エピローグ

 休日の校舎は静かだ。


 なんとなく足音を響かせることさえ遠慮してしまうような静寂の中をゆっくりと歩いている。


 目的の場所に着く途中で部室の前を通りかかる。


 そこには『祝 第○○回 演劇コンクール優勝の文字と写真が貼り出されていた。


 写真の中心には優香と東田が隣同士で移っており、俺はその写真の隅で無表情で写っている。 


 主役の二人とはいうと爽やかに笑う東田の隣で、はにかむ様に笑う可愛らしい優香を一瞬だけ見て歩みを進め……ようとして。


その隣にもう一つかけられた垂れ幕に足を止めた。


 『最優秀演出賞 おめでとうございます! 大隈先生』


 手書きで張られたもう一つの祝い事に書かれた受賞者の文字をそっと指でなぞる。


 学校側としては本当はもっと大々的に宣伝したかったようだが、大隈自身がそれを断ったので部員の有志がこれを貼り付けたのだ。


 一応その中に俺も入っているのだが。


 さすがにあの捩れた性格をした大隈も生徒達の『純粋な想い』を断ることは出来ず、困ったようにこれを許してくれた。


 そのときのあの女の内心を考えると、笑みが浮かんでしまいそうになる。


 余計なことをと思っているのか?


それとも予想外の名誉にどうして良いのかと困惑しているのか?


……あるいはそれらが混ざり合った感情かもしれないし。


もしかしたらまったく違うことを考えているのかもしれない。


だが写真の中の大隈は学生の時よりも喜んでいるように見えた。


 おっと、こんなところで止まっている場合じゃない。 


 早く体育館に向かわなければいけないのだ。


 春、夏と演劇コンクールに優勝したことにより演劇部の名声とやらは上がった。


その結果つい先日、それなりに権威のある県外の演劇コンクールに招待されてしまうほどに。


 また先述の名誉と今回の招待により気を良くした学校関係者が、部の予算を大幅に増額してくれ、なおかつOBや一部の生徒父兄からの寄付金により、かなり大掛かりな舞台装置を購入することが出来た。


 そして大道具係である俺はそれらの操作を覚えるためにこうして休日返上で体育館へと向かっているのだ。


 最初は優香と誘われるままになんとなく入り、余り物のように押し付けられた役割だった。


だが本格的な装置に触れてみるとなかなかどうして面白いものだ。


 そしてそれらをを指示する大隈の、あの遠慮の無い言葉。


それすら、優香との『触れ合い』の次に心地が良い。


 やがて体育館へと到達した。


その中にある階段を昇って普段は施錠されている扉をゆっくりと開ける。


「……なんだ、居たのか」


「居たとは失礼ね、私が居ないとここには入れないでしょ?」


 春、夏と連続で優勝したことにより気を良くした学校関係者によって我が演劇部の部費は増額され、より質の高い演技をするための設備投資も進められた。


 そしてその一つがここだ。


 いま俺たちが立っているこの場所は体育館の二階にあり、照明の位置や光を調整する為に最近増設された場所なのだ。


 二階とはいえ、決して低くはない。


体育館の天井近くに存在しているので高さとしては三階以上の位置にある。


 落ちればきっと無事ではすまないことは明白だ。 


 格子状に張り巡らされた床のその向こうがわにある体育館の床板が妙に遠く見える。


「ぼさっとしてないで手伝いなさいよ、部室にも顔を出さないといけないのだから」


 不機嫌そうに細い渡り板に立ちながら大隈は照明を動かしている。


「はいよ~、優香たちは部室で稽古だっけ?」


 命綱代わりとなるベルトを腰につけて大隈の隣に立つ。


 もちろん大隈のほっそりとした腰にもそれはついている。 


 そういえば大隈のウエストは意外に細いようで、普通サイズだと装着部があまってしまうから軽量者用の特注品なのだそうだ。


 一部の女子部員の中には先生の安全ベルトをつけるのが目標という奇特な人間も居る。


「そうよ、本当ならこんなご大層なものいらないんだけど、なまじ有名になってしまったものだから本当に面倒くさいわ」


 そういいながらも熱心に照明位置を考えているところを見るとやはり演劇は好きなんだろうなというのは理解できた。


「でもあんたの演出もあって優勝できたんだろ?」


「そんなことないわよ、あんたの大事な優香ちゃんのおかげよ、それと多少は東田君の能力もあるけどね」


 謙遜なのか本気でそう思っているのか?


