吸血鬼=変態?(後編)

「信じてくれるかわからないけど、ボクは吸血鬼なんだ。証拠は……こんなものしかないんだけど」


 夏樹は驚きで身動きが取れず声も出ない。その驚きで見開いた目には、変態が”ほらっ”と指差す先――鋭く尖った2本の歯が映っていた。


「吸血鬼だから、生きていくためには人間の血を吸わなくちゃいけない。それも、ただ人間の血を吸えば良いってわけじゃなくてね。男の吸血鬼は女、女の吸血鬼は男の人間の血じゃないと意味が無いんだ」

「……な……何で?」

「ん?」

「人間の血なら男でも女でも一緒じゃないのか?」


 硬直を何とか解いた夏樹は、言うに余ってそんなどうでも良いことを聞き返していた。対する変態は、何だそんな事かとでも言うように軽く答える。


「吸血鬼が人間の血を吸うのはね、血の中のホルモンを吸収するためなんだ。よく誤解されるんだけど、吸血鬼の栄養は血じゃなくて、その中に含まれているホルモンなんだよね」

「ホルモン……?」

「そ。ほら、男性ホルモンとか女性ホルモンって聞いたことない?」

「それは……知ってるけど」


 完璧な漢の身体になるためにプロテインなども摂取している夏樹は、ホルモンについての知識も人並み以上に持っていた。


「なら話は早いや。後は簡単な話でね、男の吸血鬼は女性ホルモン。女の吸血鬼は男性ホルモンが必要だから、それぞれの人間の血じゃないと意味が無いってことさ」

「……吸血鬼がホルモンを栄養にしてるっていうのは……まあ、一応わかったけど。……結局、それぞれ異性のホルモンが必要っていうのは何でなの?」

「それはボクにもわからないよ。知りたかったらボクよりももっと頭の良い吸血鬼――それこそ姉上にでも聞くしかないんじゃないかな」


 いくら純粋な夏樹でも、流石に目の前の変態の言葉を全て鵜呑みにするという事はなかった。胡散臭そうに半眼で見つめる夏樹を他所に、あっけらかんと答えた変態。続けて”他に何かと聞きたい事はない?”と聞き、夏樹が黙って見返すのを確認すると。


「良し! じゃあ、改めて……ボクに血を吸わせてくれないかなっ!?」


 夏樹の両肩を掴み直してそう問いかける自称変態吸血鬼。その頬は、またもや若干桜色に染まっていた。その圧力に押されそうになった夏樹であったが、今度は何とか踏ん張ることに成功していた。


「……何で僕なんですか?」

「ボクは女の子が好きなんだ!」

「え……?」

「ボクは女の子が大好き、、、なんだ!」


 夏樹が間の抜けた声を発すると、変態は鼻息荒く言い直した。


「いや、そういう事じゃなくて……って大体ぼく――俺は男だぞ!」

「そう、君は男だ。……だが、正確には男の娘だッ!」


 大きな瞳を爛々と紅く輝かせ力説する変態。その顔をジリジリと近づけてくるため、夏樹は徐々に仰け反るような形を取るしかない。


「ボクは女の子が好き……だが、残念ながら生きていくためには男の血を吸わなくちゃいけない。ボクが汗臭い筋肉テッカテカのむさ苦しい人間の男の血を……クッ! 想像するだけでも耐えられないッ! 無理、身体が受け付けないのだッ!」


 そこで元から青白い顔色をより一層青くした変態は、鳥肌を立たせブルッと身震いを一つ。


「今までは、まだ血を吸う力の無い吸血幼児が飲むプロテインで何とか生きながらえてきたけど、ボクももう18――吸血成人を迎えたからね。流石にそろそろ誤魔化しが効かない……つまり、限界なんだ」


 顔を下に向け、先程までとはどこか異なる真剣な声音で話した変態。その顔色は変わらず青いままで……夏樹の肩を掴むその手も若干震えていた。


「生きていくためには人間の男の血を吸わないといけない。でも、それはボクにとって死ぬのと同じくらい耐え難い苦痛。結果、十分な栄養が摂れずボクは段々と弱っていった。……でも、そんなボクを見かねた姉上が……そう。君の存在を教えてくれたんだ」


 そこで改めて夏樹の目を真正面から見つめた変態。その紅い瞳は先程と同じく爛々と輝いていたが、先程よりも強い力が込められているようだった。


「君も確かに人間の男だ。でも、君にならこうやって触れていても拒絶反応は起こらない。可愛い女の子のような姿の君になら。……ボクには君しかいないんだ。……だから……だから、どうかボクに君の血を吸わせてくれないか?」


