「また明日、学校で」
結局、僕は絵画の完成に立ち会えず、完成した絵画は期日の迫る市の文化祭の会場へとすぐに運ばれた。僕は篠田さんと疎遠になり、疎遠になったために再びヒロたちが僕にちょっかいをかけ始めるのだった。
「なあ、今度の市の文化祭にお前の絵が飾られるんだろ?」
「僕じゃなくて篠田さんが描いたんだけど」
「お前がモデルじゃん。皆で一緒に見に行こうぜ、なあ?」
周りの悪友たちもヒロと同じようにニヤニヤ笑う。ヒロは馴れ馴れしく僕の肩に腕を回して、悪友と一緒に篠田さんについてあれこれ聞いてくる。
「篠田さん、可愛かっただろ?」
「モデルってやっぱり裸でやるの?」
「お前、篠田さんにアソコ見せたのかよ!?」
「そう言えばあの駐輪場の時もお前パンツ脱いでたもんなぁ!?」
「アハハハハ!」
僕はだんだん猫背になっていく。他の人は見て見ぬふりだ。僕たちの様子を遠巻きに見て、第三者から質問されれば「仲良さそうにしていましたよ」の一点張り。それで問題はなく、僕はその空気に押しつぶされていく……。
その日、午前中だけの部活動が終わると、悪友たちに引きずられるようにして市の文化祭へと向かった。ビルのような市民会館に、さまざまな展示が入っている。外の駐車場ではさまざまな出店が立っており、そこで適当に昼食を買って済ませると、なぜか会館から出てきた人の中に僕をじろじろと見る人たちが何人もいた。
視線を感じてそちらに顔を向けると、僕をじろじろ見ていた人たちは、途端に顔を伏せて足早に去っていく。それどころか、幼稚園くらいの子どもの中には、僕を見て泣きだす子さえいた。
「皆、篠田さんの絵画を見てきたんだよ」
悪友の誰かが言った。確かに、去年に比べて人はすごく多い。篠田さんの個展が開かれると色んな所で宣伝しており、その効果はばつぐんだったようだ。
「ということは、お前の絵もやっぱりあるんだな」
ヒロが焼きそばを頬張りながらしゃべる。
「お前がどんな風に描かれてるのか、楽しみだなァ!」
僕の食べていたサンドイッチを一つ奪って、ヒロは口に入れた。僕は悔しいけれど何も言わず、ただ市民会館から出てくる人の、僕を見る目に少しだけ不安を覚えていた。
なんで皆、かたくなに僕と目を合わせようとしないのだろう。
市民会館の階段を上っていく。篠田さんの個展は最上階のホールで開かれていて、誰もが乗りたがるのでエレベーターの前が混雑していたからだ。ヒロたちは楽しげに階段を上っていたが、僕の足取りは重たかった。僕をモデルにした篠田さんの絵画を見て、その後の学校生活をそれでいじられ、いじめられる未来が僕の脳裡に何度も浮かぶ。
磔にされる十字架を自ら丘の上に運ぶように、僕の足取りは重かった。
最上階のホールに入るためには列ができていて、僕たちはそこでさらに二十分待たされた。それでもホールの中に入ろうとするヒロたちは、よほど絵画に僕が描かれたことでいじめたいらしい。
ホールにようやく入ると、中はパーティションで区切られて、通路が出来上がっていた。通路は進行方向に向かってであれば自由に進めるようになっており、僕が描かれた絵画にしか用がないヒロたちは、僕の腕を引っ張ってズンズンと進んでいく。
僕をモデルにした絵画は、個展の奥の方にあった。
「な……んだ、これ?」
ヒロがつぶやく。
黒板の半分ほどの大きさのカンバスに描かれた油彩画は、確かに僕の肖像画だった。何の変哲もない、いつもの僕の顔。多少、顔のバランスが歪んでいるような描かれ方をしているけれど、それ以外どこもおかしなところはない。
僕は芸術に詳しくなんかない。美術の教科書に紹介されるピカソとかダリとかボッティチェリとか、すごく有名な人の絵画を見てもそれが何か分からない。だから、篠田さんが描いたこの僕の肖像画も、何か凄いところがあるのだろうけれど、僕だけが分からないのかと思った。
