浮ついた気持ち

神崎涼

第1話

 浮気の定義とは何だろう。どこまでしたら浮気になるのだろう。この線引きは人によって千差万別だろうし、浮気と言っても人の気持ちなんて本当のところは分からないし、なんなら自分の気持ちですら分からないこともある。

 しかし、そんな答えの出そうにないことを俺は昨日からずっと考えていた。付き合ってからそろそろ半年が経とうとしていた奈帆の、浮気現場を見てしまった昨日からずっと。



 奈帆と知り合ったのは去年の秋、大学の学祭でのことだった。

 俺の所属しているサークルの隣で出店していたのが、奈帆の入っているサークルだった。「なかなかお客さん来ないねえ」と奈帆に話しかけられたのが、始まりだったと思う。

 奈帆は人目を引くような美人で、話しかけられてどきっとしたのを覚えている。お互い店があまり繁盛してなかったこともあって、学祭の間、奈帆と取り留めのない話をしていた。


「こんな暑いのに豚汁なんか出すから客が来ないんだろ」

「だってこんなに暑くなるなんて思わなかったんだもん。そっちだって肉まんだし似たようなものじゃん」

「俺は反対だったんだよ、肉まん」


 二日間朝から夕方まで行われる学祭で、初対面だった俺と奈帆は意気投合した。二日目の夜に行われる後夜祭では、そのまま二人で一緒にいた。


 俺と奈帆が恋人という関係になるまで、そう長くはかからなかった。

 学祭の後も連絡を取り合っていて、そのまま二人でご飯を食べに行くのは自然な流れだったし、初めてご飯に行ったその日の内に俺から告白した。

 こうして聞くと俺が軽い男のように思うかもしれないが、決してそんなことはない。むしろ俺は大学生になるまで彼女というものができたことはなく、大学でこそは彼女を作ってやろうと決意して入学したくらいだ。

 なので、出会ってからの期間は短かったが、奈帆のことは本当に好きになっていたし、告白するときはそれは緊張したものだった。

 奈帆からの返事は、少し時間が欲しいというものだった。やはり告白には少し早すぎたかと俺は良い返事を諦めた。俺の予想とは裏腹に、二日が経って奈帆からいいよという返事がきた。


 それからの毎日はとても楽しかった。学部が違うので大学で会うことは無かったが、連絡は毎日とっていたし、二週間に一回程度は遊びに行った。

 奈帆は俺にとって初めての彼女だったし、今までの人生の中で一番好きな人だと胸を張って言えた。奈帆も俺のことを好きだと言ってくれたし、これこそが愛し合う二人というものなのだと、少し恥ずかしいことを考えたりしたこともあった。



 そんな幸せな日々を送っていた、はずなのだ。

 だから、昨日奈帆が他の男と腕を組んで歩いているのを町で見た時、俺は何かの見間違いだと目を疑った。

 しかし、それは紛れもなく奈帆だった。

 俺はその姿を認識してすぐに物陰に隠れた。信じられそうにないその光景に頭の中がぐちゃぐちゃになり、心臓はリズムを忘れたかのようにはちゃめちゃに鼓動を打つ。

 隣の男は俺の知らない人だった。しかし、仲睦まじげに腕を組みながら歩く二人の姿は完全に恋人同士のそれだった。

 二人の前に出て行き「おい奈帆、その男誰だよ」と言う勇気は微塵も持ち合わせてはいなかった俺は、そのままふらふらと家に帰った。


 そのまま一度も外に出ないまま今に至っている。食事は全く喉を通らず、それどころか胃の中には何もないはずなのに定期的に吐き気を催す。

 今日になってからは、もしかしたらあれは夢だったのではないかとか、俺の見間違いだったのではないかとかそういう希望的推測が頭に浮かぶようになった。

 しかし、そんなことを完全に否定し、さらに信じられない真実を叩きつける物を俺は見つけてしまった。

 

 今時にしては珍しいと思われるかもしれないが、俺はSNSというものをやったことがない。自分のことを他人に晒すあの行為がどうにも苦手なのだ。

 昨日のことで気が動転していた俺は、一番大手のSNSで奈帆の名前を検索した。

 アイコンを自分の写真にしていたので、奈帆のアカウントはすぐに見つかった。

 投稿をずっと遡っていく。今していること、見ているテレビの感想、食べた物の写真、よくこんなに投稿できるなと感心するほどその投稿数は多い。

 その中に、彼氏である俺に関する投稿は一つもなかった。

 どれだけ遡っただろうか。ついに俺はその投稿を見つけてしまった。

 昨日隣を歩いていた男とのツーショット。『いつもありがとう』というコメントがついている。投稿日時を見てみると……、一年前の日付が書いてある。


 その状況を俺は理解できなかった。どういうことだ。

 愛し合っていると思っていた彼女が実は浮気していて、さらに俺は浮気されたのではなく浮気相手だった。ということだろうか。なぜだか分からないが、笑えてきた。


「はは、ははは。……何だよそれ」


 

 あんなに深く愛し合っていたはずなのに、あれは全て浮気だったのか。浮ついた気持ちが俺のところにたどり着いたのだろうか。

 この気持ちは怒りなのか悲しみなのか、はたまた苦しみなのか。自分の気持ちが分からない。自分が奈帆のことをどうしたいのかも分からない。ただ、あの光景を見てからずっと、俺の中で何かがふわふわとしている。


 それでも一つだけ分かるのは、俺はこれからもきっと奈帆との関係を続けてしまうだろうということだ。その気持ちが浮ついていると知っていながらも。それが正常ではないと知りつつも。だって、俺はもうどこかが正常ではないのだから。

 それに、俺の気持ちも俺から浮ついているのだから、お互い様だろう? 

 浮いていったこの気持ちはきっと、もうどこかに降りつくことはないだろう。

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浮ついた気持ち 神崎涼 @kitto410

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