否定する奴はもう人間なんかじゃない

ちびまるフォイ

ここにいればずっと幸せ!

「それじゃ、会社に行ってくるよ」


「あなた待って!」


妻は玄関にやってきた。

新婚時代にやっていた行ってきますコブラツイストかと思ったが、

持ってきたのは今朝のトイレでお尻をふいた朝刊だった。


「今日からネガティブ変換の開始よ」


「ああ、そういえばそうだったな」


ふと、妻の顔を見ると起き掛けだったのか髪の毛がヤマンバのように乱れていた。


「あはは、君の髪の毛『マリリンモンロー』みたいだよ」


「え? ホント? 嬉しいわ?」


「あれ、そうじゃなくて『メリダ』のような『美しい』髪だよ」


「やだわ、そんな朝から褒めないで。照れちゃう」


ヤマンバのように乱れている。

それを言おうとしても口がそれを許さない。


これがネガティブ変換なのか。

驚きつつ会社にいくと、毎朝恒例の上司の怒鳴りが始まった。


「お前ら!! お前らは本当に『最高』だ!!

 どうしてそんなに『有能』なんだ!!」


顔をゆでだこのように紅潮させながらも、

上司の口から出てくる言葉はこそばゆくなるような褒め言葉ばかり。


仕事を終えて同僚との帰り道、近くの居酒屋に立ち寄った。


「今朝の課長、なんだったんだろうな」


「顔がまるで『ジョヌーデップ』みたいだったな」


「『そうだね』、『似てる』『似てる』」


――いやいや、似てない似てない


とツッコむはずがすべていい方向に変換されてしまう。


「いつもはここで愚痴を肴に1杯やってましたが、

 なんだか今日は調子が出ませんね……」


「だな……」


なんだろうこの消化不良感。

家に帰ると、妻がにこやかな顔で迎えてくれた。


「あなた、おかえりなさい!」


「どうした? えらく機嫌がいいじゃないか」


「今日はいろんな人に美人って言ってもらったの!」


「そりゃ悪口が変換されてるんだろ」


「そんなのわからないじゃない?」


嘘でも偽物でも褒められれば誰でも嬉しくなる。

妻はそのことを熱弁するあまり、俺の睡眠時間を限りなくゼロに近づけた。


「行ってきます……」


「あなた、どうしたのその顔……。

 『水もしたたる』ような『いい男』みたいよ」


「今絶対悪口言ったろ」


『愛する』妻とのひと悶着のあと、会社に行くともうそこは異空間だった。

昨日まで納期だなんだとお互いのののしりあっていた職場が、

今では貴族のティーパーティでも開かれんばかりののどかな雰囲気。


「佐藤君、今日も君は『仕事が早い』ね」

「課長、そんなに褒めないでください」


「君の新しい企画、とても『すばらしい』よ」

「ありがとうございます」



「き、気持ち『いい』……」


とても耐えられなくなって、職場を出て入った。

ののしられることが好きなわけではないが息が詰まりそうだった。

この違和感は一体何なんだ。


ふと、顔を上げると暗い路地裏の先に何か門が見える。


目を壊していると、目の前にしわしわの男がやってきた。


「ネガティブ国になにか用ですかね?」


「うわ、びっくりした。あなたは?」


「ネガティブ国の国境警備を担当しております。お入りになりますか?」


男にうながされるまま、初めてのキャバクラに入店するかのような挙動不審さで門を通った。

門を抜けた先では人々が空やら地面やらに叫んでいる。


「死ね、うんこ野郎ーーー!!!!」

「ぶっ殺してやるあの泥棒猫ーーーー!!!」


地上波で放送しようものならPTAが空爆仕掛けるレベルの罵詈雑言。

その口汚い言葉の数々が飛び交うことにまた驚いた。


「あれ!? ここでは言葉が勝手に変換されないんですか!?」


「ええ、ここはネガティブ国ですから。

 ありとあらゆる言葉がポジティブな言葉が悪く変換されるんですよ」


「なんだそれ……」


「ガス抜きにはちょうどいいでしょう?」


「まあ、たしかに……」


自動的に相手を褒めたり、耳障りのいい言葉に変換される。

それは自分が思っていることと伝える言葉の中にズレを産んでしまう。


思ってもないことをペラペラしゃべっている自分にストレスを感じていた。


「ポジティブ変換なんてくそくらえだ――!!