 この時の夏樹には、目の前の変態が本物の吸血鬼であるかは別にしても、自分が役に立つのなら手助けしてあげても……という思いが芽生え始めていた。変態の声の内に含まれている必死さを感じ取ったのだろう。……ただ”女の子のような姿”という言葉に関してだけは、一言文句を言いたいところだったが。


「あの……へんた……えっと……」

「ん? ああ、ボクはサイリスタ・カーミラ・ブラド。気軽にサイちゃんとでも呼んでくれ」


 声をかけようとして言い淀んだ夏樹に、詰まったその理由を察したへんた――サイリスタはサラッとそう答えた。


「その、サイ……さんは、本当に吸血鬼……なんですか?」

「そうだよ。と言っても、はいそうですかって簡単に信じられないのもわかるよ。吸血鬼の特徴って言ってもこの少し鋭い牙くらいで、サキュバスの様に小さな羽が生えているわけでも、ましてや人魚の様に足がヒレってわけでもないからね」


 言って、はははっと発したその乾いた笑い声から、これまでにも何度も信じてもらえず馬鹿にされてきたという事が容易に想像できた。そのどこか悲壮感漂うサイリスタの顔を、無言でジッと見つめていた夏樹。


「その、血……」

「ん?」

「……吸血鬼……サイさんに血を吸われたとして、僕に何か起きる……僕が吸血鬼になってしまったりはしない……ですか?」


 夏樹は所々詰まりながら、でもはっきりした声でそう問いかけていた。対するサイリスタは、夏樹の愛らしく、でも男らしい覚悟の篭ったその表情を、ただただぽけ〜っと見つめ返し……。


「……サイさん?」

「へ? あ、ああ。すまない。え~と、吸血鬼に血を吸われた後遺症……だったね? うん、それは心配ないよ。吸血鬼に噛まれたからといって、噛まれた人間まで吸血鬼になるといった事はないから」


 夏樹に声をかけられ、慌てた様子で答えたサイリスタ。その顔が赤く染まっているのは、ぼーっとしていた事への恥ずかしさからか、それとも……。


「そ、それなら……それなら、僕の血。……吸っても良い……ですよ?」

「へ?」

「本当に何も影響はない……血を吸われるだけなんですよね?」

「あ、ああ、勿論。勿論だとも! ただ初めはちょっと痛いと思うけど、それも直ぐに慣れるからさ。何なら気持ちよくなって病みつきになる人間もいるらしいよ!」


 一度は不意をつかれて素っ頓狂な声を出したサイリスタ。しかし再度夏樹が発した言葉に、聞き間違いではなかったと理解すると、それはもう子供のように無邪気で弾んだ声を上げた。


「そ、そうですか。……では……どうぞ」


 サイリスタが勢い余って最後の方に付け足した言葉に、若干微妙な表情をしていた夏樹。だがそれも僅かな間の事で、直ぐに一度大きく息を吐くと、覚悟を決めた様子で顔を小さく傾けた。


「……ほ、本当に良いのかい?」


 あらわになったシミ1つ無い綺麗な首筋。否応なくそこに視線が固定されたサイリスタは、ダラダラと涎を垂らしつつも、最後に不安になったのか改めて確認を取った。


「は、はい……んっ、ど、どうぞ……」


 夏樹の返答を待ちつつも、サイリスタの顔はどんどん首筋へと引き寄せられている。首筋にかかる吐息がくすぐったくなり、思わず変な声を漏らしつつも、夏樹は最後までしっかりと答えた。

 夏樹のその言葉を最後まで聞き終えた瞬間。サイリスタは夏樹の両肩に置いていた手を背中へと回し、その己よりも小さな身体を力強く抱きしめた。


「うっ。サ、サイさん!?」

「ボ、ボク、もう我慢できないっ! い、いくよっ!」


 2人の身体はもうピッタリとくっついている。


 その薄いタンクトップ越しに感じる柔らかい感触に、夏樹の心臓は早鐘を打っていた。いくら自分が女の子に間違えられる様な身体をしていても、夏樹も思春期の男だ。サイさんは生きるために必死に、真剣な思いでこの行動をしているだけ。だから変な気持ちになってはいけない。そう思いつつも、身体は自分の意思と関係なしに熱くなっていた。


「うっ……サイさん……」

「も、貰うね! 君の、ナツキくんの……ナツキきゅんの男性ホルモンッ!」

「は――い? ちょ、ちょっと待てッ!」

「あ〜むグゥ!?」


 ぼーっとしてゆく頭の中。荒い息と共に発せられたサイリスタの声。夏樹が何も考えずに首を縦に振ろうとした……その直後だった。奇跡的にもサイリスタの言葉の一部に引っかかる事ができた夏樹は、反射的に右手を上げていた。


