第2話:まんじゅうこわい《前編》
「さて、記念すべき実験第一回の前に、まず私が開発した装置について軽く説明しておこう」
「博士の後ろにあるそれのことですよね?」
仁王立ちする博士の背後に設置された大きな正方形の装置――縦横三メートル四方の巨大な立体プリンターの様な外見のそれを僕が指差すと、博士は嬉しそうに頷いた。
生物再現実験の為に博士が新規開発したらしいが、開発を行うと言ってから半日しか経っていない。設計図があったとしても尋常ならざる速さだ。
当然一人では出来ない作業の筈なのでこのステーションを徘徊するドロイド達に手伝ってもらったのだろうが、その手際の良さは彼女が非凡であることの証だ。
「その通り! これぞ私が開発した地球産生物再現装置、その名も『ほどほど再現くん』だ!」
「……ほどほど?」
「そう! この装置はデータベースに登録されている情報を基に生物をほどほどに再現する。故に『ほどほど再現くん』だ!」
どうやらネーミングセンスに関してもある意味非凡の様だ。
しかしほどほど再現とはいったいどういうことだろうか。
「博士、何故ほどほどなんですか?」
「全ての生物には防衛本能というものが備わっているだろう? それは生存競争において必要不可欠な性質だが、これが我々に向けられた場合、自身を守る為に襲い掛かって来る可能性がある。実験を行うにあたってはこれを制御する必要があると言えるだろう」
「つまり防衛本能をほどほどにして再現するということですか?」
「いや、防衛本能だけでなく危険因子とされるものは全てほどほどで再現する。例えば鋭い爪や牙を持つものはそれらを小さくしたり、肉食動物は食欲を抑えたりといった具合で、その生物が有する危険性を抑制するのだ」
博士の説明を聞いて僕は納得した。
再現する生物の中には決して穏やかなものだけでなく凶暴なものいるはずで、実験を行うにあたってはそれらが持つ危険性は邪魔となる。しかしその性質を残らず排除してしまうと生物自体の性質を損ねることになり、結果として全く別の生物になる可能性があるのだ。
その種固有の性質を損なわせず、且つ危険性を排除しようとした結果、「ほどほどに再現する」という結論に至ったのだろう。
「博士の意図は分かりました。それではまず再現する生物を選びましょう」
「その必要はない。実は動作確認ついでにもう再現してあるのだ」
「え、もうやってしまったんですか?」
「なんだ、もしかして選定したかったのか? それは悪いことをしたな」
「いえ、別にそういうわけじゃないんですけど……いったいどんな生物を再現したんですか?」
動作確認のついでとはいえ、博士が独断で選んだという点が少々気になっただけで、別に僕自身で選びたかった訳ではない。
ただなんというか、少々嫌な予感がするだけなのだ。
しかし今更何を言っても仕方ないので早速再現した生物について尋ねると、博士は意気揚々として答える。
「うむ! それではしかと聞きたまえ! 記念すべき第一回目の実験対象、即ち私が再現した生物は――『スベスベマンジュウガニ』だ!」
「スベ……マン……え、なんですか?」
「『スベスベマンジュウガニ』だ! 学名は『Atergatis floridus』で、『蟹』という甲殻類の一種だ」
博士の発音が少々独特だったので聞き取り難かったが、どうやら日本語の様だ。
学名の意味は「磨いたように輝く殻を持つ花の模様」なので、これは見た目のことを言っているに違いない。
そして甲殻類とは全身が硬い殻で覆われた節足動物群を指す言葉だったと記憶している。
彼女はどの様な意図でその生物を選んだのだろうか。
「どうして、その生物を再現しようと思ったんですか?」
「良い質問だ。助手、君は『まんじゅう』というものを知っているか?」
「まんじゅう……どこかで聞いたことがある様な……」
「まんじゅうとは日本で食されていた菓子類であり、小麦粉を練って作った皮で小豆餡などの具を包んで蒸した和菓子のことだ。中国の『