 自分が思ったことを、自分で話させやがれーー!!!」


もとの国では言えなかった文句をのどがかれるほど叫びまくった。

あらためて「自分の思うことを伝えられる」幸せに気が付いた。



「いやぁ、大満足です。それじゃ帰ります」


「どこへですか?」


「元の国ですよ。門を開けてください」


「さっきから何言ってる、この『ド腐れ豚野郎』さん。

 このネガティブの国に入ったらもう出られないんですよ」


「はぁ!? なんでですか!?

 あっちには家族がいるんですよ?!」


「一度でもネガティブ国に入った人間は、

 ネガティブなことを考える人間として判断されます。

 そんな傷モノの人間はあっちの世界には不要なんです」


「そんな犯罪歴みたいな……」


「求められるのは、常に誰かをほめてくれる人間なんですよ。

 文句を言う前に「いいね」を押してくれる人間なんですよ。

 本音を隠しながら苦笑いでお世辞言うような嘘つきは不要なんです」


門はガシャンと閉められてもう出ることはできない。

門をよじ登ろうとしても鉄条網に犬の糞がいちいちくっついているのでとても触れない。

完全完璧な防犯システム。


「お願いします! 『うそつきクソジジイ』!

 あっちの世界の妻を迎えさせてください!!

 なにか方法はないんですか!?」


「……」


「あるんですね!! 教えてください!」


「パスポートがある。ネガティブ国を出て、元の世界に戻るパスポートが……」


「とります!!」


2つ返事でパスポートを取りに向かった。

パスポートを取るにはいくつもの細かい試験が必要になる。


「ではこれからポジティブ試験を始めます。

 私の問いに対してあなたの考えを聞かせてください」


「は、はい……!」



「恋人が死んでしまった。その時のあなたの考えは?」

「新しい恋が始められてハッピー!」


「お金がなくなって死ぬしかなくなった時のあなたの考えは?」

「金銭目的じゃない人間関係を見つけるチャンス!」


「実は朝からずっとチャック全開だったときは?」

「みんなの視線を釘付けにできてうれしい!」


「事故で全身不随になってしまったら?」

「いつも家族と一緒の時間ができてよかった!」



質問と3秒以内に答える試験は続いた。

考えうるポジティブな内容を答え続けると試験官は納得した。


「いいでしょう、あなたは根っからのポジティブ人間のようですね。

 パスポートを発行しましょう」


「ありがとうございます!!」


「ただしパスポートの有効回数は1回のみです。

 またこの人じゃないケダモノの住むネガティブ国に入ったら

 今度こそ出ることも入ることもできませんよ」


「わかりました」


「ではこれを。おかえりなさい、高貴なる人間の世界へ」


パスポートを手にいれてネガティブ国を出た。

久しぶりに元の世界に戻るとそこは――



荒れ果てて、見るも無残な姿になっていた。



「な、なんでこんなに荒れ果ててるんだ!?

 戦争でもあったのか!?」


それでもポジティブ国民はみな泣きながら幸せそうにしている。

かつて自宅のあった場所に戻ると、すでに家は売られていた。


「あなた、おかえりなさい」


妻はポジティブで在り続けるために強要された「笑顔」で表情固定されている。


「どうした! いったい俺がいない間に何があったんだ!?」


「『素晴らしい事』があったわ。

 ただ、ポジティブなことしかいえなくなったから……

 ここでは失敗を恐れてためらうこともなくなって

 ただリスクに挑戦していただけ。家は担保にされて失ったの」


「なっ……」


「でも『家を失ったから新しい場所に住める』わ!」


妻は固定された笑顔のまま涙を流していた。

周囲からは彼女の前向きな姿勢に対してポジティブな拍手が送られた。


ここでは誰かを引き留めることも否定されることもない。

あるのはポジティブ応援と前向きな姿勢だけ。



「これが……高貴な人間の世界……?」



ポジティブ世界にも、ネガティブ世界にも、もう居場所はなくなった。



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