第4話『人形』

 給食を食べるのが遅くいつまでも残っている生徒や、いつも体育の授業を見学している生徒。季節の変わり目には風邪をひき三日くらい休む生徒。

 この手の生徒は大抵どこのクラスにも一人くらいはいただろう。

 芽衣はこの三つを見事に満たしていた。

 コンプリートガールだった。

 しかも悪いことに、当時の芽衣の身長は日本人平均よりも少しばかり小さかったということもあり、更に周りから馬鹿にされることになった。

 芽衣は馬鹿にされる言葉に事欠かなかった。

 一つ一つ上げていけば枚挙の暇がないほどだ。

 今ではそうでもないが、昔の芽衣はどの言葉にも深く傷つけられていた。

 大きくなろうと努力しようにも、こればっかりはどうしようもない。

 芽衣がいなくなったのは五日前だった。

 雨が降っていたことを覚えている。

 あまりにも唐突な出来事に俺は中々信じられなかったが三日経ち、四日経つに連れ、この世から芽衣がいなくなったことを嫌でも実感させられた。

 それは当たり前だった。

 芽衣と会わないのだから。

 もちろん俺の家にも来ない。

 携帯電話にも出ない。

 学校には芽衣がいなくなってから行っていないのでわからないが、いるわけがない。

 とにかく何処にもいないのだ。

 改めて実感させられる。

 無理矢理に実感させられた。

 現実を。

 芽衣がいなくなったことを。

 誰も俺の周りにいなくなってしまったことを。

 なぜ俺じゃないのか。

 俺が芽衣の代わりに死んでしまえばよかったのに。

 そして俺はそんな矢先に芽衣に出会う。

 最初に抱いた感情は戸惑いだった。

 当然である。

 急にいなくなったはずの人間が目の前に現れたのである。

 死んだと正直思っていた。

 これで混乱しない人間はいないだろう。

そして次に抱いた感情は迷い。

 死んだ人間にどう対応すればいいか正直わからない。

 最終的には戸惑いと迷いの感情がミキサーでかき混ぜられるように混ぜあわせられる。

 情調不安定な俺の行動は一貫性を失った。

 嬉しいのに嬉しい感情を出せない。

 怒りたいのにどう怒ればいいかわからない。

 泣きたいのに泣き方もわからない。

 表情の作り方も忘れてしまった。

 自分がロボットや人形にでもなってしまったかのようだった。



                 ※



 芽衣は部屋の真ん中に無言で座り込んでいた。

 俺は芽衣の背後にあるベッドに腰を下ろすとそのまま身体を横たえる。とても何かを話す気にはなれなかったからだ。

 芽衣も俺の気持ちを察してかどうかは知らないが、背中を向けたまま微動だにしない。

 芽衣の背中を俺は何をするともなく見つめる。

 動かない、ピクリともだ。

 いや、正確には呼吸をするたびに規則正しく動いてはいるが、それ以外に派手な動きはない。

「むにゃむにゃ、お母さんもう食べられないよぉ」

「……そうだな、お前はいつも食べ過ぎる。って、寝てんじゃねえよ」

「……あ、ごめんごめん、最近寝てなかったから」

「永眠してたんじゃないの!?」

 正真正銘、芽衣は幽霊である。

 その正真正銘、混じりけなしの幽霊であるところの芽衣に対して、

「とりあえず帰れよ、家に」

 感情のない声で芽衣に放言する。

「そんなご無体な。せっかく来たんだから相手してよぉ」

「そう言う割にはさっき寝てたじゃねーか」

「完全な狸寝入りだって」

「寝言も言ってたが?」

「狸言葉……かな?」

 なんでも頭に狸って付けりゃあいいってもんじゃねーんだぞ。

 確かに芽衣は昔から単純なところがあったが、人というのはここまで変わらずに成長できるもんなんだな、と変に感心してしまう。

 身体は別として精神は俺が会った時と寸分も変化してないんじゃないか、と疑いたくなるほどだ。

 ただし、俺の前以外では出来た人間といった言葉がピッタリな人間だった。責任感と正義感を全面に出し、模範的な生徒。クラスの担任が芽衣の通知表にそう書いていたがまさにその言葉通りの人間だった。

