ミネとアバロス
「くそっ」
ミネは悪態を吐き、白い砂漠を疾走していた。分厚い毛皮に覆われた手足と異なり、その胴体は薄っぺらい布切れで包まれている。薄く長い、兎のような耳は螺旋状に捻じ曲げられ、その視線を追いかける。
後方では、船のような物体がミネを追いかけていた。白い空を背景に、純白のパラボラ船は衝角に光を集めながら距離を詰めていく。
「遠いッ!!」
視界の端に岩魚の群れを捉え、ミネは舌打ちをする。砂塵を巻き上げながら群れへ方向転換するが、パラボラ船は帆をパラボナアンテナのように展開し、急速に衝角へ蓄える光量を増す。
ミネは姿勢を低くし、両手と両耳も使い走り出した。
光は轟音を響かせる。ミネの耳が音を拾うことはないものの、肉体は振動し、砂漠は砂粒を躍らせる。
「たん、たん、たんっ!」
不意に訪れた二度の、極短波の振動に合わせて口ずさみ、三度目で左へ跳躍した。その刹那に衝撃波が放たれ、四肢の右側が吹き飛ばされる。残った左手左足で。転がる体を持ち上げて体制を立て直すと、両耳も使い再び逃げる。
岩魚の群れも勘付いたのか、船から遠ざかるような進路を取っていた。しかし、ミネとの距離は狭まりつつある。
「群れの先頭は・・・あいつか!」
極短波の振動が再度響く。今度は間隔が短い。ミネはタイミングを合わせて上に跳んだ。左足首は吹き飛んだが、勢いそのまま岩魚の群れへ突入した。
一匹の岩魚を目で捉え、手で掴む。発達したガラス質の鱗によって、トゲトゲしい見た目になった個体だ。岩魚は手の中で回転を始め、手の肉を裂き、骨を削ろうとする。後ろに続く岩魚たちはミネの背中に追突し、肉を抉りだした。
それらに構わず、握り込んだ岩魚をパラボラ船へ投げた。岩魚の群れは先頭を追い、パラボラ船はより近い標的を狙う。
先頭に向けて方向転換した岩魚は、進む先にいた存在を目の前にして方々に散る。それを追いかけるパラボラ船も遠ざかっていった。
「はあ、はああーー」
気の抜けた声をあげ、砂漠に身を投げ出す。七つ目の太陽は気持ち悪い笑みを浮かべながら見つめている。
「両耳は健在、四肢は半壊、頭は無事。・・・タイミング合ってたろ、なんで避けれないんだよ、どうしろってんだ」
耳で傷口を塞ぎ、ぶつくさと文句を言い、七つ目の太陽から顔を背ける。小さな振動が砂を伝っている。断続的に、だんだんと大きくなってくる。パラボラ船のではない。
直後、ミネは砂と共に落下する。それは、大きな生き物の口で作られた落とし穴だった。今回は自ら獲物を捕まえに来た形だが。
「あーよかった」
にんまりと笑う七つ目の太陽を睨みつけながら。
砂の中から大きな生き物が暴れながら飛び出た。内出血を起こしているのか、表皮には点々と青い痣がついている。のた打ち回るそれは、やがて力無く倒れた。ぬらりと光る粘液にまみれたミネの頭が、分厚い皮を突き破って現れた。
「あれ、こっちは外側か」
半ばまで再生した四肢を体液で濡れた肉に埋め、かき混ぜるように撫でまわす。微細な繊維で区分けされた肉は粘土のように割かれ、四肢に張り付いたものは蠢きながら吸い込まれていく。
皮のない腕を耳で折り曲げ、ミネは肉で包まれた骨を引っ張り上げる。掌に押し付けられた骨はその長さを失っていき、綺麗に無くなってしまう。
「骨も肉も皮も、これ以上のものは望めないか」
再生しきった自分の腕を引きちぎり、痛みに眉を顰めた。腕を元の位置に押し当てると、傷口の肉が徐に蠢き、自らを縫合していく。
「俺以上の誰かを真似るにしたって、肉片は取れないからな。どこか別の場所にいくしかないか」
