◆深夜の甘味とジャッキール


「何故俺が!」

 滔々と更けた夜。もはや丑三つ時ごろだろうか。

 ジャッキールは、ぼやいていた。

 彼は深夜だと言うのに、何故か焼き菓子を

焼いているのだ。

 いくら夜の方が活動的な、吸血鬼みたいなところのあるジャッキールといえど、早起きの彼は普段はその時間は当然寝ているし、第一、流石の甘党の彼も深夜に料理などしない。

 大体、いい意味で倹約家の彼は、そんなランプの油がもったいない真似はしないのだ。

 が、このところのジャッキールは、この時間、迷惑な隣人に叩き起こされて、この時間、目を覚ましているのである。

「エーリッヒ、まだできんのか。夜が明けてしまうぞ」

 向こうからは身勝手なのんびりした男の声が、聞こえてくる。

 手際よく食卓の準備をする既知の髭男が視界の先にちらつくが、やつときたらどちらかというと簡単な料理などを並べるだけ。凝り性なのもいけないが、面倒な調理はジャッキールに回ってくるのだ。

 イラっとしてしまうジャッキールだが、ここで腹を立てても作業が遅くなるだけだ。無視することにする。


 

 砂漠の中にあるザファルバーンの王都。

 その片隅の長屋に、高明な傭兵の男が二人、それぞれ隣り合って暮らしている。

 彼らに言わせると完全に腐れ縁。

 そして平穏な長屋の空気と、それぞれ背負う事情は違えど剣呑な気配のある二人は、につかわしくなく、そこそこ悪目立ちしている気もするが、それなりに平和に暮らしている最近の彼らであった。

 見るからに異邦人の雰囲気を持つ大陸北方出身のジャッキールも、敵国リオルダーナ出身のザハークも、近頃はすっかりここに慣れている。といってもなんだか背景に溶け込んではいない気はするが、本人たちは溶け込んでいるつもりだった。

 そんな溶け込んでいるつもりのある夜更けのことだった。

 いきなり隣人のザハークに叩き起こされて、深夜の会食が始まった。

 ザハークには、宗教的な理由もあって、日中の飲食を断つ期間がある。そのことについては、傭兵の頃から彼を知るジャッキールも知っていた。だからそれは良いのだが、このところ、何故かジャッキールはこれに巻き込まれているのだ。

「俺は今は所属もないし、そもそも元々北方の異教徒……」

 と言いかけるジャッキールを、

「まあそう言うな。これは祭りみたいなものだから」

 とかいう理由でなんとなく付き合わせてくるザハーク。

 ジャッキールは、日中のことや儀礼的なことにまで付き合っているわけではないのだが、豪華な夕飯と、ほぼ深夜の夜明け前の朝食にだけは付き合わされる。

「だって、事情を知らぬご近所さんを付き合わせるのも悪いしな。しかし、メシが豪華になりがちで、一人でメシを食うのも味気ないし、一人で食ったら太るからなー」

 とかなんとか言うザハークだが、流されやすく、まめな性格のジャッキールは、結局夕飯を作るところから担当させられてしまいがちなのだった。もちろん、ザハークもそれなりに準備はしてくるのだが、それ故に、なんだか食事量が多くなる。

「何故、夜明け前に叩き起こされて、メシを作らねばならんのだ」

 ようやく朝食用の焼き菓子とスープなどを作り終えて、とりあえずの焼き菓子を口に運びつつ、ジャッキールはぼやく。

 こんな時でも、寝起きでも、甘いものはうまい。そんな甘党のジャッキールだ。

 寝覚めの……といっても料理した後だからそこそこ目は覚めているが、朝の甘味も彼にはなかなか幸せな刺激になる。顔には出していないつもりだが、巻き込まれながらも朝の甘味にだけは満足してしまうジャッキールなのだった。

