持ち、お好み焼きをひっくり返す。上手くいかなかった。端の部分が少し潰れた。
店を出て、地上に上がると雨はさらに強くなっていた。もはや豪雨といっていいレベルの雨だ。
こんなときに、どしゃ降りの雨だなんて。なんて安っぽい演出だ。オレの心象を具現化しているつもりか。革のバッグを頭にかかげて走るサラリーマンがとてもコミカルに見える。なんだか現実味がなかった。右手に傘、左手に携帯電話を持ち、オレは寺島に報告した。
「そっか、彼氏いたんや。でももしかしたら別れるかもしらんから、今までどおりにその店には通ったら?」
雨がうるさくてよく聞きとれない。そう言って、オレは電話を切った。
傘が小さい。雨が右腕をちくちくと刺し、かゆかった。
家に着いて、オレはすぐに服を脱いだ。
ズボンに入れていた財布まで濡れていた。財布の中に入れていた結城さんの名刺はほんのり湿っていた。でんぐり返しをよろしくお願いします。彼女の黒い字がわずかに滲んでいる。オレは、哀しかった。なんとなくピンクの蛍光ペンで上からなぞってみた。するとまるでキャバクラで渡される名刺みたいになった。
女性店員とつきあう方法 大和ヌレガミ @mafmof5656
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