喫茶カテドラル(原著:戸松秋茄子さん)

 ここは<喫茶カテドラル>——亡くなった親父の忘れ形見。僕は二代目店主マスターってところだ。

 ドアが開いて、黒尽くめが二人入ってきた。

 どっかで見たことがあるな——一見いちげんの客にもかかわらず、僕はそう思った。

 ちょっと小太りの小さな男と長身のスタイリッシュな男だ。フェドーラ帽を被り、サングラス掛けているその様は、えーと……。

 ——ブルース・ブラザーズ!

 と言いたくなるのを堪えて、ぐっと呑み込んだ。

 あ、「ブルース・ブラザーズ」ってのは昔のアメリカ映画。主人公の二人はジェイクとエルウッドって義兄弟。実は大好きな映画だったりする。

「い、いらっしゃいませ!」

 裏声になりそうなのを堪えて出した歓待の一声は妙な具合になった。だけど、それ以上に妙だったのは、ブルース・ブラザーズの方だった。

 ジェイク風の小太りの方が、エルウッド風ののっぽの方を介抱するように入ってきたことだ。しかも、人目をはばかるみたいに。

 ただでさえ目立つ格好なのに、そんな怪しげな入店をしてきたものだから、奥で陣取っていた伊東さんや、更にその奥のサイモンさんまでもがまじまじと二人連れを見ていた。

 ジェイク風の小太り——この際、ジェイクでいいや——が、エルウッド風——こっちも面倒だから、エルウッドでいいや——を何とかカウンターの一席に座らせた。

「何になさいますか」

「さて、何にしたもんかね」

 ジェイクがエルウッドに尋ねた。

「アンタはどうする?」

 エルウッドは目を伏せたまま、何も答えなかった。

 ジェイクは溜息を吐いて、僕に注文オーダをしてきた。

「まぁいい。コーヒーを二杯だ。……アンタもそれでいいだろ?」

 エルウッドは首肯するだけだった。

「かしこまりま——」

 注文を承ろうとしたとき、奥の席の伊藤さんが立ち上がって、僕の声を遮った。

「おいおい、喫茶店に来て、『コーヒー』なんて注文の仕方があるか。ブレンドとかエスプレッソとかあるだろが」

「コーヒーはコーヒーだろ? ……見ろ、店主マスターはちゃんと心得てるぜ」

 鼻で笑ったジェイクが、既に豆を挽き始めている僕を顎で示した。

「ふん——」

 今度鼻を鳴らしたのは伊藤さんだった。

「——そこが二代目のダメなところだ。 何か適当に出すつもりだったんだろ? ……先代は違ったぞ。コーヒーの味もわからん奴はぴしゃりと追い返したもんだ」

 ついでに僕もこっそり鼻を鳴らした——僕が追い返したいのは伊藤さん、アンタだよ!