「そういうな。お前、叩き起こさなくても夜明け前には起きてくるだろう。どのみち起きるんだから問題ない」

 年寄りは早起きだからなーと、多分、ひとつか二つしか違わないはずのザハークに言われる屈辱。

 老け顔で悪かったな、と思う一方、髭男のザハークに若さで負けているらしいことに気づいて、思わず発言を自粛してしまうジャッキールだった。

 確かに長屋の人たちにも、ザハークの方が年下だと思われている形跡がある。いや、実際にジャッキールの方が少し年上なのだが、何故だ。

(みなは、何故、俺の方が年上だとわかるのだ)

 そんなジャッキールの悩みも知らず、ザハークは朝食にのんきに舌鼓を打ちつつニヤニヤしていた。

「貴様は仕事していたほうが元気になるやつなので、俺が仕事を与えてやっているのだ。そうでないと、すぐ死にたがるだろう?」

「は? 何を言うか!」

 ザハークは、正直何を考えているのかわからない。精神的に不安定なところのある自分を心配をしてくれている形跡もあるが、それをダシにうまく使われているような気がしないでもない。

 早朝からモヤモヤしてしまう悩み深いジャッキール。モヤモヤを飛ばそうと、ついついジャムが大盛りになってしまう。

 そんな彼にふと何を思ったのか、

「しかし」

 とザハークはいって、じっと彼を見た。そして、しばらく無言で凝視。

「なんだ?」

「いや、その」

 ジャッキールに問われて、ザハークは、何故か珍しく言い淀む。

「なんだ、はっきり言え!」

「いや、流石の俺も気を遣っていてだなあ。傷つけてはならんしー」

 思わせぶりに言われて、ジャッキールがむっとした。

「誰が傷つくだと? 俺がそんなヤワな人間に見えるのか」

「いや、見えるから言っているのだが」

 ザハークは、うーんと唸って腕組みした。

「まー、そこまで言うからには良いか」

 とザハークは、髭をいじってから真面目な顔で言った。

「エーリッヒ、貴様、少し太ったんじゃないか?」



 王都はカタスレニア地区の早朝。

 砂埃で霞んだ街は、朝の陽光を受けてぼんやりと輝く。

 その片隅の木箱の中からもそもそと起き上がった、青い布切れのようなものが、大欠伸とともに伸びをする。

「あー、やべー。昨日飲んだ挙句に、路上で寝てたわ」

 シャーはまだ眠いらしくあくびをしながら、その三白眼の目を瞬かせた。

 シャーぐらいになると、狭い木箱で寝ようが大して体が痛くならないらしく、まったく平気。先ほどまで、理解し難い姿勢で半分木箱に入って、猫のような姿勢で寝ていたのだが、全く平気のようだった。

 そして、やはり猫みたいにもう一度伸びをした後、彼は珍しく顔を曇らせた。が、別に体が痛いわけではない。

「寝るのは構わないんだけど、酒場の近くはまずかったなー。こんなとこ見られたら、リーフィちゃんにだらしない朝帰り野郎だと思われちゃう。気をつけないとなあ」

 もう今更だと思われることを呟く。

 酒場の近くだと何かの時に通りがかりのリーフィに見られたり、起こされたりする。リーフィは、もうシャーの性格など知っているけれど、それでもちょっとは格好つけたいお年頃なのだった。

「さて、帰って二度寝しよっと」

 ぱんぱんと砂を払って歩き始めた時、ふと、どこからか奇声を聞いた気がした。

 うおお、と声を上げつつ、砂煙を上げながら早朝の街を全力で走っている男がいる。

「うわっ、何あれ。不審者?」

 見知らぬ不審者ならシャーも、絡まれなければ見なかったことにする。王都は人口が多いので、色んな人間がいるものだ。木箱で寝ていたシャーとて不審者みたいなものなので、人の言動に口出しするつもりはないのだが、なんだか見覚えがある男だった。

