第18話 王女の行方

「それで?」

 カイルが片眉を上げて、ルカにたずねる。

「なんでまた、お姫様に逃げられたんだよ。姫様の脱走パターンはもう把握済みだって、このあいだ鼻高々に言ってたじゃないか。お目付け役が聞いてあきれるな」

 カイルは失望したような顔で、しかし心底馬鹿にしたように言った。

 大使館の裏側である。

 建物と外壁のあいだの空間は陽がさえぎられて薄暗く、今のところ人の気配はない。高い外壁は、警備の必要がないからだ。窓の前にさえ立たなければ、誰かに見つかることはないだろう。

 カイルもまた、使節団の護衛の一人としてアグレシア国に来ていた。

 口を開けばカンにさわることばかり言うやつだが、いかんせん、ルカの信用できる数少ない相手でもある。大口であくびをしながら見張りに立っていたところを、文字通りルカが引っ張ってきたところだった。

 俺は姫のお目付け役じゃない。

 そう反論したかったがその気力すらなく、ルカは疲れたように言った。

「刺客に狙われた直後に国を出るだけでもどうかしているのに、誰が一国の王女が、しかも外国で一人で出歩こうとすると思うか? 頭がおかしいとしか思えない」

「ちょっと!」

 サティは眉をつり上げてとがめたが、それ以上は何も言わなかった。おおかた、サティも同じ気持ちなのだろう。

 ルカは苦い顔をした。

「確かに、姫から目を離した俺も悪かったとは思う。だけど、その……今回のは、仕方がなかったんだよ」

 歯切れ悪く言うルカに、二人が珍妙な表情でこちらを見る。

 ルカは事の経緯を二人に説明した。



 それは、大使館に着いてすぐのことだった。

 今回、姫はナイル帝国の王女としてではなく、一介の侍女として使節団に同行する。

 そのため、アスリエル王はその待遇も他の者たちと同じでよいとヤーコフ大使官に伝えていたはずなのだが、大使はそうは思わなかったらしい。着いて早々、姫および姫の側近であるルカは、何も知らないはずのアグレシア国大使自らによって皆とは別室へと案内された。

 ――部屋を、間違えたのかと思った。

 目が痛くなりそうなほどきらびやかな調度品の数々に、最高級の絹をふんだんに使った天蓋つきのベッド。広いバルコニーは、お茶会どころか軽いパーティーすら開けそうである。

 開いた口がふさがらない二人に、アグレシア国の大使はうやうやしく頭を下げた。

「こちらが、今回お嬢様にお泊まりいただく部屋にございます。ヤーコフ大使より、お二方は格別に大切なお客様であるとうかがっておりましたので。どうぞ夕食の時間まで、こちらでごゆるりとおくつろぎくださいませ。街の見学をご希望とあらば、案内人もおつけします。わたくしの側仕えを部屋の近くに待機させておきますので、なんなりとお申しつけください」

 ほっそりとした面に、大使が人のよい笑みを浮かべる。

 笑える状況ではない。

 ルカは部屋の前でがく然と立ち尽くした。姫が大使にあいまいな微笑みを返す。口角がやや引きつっているが、自身で気づいているだろうか。

 大使が去ると、姫はよろよろとベッドに近づいた。仰向けにぽすり、とその雲のような生地に体が沈み込む。

「……クビ」

 重たそうに額に腕を乗せた姫の唇から、低く言葉がもれた。

「ヤーコフ大使はクビで確定ね。まったく、『お忍び』って言葉の意味わかってるのかしら。どこかぽやんとしたところがある人だとは思っていたけれど、まさかここまでお粗末だとは思っていなかったわ。よく今まで大使やってこれたわね」

「まったくです」

 ルカは心から同意した。

 唯一の救いは、姫の正体までは他国に明かしていなかったことだろうか。万一、そのようなことをすればクビどころか斬首ものである。

「後で部屋を替えていただくようお願いしておきますね。……ところで、この後どうされますか? 大使のご厚意に甘えて、街を散策されてみますか? 私は別にかまいませんが」

