力という名の女
わたなべ りえ
力という名の女
力(ちから)なんて、ヘンな名前をどうして親がつけたものかね?
まるで男みたいで、本当に嫌だったね。たぶん、親は跡継ぎの息子がほしかったのかもしれないよ。いまじゃ、あんたは信じないかもしれないけれどね、女の子なんて屑みたいなものだったのさ。余計なクイブチだったんだろ。
ほら、これ見てくれ。いい写真だろ? こんな腰曲がりのババァになったけれど、あたしも若いときがあったんだ。今は歩くのも大変で、背中も真直ぐになんて出来ないけれどね、この時は曲芸なんかも出来て、みんなの人気者だったのさ。それで、あっちこっちに慰問にいって、金をもらったりもした。
今みたいな時代じゃなかったからね。そうさ、戦争があったからね。
あたしの一家は満州で暮らしていたよ。けっこういい時もあった。日本にいるときよりもずっと恵まれていた時もあったんだよ。ほんと。
あたしに惚れた兵隊さんが、帰ってきたら嫁にしたいといってきたけれど、そんな人は一人じゃなかったから、返事はしなかった。結局さ、誰一人として帰ってこなかったんだけどね。
あっという間に、町はロシアが占領しちまって、あたしらは捕虜同様さ。毎日生きた心地がしなかったよ。あぁ、いやだ。当時のことは思い出したくもないのにさ。
青い目をした兵隊さんが来て、日本人のリストを持っていったよ。へこへこ腰ぎんちゃくみたいにまとわりついて通訳してしていたのは、日本人か、それとも日本語が上手な中国人かわからなかったけれど、けっ、中国人ってことにしてやる。じゃないと腹くそ悪すぎて、耐え切れないじゃないか!
まぁ、とにかくソイツがおロシアに媚びて、とりあえずはあたしらも生かしてもらえたのかもしれない。
でもさ、毎晩リストから女が呼ばれる。で、呼ばれたらもう帰ってこれない。あ、一人だけ帰ってきたよ。ただし、亡骸になってだけどさ。
殺されたんじゃないよ。町外れの荒地にある一本の木に帯をかけて、首つって自分で死んじまったんだよ。ボロボロにされて、気が動転していたんだろうね。かわいそうに、母親が気が狂ったように泣いていたけれど、そんな夜にも、おロシアのヤツはリスト順に女を連れて行くんだ。
あぁ、もうすぐあたしの番だ……と思うと、生きた心地がしなかった。で、白豚クソ野郎に陵辱されるくらいなら、あたしだって大和魂をもった女だ舌を噛んで死んでやる! とか、いっそのこと、殺せるだけ殺してやろうと、それで少しはお国のためにもなるだろうよ、とか、いろいろぐるぐる考えたよ。
ところがさ、リストはあたしの名前を飛ばして次の女にいっちまった。
助かった……というか、もう死ぬ覚悟だったから、気が抜けた……というか、とにかく家族は喜んでくれた。他の娘が犠牲になってもね。
親に思わず感謝した。だって、あのクソおべっか野郎、あたしの『力』って名前を男名前と間違えてくれたんだ。
あたしはさ、女らしからぬ名前のおかげで助かったんだ。
従軍慰安婦? そんなの、どこの国の兵隊だってきっと持っていたよ。あたしらがそのいい例じゃないか。
兵隊なんて、心がすさんじまっているし、他に遊びらしい遊びもないし……適当に占領したところの娘でもあてがっておけば、士気もそれなりに保てるってものでしょ? ヤツラにとってはリストであてがわれる物でしかないから。
でもさ、リスト上の物でなければ、あたしはどうなっていたものやら……。ほんと、運っていうのは不思議だよ。
まぁ、とにかく。戦争で負けた国は、すべてが悪いことになっちまうんだよ。だから、首つって死んだ娘のことなんて、誰も話題にもしないんだ。
あたしゃね、別に今更どうとも思わないよ。時代が人間をけだものにしたんだって納得しようと思うよ。
でもさ、本当のことをいえば、あのおロシア野郎とクソおべっか野郎をぶっ殺してやりたいくらいに憎いね。40年も経てば、すこしは冷静になるかと思ったけれど、何かにつれ思い出すと、あのときの胸クソの悪さと恐怖を思い出すのさ。
あたし、人間、出来ていないんだね。
だからさ、別に今更どうこういう気はないし、こんなことなんて墓場にもっていって誰にも言わないつもりだったのさ。
でもさ、それって寂しいじゃないか……。この写真みたいに、すべてがセピアに褪せていって、やがて忘れ去られるんだ。
だから、なんとなくあんたに話したんだけどね。まぁ、些細なことではあるけれど、少しは胸に留めておいて、たまにはこんな話をしたババァのことでも思い出しておくれや。
力という名の女がいたことでも……。
力という名の女 わたなべ りえ @riehime
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