深いため息をつき、片目を覆い隠す。10秒程の時間をおいて指の隙間から瞳を晒す。
「大量の水、軟弱な草、飛び跳ねる貧相な生き物。砂から水になっただけか」
眼窩の目玉をくり抜き、放り投げる。
「・・・見ただけで分かるなら、死に怯えないか」
七つ目の太陽はその言葉に笑みを浮かべ、太陽を見たミネは今見た方向とは全く別のほうへ走り出した。太陽の微笑みは、全てに嫌悪されている。
七つ目の太陽は悲しみの表情を象り、目と口をひん曲げる。曲げすぎたそれは輪となり、瞳が激しく回り始めた。
白い空は水色に変わり、白い砂は紫色の土で覆われる。乱立する植物の表皮は軟く、生い茂る葉は惜しげもなくその水分を蒸散させる。死の拒絶によって組み上げられた砂漠とは対照的に、生への貪欲さが優位であった。この領域では増殖の速度が重視されているようだ。減る以上に、増える数が大きければ種は保全される。そしてそれは、ミネにとっては価値がない。個体としての強靭さは増殖の枷になる。
手当たり次第に捕食を繰り返すミネは、取り込んだ生物に対して失意を感じていたが、しかし希望を捨ててはいなかった。湯水のように沸く被食者を食い尽くす捕食者も必ず存在する。
体に噛みつき、あるいは這い上がる雑多な生物を吸ながら、ミネは確信に近い予感を胸に抱いていた。
「おい、大丈夫か」
その時、どこからともなく声をかけられた。七つ目の太陽が声の主に気付くよりも早く、ミネは直立する生物に視線を向ける。白と黒、灰色の斑模様の服を纏った男。商人のアバロス。白い肌は、皮膚の内にある黒い血管を薄らと浮かべていた。
「喋った・・・?」
二足歩行をする生物の大半は、大抵コミュニケーションが可能だったりする。そもそも話をする必要のないミネにとってはなじみないものだ。
商人のアバロスは無警戒に近付き、手を伸ばそうとする。ミネと視線が合うと、その動きを止めた。
「なんだ、襲われていないのか」
そう言って、足早に距離を取ろうとした。ミネは片耳を突き出す。アバロスが反応するよりも早く、耳はその手を貫いた。安堵と失望の混じった、複雑な感情がミネの思考を覆う。反応が遅すぎる上、柔らかい。弱いのは良い、だが、消化して得るものは果たしてあるだろうか。
アバロスは貫かれた手を捻り、耳を切断する。ただ不快そうに、ミネを睨みつけた。
「言葉は分かるようだな。話をするつもりは?」
「話? 何を?」
ミネは訝しげに―その内は対照的に―、聞き返した。言葉を用いた話というものは貴重だ。脅威ではない相手なら、少し待ってみるのも良いだろう。逃げようとしたら殺せばいい。
「話ができるなら、争いは回避できる。私に戦う意思はない」
「お前は弱いからな」
「暴力だけで解決できるなら、君はここを訪れなかっただろう」
ミネは困惑した。言葉は言葉として理解できるが、その意味を把握できない。こいつは何が言いたい。逃げる素振りも見せず、どうして悠々と突っ立っていられる。
「君は弱い」
「なッ―!?」
目に見える疑問の表情を前に、アバロスは薄く笑い、応えた。ミネは狼狽え、右腕からは突然、黒紫色の棘が突き出す。空転する思考は鋭利な痛みを受け、反射的にミネの体を前へ走らせる。黒紫色の棘は大きくなってきているが、原因は明らかにアバロスだろう。弱者相手に後退する理由はない。
「巡りが良いな。耳から肉を食ったんだろう?」