「そうねぇ……」

 ぼんやりと天井を眺めながら、姫がつぶやく。ふわりと、白いカーテンが風を含んで浮かび上がった。

「じゃあ、ちょっとのあいだ部屋から出ていてくれない?」

 さらりとした口ぶりだった。

 一見、なんの含みもなさそうな様子だったが、過去に苦い経験のあるルカは途端に疑心暗鬼になった。

「なぜですか。もし抜け出そうっていうのなら、そうはいきませんよ」

 てこでも動かない構えのルカに対し、姫はあきれたような顔になった。

「はあ? なに言ってるの。着替えるだけよ。ろくにお風呂も入れずに来た服装のまま出掛けろと言うの? ――のぞきたいなら、別に止めないけど」

 姫が意味深な笑みでルカを見上げる。額に腕をついているせいで袖はめくれ、細い二の腕があらわになっている。

 なぜかその白い肌が急に気になりだし、ルカはあわてて目をそらした。

「いえ、失礼しました。では、わたしは外で待っておりますので。終わりましたらお声がけください」

 心なしか動きの速くなった体で、ルカはそそくさと部屋を出ていく。扉を閉めると近くの壁に背中をもたれかけさせ、はぁ、と小さくため息をついた。

 つい、いつものくせで姫を疑ってしまった。

 主人を信じられなかった自分を、ルカは恥じた。

 近衛隊に入隊したあの日、隊長が皆に言っていたではないか。人に信頼される人間になりたくば、まずは自分が周りの人間を信頼しろ。そうでなければ、本当の信頼関係など築けはしないのだと。

 もっとも信頼関係を築くべき主人を、自分は疑ってはいけなかった。

 そもそも、今回ばかりは姫が一人で抜け出すはずがないのだ。ここは国外、見知らぬ土地。勝手の知らない場所は道に迷う危険性があるし、もし何か問題を起こせば国際問題だ。最悪、同盟の破棄ということだってありうる。

 いくら破天荒な姫といえど、そのことが分からないほど馬鹿ではないだろうと。

 そう、思っていたのに。



「馬鹿だったわけだな」

「ああ、馬鹿だった」

 カイルは深々とうなずき、ルカは呆然とした表情で繰り返した。さすがのサティも無言である。

 カイルはあきれたような顔をした。

「しっかしお前、馬鹿だなぁ。なに素直に引き下がってんだよ。男ならのぞきだろ――って、イテッ」

「最っ低ね」

 容赦なく蹴りを入れたサティが、さげすんだ目でカイルを見た。カイルは痛みに足を抱え、その場でぴょんぴょんと跳ねる。

 でも、こういうことは考えられないかしら、とサティが首を傾げた。

「姫様が泊まる予定の部屋に先に誰かがひそんでいて、一人になった隙を見て連れ去った、とか。ほら、あんなことがあった後なわけだし……」

 急にしりすぼみになった声で、サティが言う。

 それはない、とルカは断言した。

「部屋に入ったら、これが置かれてあった」

 二人はルカが取り出した紙切れをのぞき込んだ。部屋にもともと置かれてあった用紙を使ったのだろう、上質な紙の周囲は金の紋様で美しく縁取られている。

 流れるような筆跡で書かれていた内容は、こうだった。


『夕食までには帰るわ。それまで、案内人と観光でもしてきたら?