興味なさそうに彼女は手を動かしながら俺との会話を続けている。


「俺は……その……良かったと思ってるよ。あ、あんたの演出は……さ」


「そう……ありがとね」


 まったく感情のこもっていない礼を言われたが、なんとなくこの人らしくて嬉しかった。


「そうだよ、きっと東田も優香も良かったと思ってるよ」


 チラリと目線をくれる。


目の前から視線を逸らさず、


「東田君はともかく瀬能さんはどうかしらね?色々と怖いのよね」


 大隈がスパリと言い切る。


「はっ? どういうことだよ?」


 予想外の言葉に顔を向ける。 


 そんな俺の反応は予想内だったのか、意地悪そうに口角を上げながら、


「本当にニブイ奴ね……まあ、そのうちわかるわよ」


「だから何のこと……」


「はい!終了したわ……とりあえずここでおしまいよ」


 強引に話を打ち切って急に大隈が俺に向き直る。


「あっ…………」


「……邪魔よ、戻れないじゃない」


「あ、ああ……」


 促され、俺も戻ろうと彼女に背中を向けたところで後ろから溜息を投げかけられる。


 まったく嫌味な女だなと振り返ると大隈の背中が見えた。


 どうやらさっきの溜息は俺に向けたものではなかったらしい。


「どうしてあれだけ外れかけてるのかしら?」


 大隈の視線の先を見る。


一番向こう側にある照明の留め金が緩んでプラプラと揺れていた。


 あれを放っておけば落下する可能性がある。 


「まったくいい加減な業者を使うからこんなことになるのよ……直してくるわ」


 大隈が問題の場所へと向かう。


 その姿を見送りながらふと先程の大隈の言葉を思い出した。


「な、なあ……さっきの意味ってなんなんだよ」


「うん? 要するにね……えっ?」


ガタリという音とともに大隈が消えた。


そして数秒後、グシャリという音が聞こえた。


「えっ…?」


 キイキイと安全ベルトの切れ端だけが揺れている。


 一瞬の沈黙の後には破裂するような鼓動。


「う、うわっ! うわあ~!」


「恭君、あぶない!」


 大隈が落下した場所まで慌てて駆け寄ろうとしたところで強い力でひっぱられて

尻餅をつく。


「ゆ、優香…?」


 必死な顔ですがりつく優香が俺の顔の前に居た。


「せ、…せん……せい……大隈…が…」


「落ちついて!」


 バチリと優香が頬を抑える。 


 瞬間、下から悲鳴が上がった。


 同時に怒声ともなんともいえない叫び声と嗚咽が……。


「大丈夫だから!私がついてるから……恭君には私がいるんだから」


 必死でなだめているのを聞きながら、爆発するように鼓動と駆け上がってくる音が遠くに聞こえる。


 その間も優香は俺を掴むように耳元で、


「大丈夫、大丈夫、大丈夫、恭君は私の物、恭介は私の物!恭介は私のもの」

  


「……大隈、死んじゃったのかな?」


少し落ち着いたのか、ぽつりとそんな言葉が出た。


「たぶん……ちょっと潰れてるもん……ねえ、恭介?」


「……?」


「私のこと、一番好きなんだよね?」


「えっ…? うん」


「……絶対……絶対……嫌いにならないよね?」


「……当然さ」


「本当に……本当に……嫌いに、ならないよね?」


 ぐっと力を入れて優香が抱きしめてくる。


『涙と震えとそして頭の後ろで聞こえる鼓動の理由』を『理解』して俺は彼女の手を強く握る。


「たとえ『何をしたって』俺は優香が好きなんだよ」


 ホッとしたように彼女があの言葉を囁く。


「本…当に恭介は…私が居な…いと駄目…なんだから」


「そうだよ……でもね?」


「優香も同じだろ?」


ホッとした彼女は涙を見せると恐ろしいものから逃げるように俺の胸に顔を埋める。


ああ先生、このことだったんですね。


あなたが言っていたことは。


優香は堕ちた。 俺が墜としたのだと自惚れていた。


地獄のような底へと。 だが違った。


彼女は堕ちたのだ。 今日。


俺が居たその場所よりもさらに遥か下、最も罪深き場に。


そしてさきほどの問いかけにより俺も同じところへ引きずりおろしてくれた。


それでも俺は優香と一緒にいよう。


後悔は無い。 むしろ嬉しい。


共に堕ちていけることが。


雌雄の蜘蛛が互いの毒によって。


どこまでも…。


どこまでも……。


ああどこまでも………。


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彼女を堕とせ 蜘蛛のように 中田祐三 @syousetugaki123456

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