喫茶店にて

86+

喫茶店にて

 とある午後の昼下がり。街には夏の暑い日差しが降り注いで、外を歩く人は少なかった。通りには長い街路樹があって、その端まで行くと、小さな小さな喫茶店があった。繁盛していないが、かといって潰れそうなわけでもない。何の変哲もない喫茶店の店内には、二人の客しかいなかった。店長は裏に籠っているらしい。茶色を基調とした上品な家具が並ぶ中、年相応の可愛らしいワンピースを着た少女と簡素な黒いカッターシャツを着た女性が対面していた。テーブルを挟んで相対する彼女たちは、先生と生徒というほど年齢が離れているようにも見えず、姉妹というほど親しいようにも見えない。



 少女が目の前のティーカップを口に付ける。ほんのりと香るレモンと程よい甘さに、満足そうに微笑む。

 「喫茶店で紅茶を飲むのって、憧れてたの。やっぱり、いつもよりずっと美味しい」

 鈴の鳴るような幼い声ではしゃぐ少女を横目に見て、女性はどす黒い液体を啜る。少女のように美味しそうに顔を綻ばせることはない。

 「お姉さんは、甘いものが苦手なの?」

 バターがとろけて、その上からシロップをふんだんにかけたパンケーキ。少女はそれを礼儀正しく切り取り、綺麗に口に運ぶ。

 問いかけに女性は、少し考えて首をふる。

 「じゃあ、コーヒーが好きなの?」

 続く質問に嫌な顔一つせず、首をふって答える。

 「どちらかというと、嫌いだわ」

 嫌いだというのに、何故飲んでいるのだろうと少女は疑問に思ったが、追求しなかった。女性の表情が疲労の色を見せたからだ。何か他に頼むわけでもなく、コーヒーを少しずつ口に含んでいた。少女は不躾にもカップの中の分量を見たが、黒々とした液体は底を隠していて、無くなる気配すらなかった。着実に減っている自分の紅茶を見て、さらに疑問は増すばかりだった。

 「そういえば、さっきの話の続きを聞かせてくれるかしら」

 少女は、紅茶が届く前まで、学校の友達の話をしていた。首を縦に振って、話し始める。

 友達と過ごす時間は、少女にとって何よりも大切なものだった。授業中に隣の席の男の子が居眠りしていたことや、休み時間に集まってお菓子を食べること、放課後に公園に寄り道をして帰ること。学園祭や体育祭、花火大会など特別なイベントごとでなくても、毎日が喜びに溢れていた。まるで目の前で繰り広げられているかのような熱を持った話し方により、少女の日々は聞き手の脳内でやけに鮮やかに描かれた。

 女性はそれを薄く笑いながら、聞いていた。

 「とても、楽しそうね」

 「うん。卒業なんて、したくないくらいよ」

 少女は勢いよく頷いた。女性は笑みを深めて、コーヒーを啜る。すると、少女の携帯電話が震えた。

 テーブルの上においてある白いそれは、裏にプリクラが貼ってあって、いくつものストラップがついていて、重量感があった。

 少女は受信の内容を確認すると、幸せそうに微笑んだ。女性の視線は、ストラップに注がれていた。

 「それは、友達とお揃いみたいね」

 女性の言葉に目を丸くする。女性がストラップに興味を示すとは思っていなかったようだ。

 「そうなの。もしかして、お姉さんも友達とお揃いにしてるの?」

 首を振って、黒い携帯をテーブルの上に出す。装飾は何も施されておらず、簡素な印象を与えた。少女は居心地が悪そうに視線をそらすと、唐突にストラップのことを話し始めた。

 「赤色のは、隣の席のかっこいい男の子と一緒で。緑色は、親友の色と一緒なの。大人しいけど、とってもいい子なんだよ。そして、青色は幼馴染と一緒。冷静でいつも私のこと見ててくれるんだ」

 一つ一つを宝物でも扱うように丁寧に扱う。少女は先ほどにも増して、熱っぽく語り続ける。窓の外は、オレンジ色に染まっていて、時間の経過を感じさせた。

 「大切なお友達なのね」

 ポツリと独り言のように、呟く。女性の寂しげな雰囲気は、少女の心にも伝染した。お喋りな口を閉じて、女性を見つめる。

 赤い目元も、薄い唇も、落ち着いた声音も、すべてが寂しいという感情を誘う道具のようだ。黒いカッターシャツも黒い携帯電話も、周囲のことに関心がないような冷たい印象を与えた。

 「どうして、お姉さんは黒い服を着ているの?」

 女性は、数回まばたきをすると、深いため息をついた。少女の姿を熱の入った目で見つめて、答えた。

 「これは、喪服なの。大切な人が亡くなってね」

 女性は声を震わすでもなく、慣れているかのように淡々と話す。

 少女は小さく謝ると、俯く。それから、しばらくして聞いた。

 「その人は、大切な人は、どんな人だったの?」

 少女の質問に、女性は声を弾ませた。女性の声に初めて色がついたと少女は感じた。

 「とても良い子だった。頑張り屋さんで日々を楽しもうって努力してたわ。友達もたくさんいて、あなたと同じようにお揃いのものもたくさん付けてね。本当に、彼女は友達のことを愛していたわ」

 夢中で大切な人を語る姿は、少女とよく似ていた。今、この場に居合わせた人がいたとしたならば、姉妹だと勘違いしたと思える程度には、よく似ていた。

 女性の言葉を聞きながら、少女は瞳を輝かせた。

 「そんなに良い子だったなら、友達になりたかったな」

 女性は少女の言葉に微笑む。懐かしむような優しい表情だった。

 「あなたとなら彼女も友達になれたと思うわ」

 少女は嬉しそうに頷き、言葉を続ける。

 「それに、きっと友達からたくさん愛されてたよね」

 すると、さっきまでの微笑みがどこかに行ってしまったかのように、女性は表情を失くし、窓の外を見た。コーヒーをまた啜ると、氷のような声で答えた。

 「・・・・・・かもしれないわね」


 街は、夜に染められていて、誰もいなくなっていた。そこにあるのは痛いくらいの静寂ばかりで、燃えるような日差しもどこまでも続く街路樹も、小さな喫茶店でさえ、嘘のように闇に溶け込んでいて、見えなかった。


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