アバロスはポケットの一つから黄色い球体を取り出し、迫りくるミネに向けて放る。ミネは耳で球体を叩くと破裂し、青白い粘液がまき散らされた。薄く、細く、大きく拡散する粘液は部分的に、その視界を奪い取る。アバロスはもう目の前だ。
何もかもが軟い。棘はこいつの血と同じ味がした。何か妙な性質を持ってるが、それだけだ。目が見えずとも、ここまで近付けばもう関係ない。
耳を硬化させ、地面を舐めるように振り回す。しかし、何かにぶつかる。
「君の言う通り私は弱い。だが、死ぬのは君だ」
両手で支えられた板に、耳をせき止められていた。僅かに振動する板は時間をかければ食い潰せそうだが、耳は二本ある。束になっていない二本だ。
「弱いお前に勝ち目はない!」
硬化された耳を、遠心力を乗せて振り被る。それよりも早く、アバロスは手元から針を放ち、膝を打ち抜いた。ミネはかくんと膝をつき、その場に座り込む。
「針? お前、そんな真似が、できないだろう! どうやって」
「私にはできない。道具にはできる。そしてこの道具は、まだ機能する」
打ち抜かれた膝は黒紫色の棘で溢れ、血と肉に深く身を埋めている。アバロスは手元の、簡素な銃を突きつけたまま、静かに続ける。
「私に争う意思はない。だから君を殺さない。抵抗するなら、話は別だが」
黒紫色の棘がミネの動きを抑止していた。今動けば死ぬ、それは否定できない。だが少しの時間があれば、忌々しい棘さえ肉体の一部にできれば、どうとでもなる。
今動かなければ、すぐ死ぬことはない。
「君がなんの目的でここに逃げて来たかは知らないが、もし強くなりたいなら――」
聞き流していたアバロスの”強さ”という言葉が、ミネの考えを吹き飛ばした。それは余す事無く表情となって顔に浮かび上がる。
「・・・”強く”なりたいなら、」
アバロスは口元に笑みを浮かべ、言葉を重ねる。銃を降ろし、ミネの顔を確認して。
「君は頭の使い方を学ぶべきだ。”強さ”は、肉体だけではない。周囲の、あらゆるものを利用することも、”強さ”だ。地形も、果実も、石も、あるいは、道具を」
身振り手振りを交えながら、何度も強調し、ゆっくりと近付く。
「まずは経験するといい。頭を使うこと、相手を観察すること。幸いにも、丁度良い相手がいる。強大な力を持つ、未熟な子供が」
その不穏な笑みをアバロスは隠さない。七つ目の太陽は同じように笑う。獲物を捕らえた時の顔。ミネは自らが置かれた状況に気付けない。まだ、自分の顔すらも見たことがない。
「・・・ホロを殺せ」
顔を近づけ、小さく呟いた。指し示した方向へミネは振り向き、駆け出そうとする。
「っ――私はここで待っている。なにすぐ終わるさ」
既に完治している膝に一瞬言葉を詰まらせ、ミネを見送った。
ミネの姿が見えなくなると、アバロスは不愉快そうに穴の開いた手を一瞥し、歩き出した。
「ロクラ! ロクラ戻ってこい! 弾が無いし怪我もした! 急げ!」
そう声を荒げると、遥か遠方にいる荷車を引いた4つ目の牛、ロクラは未練がましそうに回頭を始める。
「全く・・・あわよくばだが、まあすぐに死ぬだろうな」
回復力もそうだが、触れた部位から捕食できるのは厄介だ。無理矢理にでも首を掴まれていれば・・・しかしあいつは、自らの意思で勝利を手放した。
足りない頭で物を考えるからそうなる。その程度の知恵で、その程度の力で。
鉄格子を突き破る獣は、思考の檻でのみ閉じ込められる。ホロはバカであり・・・化物だ。
code-lusus @lusus
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