 エスプレッソマシンに掛ける圧力がその捌け口になった。うぃーん、と怨嗟の声に聞こえなくもない音に、僕は少しだけ溜飲を下げていた。

「お待たせしました」

「ほら、アンタも飲めよ。……少しは気が楽になるだろ」

 サーブしたカップの一つをジェイクはエルウッドに回す。そのエルウッドの方はカップを見つめたまま、手を出そうとしなかった。

「具合……悪いんですか?」

「ああ。と言っても、ここの問題なんだがな——」

 そう言って、ジェイクは自分の胸を叩く。

「——困ったもんだ。これから自首するって言うのに」

「自首……ですか」

 出来るだけ平静を装って口にしたつもりだったけど、声が震えていたかも知れない。

「ああ、ちょいとばかり荒事を起こしちまってな。……そうだろ?」

 ジェイクがエルウッドに答えを促した。

「すると、あんた等二人とも犯罪者か!」

 エルウッドの答えを待つまでもなく、伊藤さんがまたも割り込んでくる。

「冗談じゃない。俺はただの通りすがりさ」

「お揃いの格好じゃないか」

「たまたまだよ。たまたま。……俺は弟の葬儀の帰りだったんだ」

 葬儀って……まぁ、喪服に見えなくもないけど、僕からしたらブルース・ブラザーズだ、どう見ても。

「二代目、一一〇番だ。店の電話を貸してくれ」

「まぁまぁ、そういきり立ちなさんな。これから自首するって言ってるだろ」

 がなる伊藤さんをジェイクがなだめる。

「あのう……いいですか? 逃げるつもりなら、そもそもこんなとこ来てないと思うんですが……」

 恐る恐る手を挙げたのはサイモンさんだった。

 彼の言うことももっともだ。っていうのは心外だけど。

「盗み聞きとはお里が知れるな。アメ公」

 伊藤さんはサイモンさんにも噛み付いた。……まったく面倒なオッサンだ。

「オーストラリアですよ! いつになったら覚えてくれるんですか!」

 奥からゆっくりとこちらに歩いてきたサイモンさんがエルウッドの隣——ジェイクの反対側——に座る。

「よけしければ何をしたのか話してくれませんか?」

 エルウッドは押し黙ったままだった。

 ジェイクが口に拳を当てた。

「ああ、そうだ。取り敢えず、一息付けさせようじゃないか。店主マスター、表の看板に出ていた、『自慢のピザトースト』ってのを出してくれ。飲み物でダメなら食い物だ——」

 よく分からない理由を展開したジェイクが、指を三本立てた。

「——ピザトースト三つだ。俺が二つでこの人に一つだ」

 僕はちょっとびっくりした。ほぼ常連客のたまり場となっている<喫茶カテドラル>。そんな状況だから、毎日の売り上げはコーヒー以外で出た試しはない。今日は珍しく、それ以外の売り上げが出るのか!

 内心、小躍りしそうなのを堪えて、僕は自分の昼飯になる予定だったピザトーストをオーブンにぶち込んだ。

 程なくして、チーズの焦げる香ばしい匂いが店の中に漂い始める。

「腹も膨れりゃ、口の滑りもよくなるんじゃないか? ……お、美味そうじゃないか」

 そう言いながらジェイクはピザトーストに齧り付いて、ニンマリとする。

「美味いぜ、店主マスター。こりゃ、逸品だ。ほれ、アンタも喰いな」

 そりゃ美味いさ。僕が丹精込めて作ったんだからな。パンにチーズ、トッピングしてあるトマトやベーコンも僕の厳選素材だ。実際、この値段で出しても然したる利益はない。それでも、メニューとして出しているのはみんなにこの美味しさを分かってもらいたいからだ。それなのに、誰も頼んでくれない……。

 伊藤さんはともかく、サイモンさんは一度くらい頼むと思って——などと愚痴紛いの思いが心中を駆け巡る。

 だが、そんな間にブルース・ブラザーズを取り巻く状況が変わっていた。

「もう我慢ならん! ここでふん縛って、近くの交番に突き出してやる!」

 更に激高している伊藤さん。

「落ち着けよ、じーさん。まだ何も話してないだろう?」

 エルウッドを守るように、両手を広げて割り込んだジェイク。

 そして、驚いたのが、エルウッドが僕の作ったピザトーストを口に運んでいたことだった。更に驚いたことに、口に消えるピザトーストの代わりに、少しずつ言葉を発し始めたことだ。

「……あの子は……タミカは……じっと俺を見ていた……」

 口に残っていたピザトーストをエスプレッソで流し込んだエルウッドの話は続く。僕も周りも固唾を飲んで見守っている。

「……家に押し入った俺を、ただじっと。……逃げず、騒ぎ立てず、黒目がちな、吸いこまれそうな目で俺を見てたんだ。……俺はそれが恐ろしかった……」

 エルウッドは一言一言ぼそぼそと話す。その合間合間にピザトーストとエスプレッソが無くなっていく。

 ジェイクが神妙な顔で僕に小声で告げる。

店主マスター……俺はもう一つピザトースト、そいつにゃピザトーストと、今度はココアを出してやってくれねぇか?」

「……か、かしこまりました」

 しっかりと話を聞きたかったけど仕方が無い。

 僕は仕込んでいた残りのピザトーストをオーブンに入れ、ココアを作る。

 話の内容はよく聞こえなかった。しかし、伊藤さんの素っ頓狂な声に思わず振り向く。

「やっぱり人殺しじゃないか!」

「——!」

 人殺しって……話を丸々聞いていた訳じゃないから、どんな事情なのかは分からない。だけど、とんでもないことをしでかしたのは間違いないだろう。

ジェイクと伊藤さん、サイモンさんがああだこうだと議論を展開させている。

 その間にもエルウッドはピザトーストを口に運んでいた。

 ——チン!

