冬の熱帯魚

神谷春季

プロローグ

 遠くで、機械的に連続するベルの音と話し声が聞こえる。

 数人いるようだが、内容までははっきりとは聞き取れない。何を話しているのか気になり、話し声のする方向に耳を傾けてみた。不意に頬に冷たさを感じ顔を顰める。冷水でも浴びたような冷たさだ。

 顰め面に、目の前が薄明かるく、白く光っていた。


 音が段々と大きくなり、気が付けば、右手が冷たいものに触れていた。何か探すように手を動かし、突起物に当たり、それを押し当てる。ベルの音が止まり、話し声が鮮明に聞こえてきた。

「…本日は全国各地で3月中旬並みの気温となるでしょう。快晴ですが、所により春の嵐が吹き、強風に警戒が必要です。…」

 滑舌の良い、爽やかに通る声だ。話の内容は天気予報であると解り、声の発信者はテレビニュースのアナウンサーだと悟った。

 またやってしまった。今は朝で、昨夜はテレビを着けたまま眠ってしまったのだろう。

 後悔の念に駆られながらも、起きなければと思い、もぞもぞと身体を動かす。下肢が布団から出て、朝の低気温に全身に震えが走る。3月に入って、少しずつ暖かくなって来てはいるものの、朝はまだ寒い。

 うつ伏せで寝ていた身体を、布団から這い出しながら、細目をゆっくりと見開いた。

 アナウンサーが言っていた通り、本日は快晴のようだ。昔から、日の光で目を覚ますのが好きなようで、いつも部屋明かりを消して、カーテンを開けてから寝ている。

 斜めに差し込む日の光に時折目を細めながらも、ゆっくり起き上がり、大きく伸びをした。肺に冷気が入ってきて身震いしたが、朝の目覚めには丁度良い。


 今日は朝から会議があるため早めの出勤予定だ。会議の日は決まって早く出勤するように心掛けている。早々と出勤仕度をし、お湯を注ぐだけで出来るインスタントの味噌汁を飲みながらテレビを注視する。

「…本日の第一位は魚座のあなた!思いもよらない出会いがあるでしょう。ラッキーアイテムはマフラーです。良い一日をお過ごしください。それではまた明日。」

 天気予報と今日の運勢を確認して、テレビを切る。

「マフラーね。春らしく明るい色かな。」

 クローゼットから黄色いマフラーを取り出す。いつからなのか、毎日、今日の運勢を確認している。昔は信心深くなかったはずなのだが。

 身仕度を整え、急ぎ足で自宅を出る。そろそろ家を出なければ電車に乗り遅れてしまう。

 ふいにマフラーが解けそうになる。しっかりと結び直し、吹き上げるような風の中、駅へ急いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

冬の熱帯魚 神谷春季 @haru8

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