 俺としては学校の芽衣は冗談抜きで別人なんじゃないかと、つい疑ってしまう。

「とにかく帰らない、というか、帰れないという方が正しいかな」

「確かに脚がキャタピラになってるから帰れそうにはないな。階段とかつらそうだし」

 俺は机の上から空になったペットボトルを掴み取り、ラベルに書いてある成分表に視線を這わせる。

「ちょっと会話が適当すぎだよ。なんでちょっと会話に飽きたみたいな空気出してるのかな」

 俺の手からペットボトル奪い取り、それをゴミ箱の中に収納するように丁寧に捨てた。

「いや、飽きてはない、ただ、いい意味でな、いい意味で面倒くさいなーっと思って」

「いい意味って言葉を入れても人は結構傷つくんだよ? 真面目に聞いてよー、私、地縛霊になったんだよ、多分」

 今、気がついた。

「お、おう、せ、せやな」

関西弁は使い勝手が良い。

「……」

 部屋が授業参観日の小学校の教室のように静かになった。

「そ、そう言えば、いつも持ってるお母さんはどうした?」

 沈黙に耐えられなくなった俺は苦し紛れに話題を変える。

 持っているという言葉から想像できるだろうが、俺の言っているのは芽衣の実の母親のことではない。 

「これかな、もちろん持って来てるよ。私とお母さんはいつも一緒」

 カバンからクマのぬいぐるみを取り出す。

 色はオーソドックスな茶色で三十センチ程度の大きさだ。一見、どこにでもありそうな、冷蔵庫を開ければ麦茶があるようにありふれたクマのぬいぐるみだが、目を引くところが一箇所だけあった。

 二箇所でも、三箇所でもなく、わかりやすく一箇所だけ。

 だけど、その一つの個性は明らかに異常であった。

 目隠しをされていた。

 ヘアバンドを目のところまで下ろされたクマのぬいぐるみは、外の世界を見ない。見られない。

 芽衣にお母さんと呼ばれているクマのぬいぐるみは、現実世界と隔絶されていた。

「お母さんも圭君の部屋に来られて喜んでいるよ、ねえ、お母さん」

 目隠しをしているクマのぬいぐるみに話しかけるその姿は、ちょっと身体に悪い薬をやって火星まで頭が飛んでいっているようにしか見えない。

 だけど俺はいつもどおりに対応する。

 まるで何も見なかったように。

 自然に。

 だけど、どうしようもなく不自然に。

「死んでも手放さないなんて余程大事なんだな」

 芽衣はぬいぐるみや人形を集めることを趣味としていた。

 そのぬいぐるみ一つ一つに名前をつけているのも趣味の一つと言えよう。

 小さい頃に何度か芽衣の部屋に行ったことがあるが、そこにはたくさんのぬいぐるみと人形が部屋を所狭しと埋め尽くしていた。

 今、芽衣が手にしている目隠しされたクマのぬいぐるみ然りどれもこれもが持ち主とは違い、個性を放っていたがその中でも一際目立った人形があった。

 木で出来たピノキオの人形。

 目に付いた理由は一メートル以上あっただろう大きさもそうだが、俺が今まで見た 人形のどれよりも精巧で、どのような技術を使っているのか分からないが手足なんかは本物の人間に見えたほどだ。

 だけど、俺がその精巧さよりも首をかしげたのは、そのピノキオは鼻が短かった。

 精巧に作られているだけに、鼻の短いピノキオは違和感が大きい。

 ふさふさの尻尾のない猫や、堅い角のないサイのようだった。

 そのピノキオは個性を無くすことで個性を出していたのだ。

 だから、今でも俺はそのピノキオをよく覚えている。

 なんとなくその理由を尋ねると、この子は嘘を吐かないから鼻が短いの、と呟く。 俺の目を見ず、俺に背を向け。

 誰に言うのでもなく、誰に聞かせるのでもなく、ただのヒトリゴトのようだった。

「当たり雨だよ。自分のお母さんを大事にしない子供はいないし、子供を大事にしないお母さんもいないよ」

 そうだよな。

 そうだといいな。 

 矛盾。

 もし口に出せば芽衣に笑われかねないが、芽衣の言った言葉は俺にその二文字を連想させた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

引きこもりを外に出す108の方法 クロ @ugu062

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