 オーブンが焼き上がりの音を立てた。

 ピザトーストを出す手が少しだけ震えている。

「どうぞ……」

「ありがとう」

 ジェイクはピザトーストを頬張り、エルウッドはずりずりと控えめに皿を自分の元に引っ張った。

 ピザトースト食べながらの話は未だに続いている。

 先に出したピザトーストの載っていた皿を下げ、洗い場で洗いながら、僕は聞き耳を立てていた。

 聞こえてくる話を僕なりにまとめるとこうなる——エルウッドは何処かの家に押し入り、一家を惨殺した上にそこの飼い犬にまで手を掛けた。その話を聞いたジェイクは彼に自首を促し、その途中にカテドラルうちに寄った。

 ……何だか分かったような、分からないような話だ。

 考えを巡らせている間に、ブルース・ブラザーズの前に置かれているピザトーストもエスプレッソもすべてなくなっていた。

「お下げしますね」

 僕は二人の前からカップと皿を回収しようとした。

「……なぁ、店主マスター

 ジェイクが思い詰めたような声を出した。

「な、なんでしょうか」

「俺はこの男をこれから警察に連れて行く。だから、娑婆でこんなひとときを過ごせるのも最後だと思うんだ。だからよ、最後にチョコレートパフェを作ってやってくれないか?」

「……かしこまりました」

 確かに、殺人を犯したのであればチョコパフェなんか、これから食べられるはずもない。

「ああ、俺にもくれ。だから、二つ頼む」

「はい」

 実は、僕はチョコレートパフェにも一家言あったりする。だから、これも自慢の逸品なのだ。……看板メニューには出していないけど。

 僕は腕まくりをして、作業に取り掛かった。

 ソフトクリームは生乳を直接仕入れ、僕自身が味の調整をしたこだわりのものだ。コーンフレークも全粒粉のものだし、チョコレートソースは最高級ブランドのゴディバ製だ。フルーツだっていいものを使ってるんだ。……正直、これも採算は取れないけど、僕のチョコパフェに対する矜恃プライドだ。

「お待たせしました」

「お、ありがとう! ……ん、これも美味い! アイスとチョコレートソースの絡みが絶品だ! ……うーむ、絶品……」

 当然だ、と思いながらも「ありがとうございます」と営業スマイルの僕。

 ジェイクはスプーンが止まらない、と言った風で、かき込むようにチョコパフェを食べている。

 エルウッドの方はと言えば——

 彼も食べていた。だが、サングラスの所為もあるけど、表情が読めない。

 それでも、ゆっくりとスプーンは口に運ばれている。

 エルウッドのパフェグラスの残りが三分の一ほどになったとき——

「うわぁぁぁぁぁ!」

 いきなり、エルウッドが頭を抱えて叫びだしたのだ!

「何事だ!」

「Oh !」

 伊藤さんとサイモンさんも声を張り上げた。

「俺が、俺が、俺が殺したんだー!」

 気が狂ったとしか思えないほどの大声で、頭を掻き毟るようなエルウッド。だけど、それでも帽子を落とさない。

 ジェイクも呆然としたように見ている。

「俺が、俺が、俺がぁぁぁぁぁ!」

 カウンター席から立ち上がり、半狂乱状態だ。

 伊藤さんもサイモンさんも、口をぽかんと開けたまま眺めている。かく言う僕も目を大きく見開いたままだ。

「うわぁぁぁぁぁ——」

「おい、ちょっと、アンタ!」

 エルウッドがドアを開けて飛び出した。

 驚いたジェイクが脱兎の如く追い掛ける。

 ——バタン

 ドアが閉まる。突然の静寂。

 店に残された僕たち三人は、声も出せずにいた。

「……」

「……錯乱……した……のか?」

「……罪の呵責に耐えかねて……遂に……あーっ!!」

 僕はカウンター中から飛び出し、ドアを開け放った。

 一瞬、春の日差しに幻惑された僕の視界。次第に元に戻っていったけど、二人の姿は何処にもなかった。

「どうした! 二代目!」

 遅れて出てきた伊藤さんが、驚いている。

「……食い逃げ……されました」

 首も肩もがっくりと落とした僕を、二人が慰めてくれた。


              (了)

 

オリジナル:

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885331548/episodes/1177354054885337306

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自主企画「私ならこう書く、短編リライトの会」参加作品 大地 鷲 @eaglearth

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