「むぅ。何だい急に。焦らしプレイかい?」


 己の歯が、その首筋まであと数センチ、数ミリの所まで接近していたサイリスタ。目の前のご馳走をお預けの形となり、顎を手で押し上げられたまま不満げな表情で夏樹を見下げる。


「あの……僕の聞き間違いじゃなかったら、さっき”男性ホルモンを貰う”って……言いませんでした?」

「うん。言ったよ?」


 サイリスタはそれが何か?とでも言わんばかりに答える。その意識はもう完全に夏樹の首筋に集中しているのだろう。口を動かしつつも、爛々と紅く輝くその眼は一点を凝視し続けている。


「さっきも言ったけど、ボク達吸血鬼の栄養はあくまでもホルモンだからね。だから厳密に言えば、ボクが今から吸うのは血では無くてナツキくんの男性ホ、ホルモン……もう吸っても良いか?」

「……もう一度だけ確認しますが……本当に後遺症はないんです……よね?」

「ああ。それは勿論だ。で、ではそろそろ……あ」

「な、なんですか?」


 サイリスタは首筋に顔を近づけようとして、不意に短く声を上げた。その声に何やら嫌な予感を感じた夏樹は、恐る恐る問い返していた。


「いや、今思い出したんだけどさ。そういえば、姉上が去年お世話になった男の子……確か天才格闘家とかいう、聞くからに男臭そうな子だったらしいんだけどね。その子、姉上に気まぐれで男性ホルモンをたくさん吸われて、女の子みたいになったって聞いたことがあるけど……それはむしろ良い事だから関係ないよな!」

「えっ……」


 笑顔でそう答えるサイリスタに対して、夏樹は盛大に顔を引きつらせて――。


「じゃあ、問題ないのも確認出来たことだし……いっただっきま~」

「だ、駄目ッ!」

「ムグッ……も~。今度は何なのさ?」


 サイリスタが話は済んだとばかりに、涎でテッカテカになっているその口を、夏樹の汗ばんだ首筋に近づけようとした。がしかし、またもや夏樹の小さな手がその進行を阻んだ。

 2度もお預けを食らったことで、流石のサイリスタも少々イライラしたご様子。でも、夏樹はそんな事を気にする余裕もなく、早口で問いただす。


「だ、だってサイさんに血……男性ホルモンを吸われたら、僕も女の子みたいになっちゃうって事ですよね!?」

「まあ、そうだな?」

「なら……やっぱりサイさんに血を吸われる事はできません。ごめんなさい」


 夏樹は申し訳なさそうに、でも確固たる意志の元頭を下げる。


「ええっ!? な、なぜだい!?」

「僕……俺は真の漢になる事が夢だから。そう、あの人のようにっ!」


 そこで夏樹が指し示した先――壁にデカデカと貼られた筋肉テッカテカボデーを見たサイリスタは、ブンブンと首を振って声を荒らげる。


「だ、駄目だッ! ナツキきゅんがあんなむさ苦しい男になるなんて地球の……この世の終わりだッ! 頼むッ考え直してくれッ!」


 そのままその絶望に染まった顔をどんどんと夏樹へと近づけていく。……ただ、絶望に染まっていたのはほんの一瞬。夏樹の意思の篭った力強い、しかし小動物のように潤んだ瞳と目が合うと、徐々にその表情筋をだらしなく緩めていき……。


「だ、大丈夫だよ。ボクは、ボクだけは君が女の子になっても……いや、むしろ女の子になったらより一層愛してあげるからさっ!」

「やーっ!!」


 正に変質者の如き笑みを浮かべ、鼻息荒くその真っ赤に染まった顔を近づけてくるサイリスタ。そこで本能的に身の危険を感じ取った夏樹は、叫びながらサイリスタのその薄い胸を両手で思いっきり突き飛ばした。


「うおっ――!」


 見た目が女の子のように可憐だとは言え、夏樹も真の漢になる為に日々鍛錬を積み重ねてきたのだ。その成果が発揮された結果、サイリスタはキラキラと涎の線を描きつつ、後方へと思いっきり吹っ飛ばされた。そのまま玄関扉に頭から激突し、物凄い音を響かせ……直ぐに何事も無かったかのようにムクッと起き上がった。


「な、なん……で……」


 もはや人間離れしたその耐久力に、夏樹はとうとう戦意を喪失し、呆然と口をパクパクする事しかできない。


 夏樹の僅か数メートル先。その芸術品のような肢体を隠そうともせずに、堂々と2本の足で立つサイリスタ。自称吸血鬼の少女は、ハァハァともう地上波では放送できない様な恍惚とした表情を浮かべ、夏樹へと視線を向ける。


「フフッ。いきなり胸を揉んでくるとは……君って意外とダイタンなんだな!」

「も、もう出てけぇー!」

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男の娘は漢になれるのか? 水樹 皓 @M-Kou

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