ふと、僕の周りが寒くなったような気がした。
それは寒くなったのではなく、僕の周りが開けたのだった。近くにいた悪友も、ヒロも、明らかに僕から距離を置いている。どうしたのだろう、と悪友を見ると、悪友はその場で狼狽えて、足をガクガクと震わせていた。
ヒロと目が合った。
「ひッ!?」
まるで女の子のような悲鳴を上げる。それから、明らかに恐怖に怯える瞳をしている。
僕には何が何やらさっぱりだった。
「ヒロ?」
「おおおお、俺に近寄るな!うあっ、ヒェッ、んぐ!!」
静かなホールにヒロの悲鳴のような叫び声が響いた。何事かと僕らの方を見た周りの人も、僕を見てなぜかたじろぐ。
「おお俺はなっ、何も悪いことはしてねぇ!してねぇぞ!あああ近寄るな!近寄るんじゃねぇよ!!」
尻もちをついて倒れ、床を掻くようにして立ち上がり、それから僕を置いてヒロたちは去っていった。
何が起こったのか分からなくて、僕はもう一度その絵に描かれた「モデルの僕」を見た。
「大きな声がすると思って来てみれば、あなただったのね」
涼しい声が、ホール内の空気を冷やした。僕に向けられていた視線が、一気にそちらへと向かう。僕も声の方を向く。
篠田さんだ。
「ヒロたちと一緒に来たんだけど……逃げちゃった」
そうだ。その油彩画を見て、ヒロたちは逃げてしまった。何から逃げたのか。それは……僕から逃げたのだ。
「そう」
篠田さんは短く答えて僕の横に立ち、一緒にその絵画を見た。
「……どうして逃げちゃったのかなぁ」
「あなたの中にメデューサを見たのよ」
モデルの仕事が最後になったあの日、篠田さんが口にしたメデューサという言葉を、僕はインターネットで調べた。
頭髪が毒蛇で、見たものを石に変えてしまう怪物。
「僕は怪物じゃあないよ」
「あなたがいじめられているのを見た時、あなたの瞳の中には確かにメデューサが宿っていた」
見る者すべてを石にして殺す怪物の瞳。僕の中に潜む怪物を、篠田さんは発見した。それは恐ろしい怪物で、いつか僕を食い破り、僕の代わりに体を乗っ取ってしまうかもしれないもの。
誰かがそれを、憎悪、と呼んだ。
「……多分、それは私も同じ」
「同じ……?」
天才と呼ばれる篠田さんは、周りに褒めそやされるのにうんざりしていたのかも知れない。周りに過剰に期待されて、期待を無視すれば落胆される。よい作品を描けば次の作品に期待されて、次は、その次は、と消費される。
大人の視線を一身に浴びて、口答えを許されず、ただ周りの期待を裏切らないようにしなければと思い続けた結果、篠田さんの中に怪物が生まれた。
「私とあなたは、合わせ鏡なの」
互いに見つめ合って、その瞳の奥に生まれた怪物を炙り出す。そうして生まれたのがこの油彩画で、だからこの絵画のタイトルは……。
「メデューサ」
「あのときは、いじわるしてごめんなさい。でも……」
「もういいよ。この絵を見たら、あれが必要な事だったって何となく分かったし」
それに、篠田さんの中にも僕と同じ怪物がいることに、ほんの少し優越感を覚えてもいた。
「篠田さん」
「なに?」
真っ直ぐな目で、篠田さんは僕を見つめた。
この目だ。
この目が僕の中にいた怪物を、形にしてくれた。形にして、僕から解き放ってくれた。
「ありがとう」
「礼を言われるようなことはしてないわ」
「良かったら、また学校でお話ししようよ」
「クラスは違うけれど、いつでも話せるじゃない。変な人」
篠田さんは笑った。
「そう……そうだね。それじゃあ、また明日」
「ええ。また明日、学校で」
短く手を振って、僕は階段を降りて帰る。
篠田さんの笑顔が、いつまでも僕の瞳の奥に焼きついているようだった。
メデューサ 雷藤和太郎 @lay_do69
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