 シャーは慌てて声をかける。

「ちょっ、ダンナでしょ! 何してんの」

「むっ!」

 慌てて近づいて声をかけると、走ってきた不審者はやはりジャッキールだった。立ち止まったジャッキールは、戦闘時のような姿ではないにせよ、鎖帷子着用で剣を背負っている。そこそこ気合が入っている。

「なんだ、お前か。珍しく早いな」

「おはようだけどさー。お前かはいいけど、ダンナ、何してんの? なんかヤバいのキメてんの?」

「何を言うか! 俺は体が鈍らないように、鍛錬に励んでいる!」

「あ、ああ、そうなの? え、偉いね、ダンナ」

(それにしてはキレすぎなんだけど)

 と突っ込もうとしたが、目が怖いのでそれ以上はやめる。

 成人男子は帯刀することが多いので、剣を背負っているのは良いとして、鎖帷子についてはただの重しなのだろうか。

 この気合の入りようは、明らかに何かしらあったのに決まっている。

「い、いや、ほら、早い朝じゃん。まだ体起きてないんだし、あんまり張り切りすぎて、転んだりしないでよね」

「失礼な! 俺は鍛錬された傭兵なのだぞ! 街で走って転ぶようなことはない」

(いや、焦った時、結構転んでたりするじゃん)

 ジャッキールは、普段はこれでちょっと天然ボケなところもあるのだ。そして、ついでに言うと鈍臭いところもある。

 それを知っているシャーであったが、やはり目が怖いのでそこに突っ込むのはやめた。

「貴様こそ、飲んだくれてばかりでは、体が鈍るぞ! 早朝の鍛錬に参加したいならいつでも言ってくれ」

「えー」

(それは面倒すぎる!)

 思わず飛び出す本音をしまいこみ、

「そ、そうだねー。機会があったらね」

「ではな! 俺は忙しい!」

「じゃ、頑張ってねー」

 時間が惜しいといいたげに走り出すジャッキールをシャーはそう言って見送る。

 ジャッキールは、そのまま早朝の砂漠の街を走って行ってしまった。

「何あれ。謎に気合入ってるけど」

 ぼんやりシャーが彼を見送っていると、

「おっ、三白眼小僧ではないか。早いな!」

 と声が聞こえた。

「あ、おはよ。蛇王さん」

「うむ、おはよう」

 振り返ると、そこにはザハークが立っている。このところ、ザハークは飲食を断つ都合もあり日中にあまり見かけない。シャーもザハークがジャッキールを夕飯と朝食に付き合わせているのは知っていたが。

「どうしたの、アレ」

「いやまあ、恐れていた事態に」

 ザハークは呆れたように目を細めた。

「あー、もしやアレ。最近の蛇王さんの早朝メシに付き合ってて……、あーねー、そういやちょっと……」

 シャーはぼんやり呟いた。

「えー、でも、蛇王さんは、夜中に食べてても全然変化ないじゃん。ダンナは甘党だからかな」

「俺はこう見えて、そういう体質なのだ。それにしても、エーリッヒのやつと来たら、やっぱり気にするー」

 ザハークが遠い目をして首を横に振る。

「別にちょっと太るくらい、いいんじゃないの、あのダンナ」

「俺もそう思うんだがな」

「元々痩せ気味くらいなんだしー、気に病みすぎなんだよねー」

 シャーはそう言って、ふとあくびをした。

「まあ、よいやー。そのうち元に戻るでしょ。過激な減量に走り出したら止めてあげよ」

「そうだな」

 シャーは、目をしょぼしょぼさせつつ、

「蛇王さんはどうするの?」

「もうどうにもならんし、帰って二度寝する」

 ザハークはすっかり諦めたらしく、さらっと切り替えたようだ。

「それいいね! やっぱ、朝の二度寝の幸福感はたまんないよね」

「そうだなー」

 気合の入ったジャッキールを置き去りに、彼らはねぐらに帰るべくまったり歩き出すのだった。

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カタスレニア奇譚:シャルル=ダ・フールの王国番外編 渡来亜輝彦 @fourdart

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