父親の自殺

 10月7日のことである。

 鮎川哲也賞の応募原稿、「墓石亭の殺人」を書き進めていた僕は、その日の夜にツイッターを眺めていた。


 夜8時過ぎに電話が鳴って、一階の母が出た。この時間に営業の電話がかかってくることは少ない。知り合いだろうか。


 やがて母が早足で僕の部屋にやってきた。ちょうど弟もいた。

 母は言った。


「お父さん、自殺したって」


 えっ――という以外に反応できなかった。

 2013年のところでも書いたが(https://kakuyomu.jp/works/1177354054885367506/episodes/1177354054885538798)、両親は僕が小学校低学年の時にもう離婚している。ほとんど父親の記憶はない。父方の祖父が病没し、挨拶に行った時に一度顔を合わせたきりだった。その挨拶からしばらくして、父は二度目の蒸発をした。誰も行方を知らない状態だった父が、死体で発見された。


 2013年のページを書いた時は、まだ父のやらかした所業をよく知らなかった。このとき初めて、母からいろんなことを教えてもらった。

 会社の金に手をつけて首になったこと。首になったことを家族に黙って、会社に行くふりをしてパチンコを打ちに行っていたこと。すべてがバレたら夜逃げしたこと。逃げた先から、母に「金を貸してくれ」と頼んでいたこと。僕と弟の養育費は一切出してくれなかったこと。

 ざっくり切り出しただけでもこれくらいある。


 そんな父が死んだ。

 あまりにも唐突すぎる話だった。

 実質他人のような存在とはいえ、僕の体には父の血が流れている。物理的には離れているのに、どうしようもなく近しい存在でもあった。


 事情が事情なので葬儀はしない。荼毘に付すだけにする。それが、父方の家の決断だった。実家と書かないのは父が養子だからなのだが、この家族関係はあまりに複雑なので割愛する。


 母は火葬に立ち会うことになった。

 僕はどうするか。

 かなり迷った。僕はありえないくらい涙もろいので、たとえ関係なくとも斎場に行ったら泣いてしまうかもしれない。それは嫌だった。しかし、逃げ続けて孤独に死んでいった父を見送ってやりたいという気持ちも生まれた。


 僕は、母と一緒に行くことにした。

 電話から二日後、指定された時間に斎場へ向かった。

 8年ぶりの対面で、向こうはもう冷たくなっている。死に顔を見るのは怖かった。


 しかし斎場に着くと、父の親戚(説明が大変なのでとりあえずこう呼ぶ)が現れ、予定より早く火葬を始めてしまったという。


 じゃあ、もう永遠に父の顔を見ることはできないのか。体が重くなった。


 火葬が終わるまで、親戚の方と話した。警察署に出向いたのもこの人だった。父方の祖母は足が悪く、養子である父の血縁者は僕ら兄弟を除いて全員この世におらず、来たのはこの人だけ。僕と母が来なかったら、すべて一人で手続きを終わらせるつもりだったという。


 その人の話によると、父が発見されたのは、僕が小さい頃よく通った国道近くの林の中だったという。道沿いに不審な車が三日ほど放置されている、と地元住民から警察に通報があり、やってきた警察によって首を吊った父が見つかったそうだ。


 泣くのを覚悟してやってきたが、僕が襲われたのは強烈な虚無感だった。

「ぽっかり心に穴が開く」という表現があるが、その時の僕の心情はまさにそんな感じだった。


 悲しみは感じなかった。もう思い出すことすらない人だったのだ。ただむなしいだけだった。

 あまりに空虚だったので、この感情を文字に起こせば私小説が書けるような気がする、とさえ思った。


 やがて斎場のスタッフが現れ、移動するように言われた。

 僕は斎場の奥で、骨だけになった父と対面した。

 母と、父の親戚の方と三人でお骨上げをした。炉から出てきたばかりの台車(?)はものすごく熱くて、手が焼けつきそうだった。


 骨箱に骨が収まると、手続きは終了となった。


 あとは親戚の方に骨箱を渡すだけだったが、なんとなく、

「車まで僕に持たせてください」

 とお願いした。そんな気分になったとしか言いようがない。

 斎場を出る時、親戚の方が、「息子に送ってもらえてよかったな」とつぶやいたのが印象に残った。


 骨箱を渡すと、親戚の方は先に斎場を出ていった。僕と母も家に帰った。

 弟が仕事でいなかった日のことだ。物心つく前に消えた父は、弟にとって完全な他人だった。だから、死んだと言われてもよくわからないとこぼしていた。


     †


 僕は、膨れ上がった虚無と戦わなければならなかった。

 祖母の介護から解放され、あれだけ満ちていた気力がすべて抜け落ちた。

 1週間くらい、何もやる気が起きなかった。仕事中もぼーっとして過ごしていたように思う。


 気がついたら、鮎川哲也賞の締め切りまで10日を切っていた。


 書きかけの、「墓石亭の殺人」はどうする。

 ファイルを開いてみるが、気持ちが空転し、手は進まなかった。

 せっかく、二回目の鮎川哲也賞に参加できると思ったのに。


 さらに三日くらい経過した頃、ようやく気持ちに整理がついてきた。

 だが、もう「墓石亭の殺人」は確実に間に合わない。

 それでも鮎川哲也賞に応募したかった僕は、これまでの手法を使うことにした。改稿応募である。


 手持ちの原稿の中では、江戸川乱歩賞に応募した「嗤うケルベロス」がもっとも本格ミステリ度の高い作品だと思った。

 本文を読み返し、気になるところを直した。また、解決編で明かしておくべき事実をいくつか書き落としていたことに気づいた。この影響で解決編が10枚くらい増えた。


 解決編の追加した部分で「角砂糖」というワードを出したらかなりしっくり来たので、改題することにした。「角砂糖で冥獣は飼えない」。

 冥獣はケルベロスのままでもよかったが、もし一次を通った時、タイトルを見た新人賞マニアに「あいつ乱歩賞のやつ使い回してるじゃん」と思われたら嫌だなあ……と思ったので小手先の加工ではあるがいじっておいた。


 こうして10月下旬に原稿を送り出した。

 改稿応募なのにそれだけでひどく疲れてしまい、またしばらく動けなくなった。

 身近でなくとも、いい人でなかったとしても、親が自殺するということは大変なことだ。

 僕は、中学校でいじめに遭っていた頃、「自殺だけは考えちゃ駄目だ。本当に実行したくなる」と自分に言い聞かせていた。

 祖母の介護をしている時は、「自分の方が先に死にたい……」と弱気になっていた。

 そのたびに踏みとどまってきた。

 なのに、そのラインを越えていってしまった父親。

 最期の時まで一体どういう生活をしていたのか。どうやって食いつないでいたのか。知る術はない。

 父と撮った写真は残されていないから、僕はもう父の顔を思い出すことができない。他人のような父親が、こうして僕の人生から消えていった。

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