大都会の裏路地で
土御門 響
幼き店主
もう間もなく大学生になる。
高校を卒業してすぐ地元を出て東京に引っ越してきたものの、荷解きなどなどに追われて慣れる余裕はなし。
初めての一人暮らし。初めての都会。
知っている人もいない。
『麗奈は頑張りすぎちまうからなぁ……無理すんじゃねぇぞ。祖母ちゃんはいつでも、おめぇさ帰ってくんの待ってるからな』
「……お祖母ちゃん。慣れるしかないっていうのは、私が一番わかってるから。大丈夫、心配しないで。お母さんとお父さんにも、そう伝えといてね」
そう。慣れるしかないのだ。
***
ようやく部屋の片付けが落ち着き、少し外を歩いてみようと思った。
思ったの、だが……
「……どこ、ここ」
麗奈は大の本好き。ゆえに、かの有名な神保町の古書店街を散策してみようと思ったのだ。
しかし、麗奈が今いる場所は都会の影と言わんばかりの薄暗い裏通り。
スマホのGPSが壊れたのか? 機種変したばかりで?
……違う。単に自分が生まれつき方向音痴なだけ。
「おっかしいなぁ……」
確かに神保町の駅で降りたはずなのに。
スマホのマップを見ても、現在地がさっぱりわからない。
とりあえず、大通りに出ないと。戻った方が賢明か。
来た道を戻ろうと踵を返したとき、ふと視界に本棚が映る。
「え」
なぜ気づかなかったのだろう。
目の前にあった小さな店。
書店だ。雰囲気的に、個人経営の老舗古書店。
店内からは不気味さすら漂ってきているというのに、麗奈にはすべて魅力的に感じられた。
引き寄せられるようにして、中へ足を踏み入れる。
壁全体に本がびっしりと敷き詰められ、入りきらないものは床の上に山積みになっている。
「すごい……」
ジャンルは様々、日本語で書かれていないものもある。
「こんなところに、こんな店が……」
「いらっしゃい」
麗奈は奥から掛けられた声に振り返り、息を呑んだ。
「勝手に見て行って」
可愛らしい声音と対照的な冷たい口調。
くたびれたピンクのワンピースに埃っぽい茶色のエプロン。
淡い水色の瞳が、麗奈を捉えている。
この店の主は、なんと幼女だったのだ。
***
麗奈は冷ややかな眼差しを向けてくる幼女に、ぎこちない笑顔を向けた。
「えっと……ここの子、かな?」
「ええ」
「じゃあ、お父さんとかお母さんの代わりに店番してるんだ……」
「違う。ここは私の店。人を見た目で判断するのは止めて、お客さん」
「す、すみません……」
見たところ八歳くらいだろうか。
女の子は見た目に似合わず、ハッキリとした口調で話す。
麗奈の
手の届くところはもちろんのこと、木製の梯子に登って上の方も叩いていく。
「……なにか」
思わず小さな女の子が棚の掃除をしていく様をぼうっと眺めてしまっていたらしい。
麗奈は慌てて首を振った。
「い、いえ。特には……」
「うちに最近の本――ライトノベルとかは置いてないから。貴女みたいな若い子は、きっと満足出来ない」
決めつけるような言い方に麗奈は少しむっとした。
自分よりも小さな子に言われたくない。
「そんなことありませんよ」
ちょうど気になっていた美しい装丁のされた本を手に取る。
「こういう感じの本、すごく好きで……」
本を開こうとしたとき、店主がこちらを振り返って目を剥いた。
「待て……ッ!」
店主の切羽詰まった甲高い声を耳にしたが、麗奈は顔を上げることはできなかった。
開いた本に何かを吸い取られていく。麗奈は意識を失い、その場に倒れ込んだ。
***
目を覚ますと、目と鼻の先に店主の顔があった。
淡い色の瞳が一瞬だけ安心したように揺れる。
「気づいたか」
「……私は」
「魔導書を開いて精気を持って行かれたんだ」
「…………は?」
真顔で何を言い出すのだろう、この幼女は。
そんな
かといって、子供の妄想だと一蹴することもできなかった。だって、この子は普通とは違う。違うと認めざるを得ない。
こんなに大人びた子供、普通の子ではないだろう。
麗奈はズキズキと痛む頭を押さえながら起き上がった。
麗奈が寝かされていたのは長い座布団の上だった。短めのものを何枚か重ねた上に頭を置いていたらしい。
そして気を失っている間に、店の少し奥にある座敷に上げられていたらしい。
「まったく、人間の客は入れないんじゃなかったの?