「なるほど……ん? すみません、再現した生物の名前ってなんでしたっけ」
「スベスベマンジュウガニだ」
あっけらかんとする博士の言を聞いて、僕は彼女の意図がなんとなく理解できた気がした。
「博士、違ったらすみません。もしかして名前から選びました?」
「うむ! まんじゅうの名を冠しているのだから、美味に違いないと思ってな!」
「あの、生態調査は?」
「何事も経験! つまり実食あるのみだ!」
「いやいやいや、念の為に色々調べた方が――」
「で、これがスベスベマンジュウガニだ!」
おっと、この人まったく話を聞かないぞ。
僕の提言を意に介さない博士はどこからともなくペトリ皿を取り出し、それを掲げてみせる。その皿の中ではおよそ五〇ミリメートル程の一匹の茶色い生物が蠢いていた。
「小っさ」
「フフン! 可愛いらしいだろう? これで成体らしいぞ。ちなみにこの鋏は本来なら挟まれると結構痛いのだが、ほどほど再現により柔らかくてなっている!」
その生物は節張った八本の細い足と大きな鋏を備えた二本の腕をわちゃわちゃと動かし、皿の中を右へ左へ行ったり来たりしている。
活きが良いのは結構な事だが、これから食べられることを思うといたたまれない。
可哀そうだけど、これも僕らが生き残る為だ。
「それじゃあ、えっと、それ食べるんですよね?」
「いや、こいつは繁殖用の個体だ。思いのほか小さかったのでもう一匹再現して調理した」
「調理?」
「うむ。尤も素揚げだがな。ちなみにこれだ」
再び博士はどこからともなく別のペトリ皿を取り出してみせた。
その中には真っ赤に染まった蟹が収まっており、当然だが微動だにしない。どうやら甲殻類は揚げられると真っ赤に変色するらしい。
「素揚げ……」
「先に君が食うか?」
「い、いえ、お腹空いてないので、僕はデータの閲覧でもしてますよ」
「そうか……では仕方ない、まずは私が食べよう! データはほどほど再現くんのモニターから閲覧するといい。履歴があるので、画面タッチで参照してくれ」
そう言って楽し気に笑う博士がほどほど再現くんを指差したので、促されるままそちらに目をやると淡い光を放つホログラムモニターが立ち上がっていた。
近寄って画面を確認すればそこにはスベスベマンジュウガニの写真が表示されており、指先でタッチするとデータベースに登録されている概要文が展開され、下から上にゆっくりとスクロールを始める。
名前や分類、体長や地球での生息域、その他特徴など祖先達が記録した様々な情報が記載されており、全て読むには半日程かかりそうだ。さすがに隅々までは読んでいられないので流し流しで読んでいると、ふと気になる文面が目に入った。
「“スベスベマンジュウガニの危険性について”……」
不穏な文章が出て来た。これは確実に把握すべき内容だと思うのだが、博士はちゃんと確認しているのだろうか。
ふと博士の方を見やると、ちょうど彼女は素揚げしたスベスベマンジュウガニを口に放り込んだところだった。
躊躇なく口にしたということはこの危険性というのは大した問題ではないか、あるいは食べること以外の危険なのだろう。それに博士の言う通りならほどほど再現くんの機能で危険性は緩和されているはずなので、何も問題はないと判断したに違いない。
それでもあの小さな身体にどの様な危険を持っているのかやはり気になったので、僕はその文章をタップして概要を展開した。
「なになに……スベスベマンジュウガニは全身の殻と脚部の身に『テトロドトキシン』を含む数種の猛毒を持っているため、食べると最悪の場合死に至る……ちょ、博士!! それ毒――」
「ごふっ」
「博士!? 博士ぇえええええ!!!」
博士は口から泡を吹いてその場に崩れ落ちる。それを目の当たりにした僕の口から絶叫が飛び出し、研究室に木霊した。
実験はまだまだ始まったばかりだ。
リアニメイト! 天野維人 @herbert_a3
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