追伸 : あなたもまだまだね』


「こりゃ確信犯だな……っておいおい、お前なんて顔してんだよ。今から人でも殺しに行く気か?」

 こちらを見たカイルが、ぎょっとしたように眉を上げる。

 確かに、ルカの腹わたは過去最高潮に煮えくり返っていた。沸騰するあまり、口から臓器が飛び出そうな勢いである。

 まずは自分が周りの人間を信頼しろ? その前に、周りの人間の方が信頼に足る行動をとるべきではないだろうか。

 煮え立つ怒りを通り越すと、やがてルカは死んだ魚のような目つきになった。

「辞表を書いておくべきだな。国に帰った後も、あのとんでも姫の側近を続ける自信がない。……いや、遺書の方が必要か?」

「まあまあ、そう早まんなって。夕食までには帰って来るんだろ? じゃあ、部屋で大人しく待ってればいいじゃないか」

 花が咲くんじゃないかと思うほどのん気なカイルの頭を、ルカはボカッと殴った。

「馬鹿か! その間に姫に何かあったらどうする。それに、もしも帰って来なかったりしてみろ。国際問題で同盟は白紙に、俺たちは全員良くてクビ、悪ければ鞭打ちの刑で牢屋行きだぞ」

 そして俺は、アスリエル王自らの手で斬り殺される――

 冷えた声で続けたルカに、カイルはぶるぶるっと身震いした。

「そうだな、牢屋は勘弁だな。あそこ、常に犬がしょんべん撒き散らしたような匂いがするって聞くぜ? ――かなりやばい状況なのは、よくわかった。ばれないうちに、俺たちで探して連れ戻そうぜ」

「だけど探すって言ったって、どこからよ? ナイルの王都ほどでないにしろ、この街だって一日じゃ周りきれないくらいには広いのよ?」

 眉尻を下げ、サティが途方に暮れたように言った。

「いや、姫が行くところはだいたい検討がつく。おおかた、街をぶらぶらしに行ったんだろう。市場か店、食べ物や人通りが多いところ……――それか、図書館だな」

 ルカが思い出したようにつけ足す。

 カイルは目をぱちくりと瞬いた。

「へえ、姫さんって本好きだったのか? 意外だな」

「いや……だけど過去に二、三度、王都の図書館に入るところを見たことがある。それに以前は、城の書庫に毎日のように入りびたっていたそうだぞ。最近顔を見なくなったので寂しい、と管理人が漏らしていた」

 三人は顔を見合わせた。

「じゃ、まずは図書館だな。市場や飲食店なんて探してたらきりがない。図書館なら、ある程度しぼりやすいだろ」

「手分けして探す?」

「いや、知らない土地で単独行動はやめておいた方がいい。もし元の場所にもどって来られなくなったら、完全にこの国に置いて帰られるぞ」

 ルカたちは、王女を探すための手はずについて話し合った。

 三人では見つけられる可能性は極めて低いということで、それぞれ信用できる仲間を当たり手分けして探すことになる。万が一、夜になっても帰って来なければタイムオーバーだ。使節団が総力を挙げて姫の捜索に当たるだろう。もっとも、その事態だけは何としても避けたいところだが。

「――じゃ、そういうことで」

 三人はうなずくと、それぞれの方向へと散らばる。

 人生と国の命運をかけた捜索が始まった。


  *  *  *


(――ついに、ここまで来てしまったわね)

 異国の湿った風が、白い街並みを吹き抜ける。潮の匂い。大陸の沿岸部にあるこの街は、海がとても近い。

 深緑色のマントに身を包み、ハーシェルは今、巨人のすみかではなかろうかというほどに大きな、それでいて美しい建造物の前に立っていた。

 ルカは今ごろ怒り狂っているだろうか。

 目を血眼にして街を駆けまわる側近の姿が、目に浮かぶ。

 それでも、ハーシェルはどうしてもここに来なければならなかった。このために、ハーシェルははるばるこの国まで来たのだから。目的を果たさずして、のこのこと国に帰るわけにはいかない。

「さあ、始めるわよ」

 入り口へと続く長い階段に、一歩足をかける。

 そこは膨大な歴史への玄関口――シェラエナード修道院図書館である。

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瑠璃の王石 鈴草 結花 @w_shieru

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