不老不死の薬

不老不死の薬

「この子、年をとらないみたい。」


 母がそう言った。


「もう二十歳なのに、見た目は小学生のままじゃないか。」


 父がそう言った。


「お兄ちゃん背伸びないね。」


 妹がそう言った。


「あの子、不老不死なんですって。」


 世間がそう言った。


「そうみたいだね。」


 僕はそう言うしかなかった。



 僕は年をとらなくなっていた。心当たりはある。あれは、小学校四年生のときだった。

 そろばん塾の帰り道だ。いつもの薄暗い道を歩いていたら、その端っこにポツンと小さな壺が置いてあるのを見つけた。


 「不老不死の薬」と書かれた紙が、壺に貼り付けてあった。


 壺を持ち上げて、手のひらに中身を出してみた。さらさらの白い粉が、手に滑り落ちてきた。


 「不老不死」の意味がわからなかったけど、僕は試しにちょっとそれを舐めてみた。美味しくもまずくもなかった。無味だった。


 僕は手に残った粉を地面に捨て、壺をもとの場所に置いた。次の日そろばん塾に行くためにその壺が置いてあった道を通ったけど、そこにはもう壺なかった。


 僕の見た目は成人しても、あのときと変わらなかった。その頃にはもうとっくに「不老不死」の意味はわかっていた。


 不老不死――決して老いることもなければ、死ぬこともない。永遠の存在になれる薬を、僕は口にしてしまった。


 中学校、高校では、見た目のせいでいじめられた。そして僕は高校二年生のある日、自殺を決意した。


 無難に飛び降り自殺をしようと思い、マンションの屋上に立った。そして落ちた。体を思いっきりコンクリートの地面に打ちつけた。全身がバラバラになったかと思うほど痛かった。


 それなのに、死ねなかった。


 普通なら死ぬはずのダメージを受けたそうだ。それなのに、僕は生きていた。頭の骨まで折れたのに、ひどい出血だったのに、僕は生きていた。


 傷口が閉じ骨折が治った僕は、飛び降りる前と同じぐらいにピンピンしていた。


 それでも僕は死ぬことを諦めきれず、他の方法を試した。首吊りやリストカットはもちろん、包丁を心臓に向かって突き立てたり、川に飛び込んだり、赤信号で飛び出してみたり。それでも結果は同じだった。死ぬかと思うほどの痛みを感じるだけで、結局死ななかった。ようやく「不死」であることを実感した。


 自分はみんなとは違う。そんな悩みが、絶えず僕の脳内を支配していた。僕の唯一の救いは、僕が不老不死であると知っても僕に優しく接してくれる家族と、数少ない友人だけだった。


 それから何十年もたち、友人たちは家庭を持ち、父と母は年老いた。もちろん妹も結婚して子どもがいて、父と母はその子どもが、可愛くてたまらないといった様子だった。僕はそんな幸せそうな愛に満ちた光景を、自分がすることは一生ないであろうその眩しい笑顔を、陰から見ているしかなかった。


 やがて父母が死んだ。そこで僕は悟った。これからみんなは、僕を置いて死んでいくのだと。


「あれが噂の不老不死の子だよ。」


 父母の葬式の参列者は、僕を指さしてこそこそと言い合っていた。


「一生年をとらないなんて、若くいれて羨ましいねぇ。」

「それに一生死なないんでしょう? 死んだらどうしようなんて考えずにいれて、気楽そうね。」


 「不老不死」について、なにも考えたことのない人たちの言葉。あの人たちには何度説明しても、僕の苦しみを、虚しさを、絶望を、わかってもらえるはずがない。


 友人たちが死んだ。妹も死んだ。そして妹の子どもも、そのまた子どもも――。僕が愛した人々は、次々に死んでいった。僕をおいて。


 なにが「羨ましい」だ。愛する人たちが次々に冷たくなっていくのを見るのが、そんなに素敵なことか。死にたくて死にたくて何度血を流そうとも死にきれず、ただ痛みと絶望だけが残る生活が、そんなに素晴らしいか。


 これ以上、人が死ぬのを見たくない。悲しい思いはしたくない。そう思って、僕は人がいない森に逃げた。


 どんなに悪天候にさらされようと、どんなにお腹がすこうと、どんなに熊に体を噛みちぎられようと、やっぱり僕は死ななかった。でもここなら、誰とも話さずにすむ。誰にも愛情を注がずにすむ。だから僕は、ずっとここにいようと思った。人間から隔離されたこの自然が、自分にぴったりの居場所であると言い聞かせた。


 森に来てから何年たっただろう。いつの間にか、森の生物たちはいなくなっていた。いや、もしかしたら、地球上の生物は僕以外すべて、絶滅してしまったのかもしれない。


 僕は空を見た。真っ赤で巨大な球体が、空の大部分を覆っていた。「隕石」というヤツだろう。今まで自分が何億年生きてきたのかは知らないが、隕石は初めて見た。かなり大きめの隕石なのだろう。これが地面に衝突したら、地球はひとたまりもないはずだ。



 地球は確実に消滅する。



「…ふへへっ。」


 自然と笑い声が出た。笑ったのは何億年ぶりだろう。顔の筋肉が硬直しすぎていて、あまり動かない。うまく笑えずに、変な顔になっているんだろうな。


 巨大な隕石が、天国からの迎えに見えた。僕は隕石に向かって手を伸ばす。どうか、早く僕を連れて行ってください。僕を楽にさせてください。


「やっと死ねる…。」


 父や母、妹、友人たちに、もう少しで会える。さすがにこれで死なないわけがないだろう。ようやくこの孤独な世界から、死者の世界に行ける。やっとこの苦しみから解放される。



 そう思ってたのに。


 僕は、死ねなかった。


 暗く冷たく広大な宇宙の真ん中で、僕は一人、生きている。


 人間たちだけではなく、地球までもが僕を置いていった。


 あれだけの苦しみと痛みを積み重ねたのに、あのよに届かなかった。


 僕はどこへ帰ればいい?



 いつか父と母に、今までの苦しみをすべて打ち明け、「大変だったね。」と言ってもらえる日は、来るのだろうか。


 僕は膝を抱えて、目を閉じた。



 僕は、生きている。

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不老不死の薬 @setamai46

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