「私も疲れているらしい。店を隠す結界が綻んでいたことに気づかなかった。……この娘が顔を出すまで」
「いい年なんだから無理しないで、遠慮なくこっちへ来たらいいのに。そんなに愛着があるの? ここに」
「……ああ」
「そう、残念だわ」
さっきまでいなかった人がいる。
だが、この人を人と括っていいのか。
桃色の髪に黄緑の瞳。薄いヴェールのような生地のワンピースを纏っている。しかも、そのワンピースは刻一刻と色が変化していた。水色から青へ。青から紺へ。
麗奈が瞬きすると、女性は――たぶん女性で合っているはず――優しく微笑んだ。
「貴女、大丈夫?」
「……は、はい。一応」
「ごめんなさいね。ここは人間が入っていい店じゃないのに、この面倒臭がりが忠告を怠ったから、こんな事態になって」
「ここって人間は、入ってはいけないんですか?」
「ええ。ここは妖精族が贔屓にする魔導書の専門店よ。そこの小さな店主だって、もう二百年は生きているわ」
「……冗談でしょう?」
とても信じられなくて、麗奈は店主を振り返った。
店主は苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、一つ溜息を吐いて白状した。
「……ああ。私は軽く二百年生きている。人間の母から生まれたものの、父が妖精でね。嫌でもこんな中途半端な生き方をしているのさ」
「中途半端に生きているのは自分の意志でしょう? 店なら私たち側の世界に作れば良かったのに生まれた地にこだわって」
「……人間の血が許さんのさ。仕方あるまい」
「どうだか。貴女はいつもいつも、そうやって混血を言い訳にして……」
二人の会話には重みがあった。長い時間を生きている者の、重み。
人間には理解できない領域だ。この状況が信じ切れなくても、これは紛れもない現実なのだ。
そう思いながら麗奈は二人が言い合う様子をぼんやりと見ていたが、不意にハッとした。
人間がいてはならないのなら、自分はすぐにここを出るべきでは?
立ち上がろうとすると、女性が麗奈を止める。
「ちょっと、急に動かない。どうしたの?」
「だって、私はここにいるべきじゃ……」
「構わんさ」
麗奈の言葉を店主が遮った。
「私の店だからな。誰を招いて誰を拒むかは、私の自由。……これからも、来るといい」
「!」
「あら」
麗奈が目を見開き、女性は意外そうに笑う。
店主は淡々と続けた。
「別に、私だって人だ。人の知り合いを作っても問題はなかろう。……それに」
人間ではない血を持つことによって、人間とは異なる時間を生きねばならない己が
それを哀しく思うことすらなくなった。だが……
「独りではない時間があったら、楽しいだろう」
誰かと共に在るのも、一興だ。
それを聞いた麗奈はフッと微笑んだ。
確かに。それには同意できる。独りで悩むより、独りで必死になるよりも、誰かと話していた方がいい。
「そうですね」
麗奈は店主の言葉を肯定した。
「独りより、二人がいいですよね」
妖精が二人を見ながら不思議そうに苦笑しているが、気にしない。
だって、人間にしか、この気持ちはわかるまい。
***
「もしもし、お母さん? うん、そう。片付けは終わった。それと、今日――」
上京して初めての、友達ができたのよ。
大都会の裏路地で 土御門 響 @hibiku1017_scarlet
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