蒸発した父親に再会した

 物心ついた頃にはもう父親はいなかった。


 うっすら覚えているのは、玄関で高い高いをしてもらったことと、一緒に風呂に入った時、スロット柄のトランクスを穿いていたことくらいだ。


 いまだに母親から正確な話は聞かされていない。


 友人の借金の連帯保証人になったら相手に逃げられてどうにもならなくなった……とかいう話だが、細部は知らない。ただ、そのせいで母が大変な苦労を強いられたことだけは間違いなかった。


 僕はまだ幼すぎて、父親に対して特になんの感情も抱かなかった。それは今も変わらない。


 その父親に再会したのがこの年の、9月のことだった。


 父方の祖父が病気で亡くなったのだ。


 母は父親が消えたあと、いわゆる嫁いびりというやつに遭って、僕らを連れて実家へ戻った。


 あの家から、久方ぶりに連絡があった。


 父が、祖父に会いに戻ってきたらしい。


 父方の祖母は、どうか顔を見せにきてくれないかという。あれから時間も経っていたこともあってか、母は「行きます」と返事をした。


 僕と弟もついていった。


 父の顔は写真でしか見たことがない。サングラスをかけているものが多くて素顔のイメージがまったく浮かんでこなかった。


 実際に会ってみたら、なんとも気弱そうな顔をしていた。


 ――あー、父親だわこれ。


 そんな感想を持った。情けない顔つきがどうしようもなく自分に似ていた。


 父、祖母と僕達は座敷で向かい合った。

 母と父はなんともぎこちない会話をした。僕と弟は訊かれたことに返事をしただけで、自分からは一切話さなかった。


 向き合った時間は短く、祖父に線香を上げると、すぐ帰ることにした。


「まあ……元気で」


 最後にそんな言葉をかけられて、僕は「はい」と返事をした。


 第三者が見たら他人同士にしか思えない、冷めたやりとりだった。


 他人に会った気分にしかならなかった。家族を放って逃げやがって、とか、そういう怒りもまったく起きなかった。あれがお父さんなんだーくらいの感想しか出てこなかった。


 帰ったらちょうど、日本ミステリー文学大賞新人賞の最終候補作と一次通過作が、ミステリー文学資料館のサイトで発表されていた。


 僕の名前はどこにもなかった。


 それから二週間ほどして、また父が姿を消してしまったと、父方の祖母から連絡があった。「ふーん」としか思えなかった。

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