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空を覆っていた雲の大部分が、いつの間にか流れ消えて行き、空には、十三夜月が姿を現し、その明るい月光が辺りを照らし始めた。
私の目の前に見えるもの。あれが一体なんなのかは、正直言って分からない。が、おそらくあれは、鬼なのだと思う。どうして、鬼だと断定しないかというと、その容姿が、絵巻物などで見るそれとは大きく異なっているからだ。
それなのに、どうして私がそれを鬼だろうと仮定したかというと、頭に二本の角が生えているからである。逆に言えば、それがなかったら到底あれを鬼と認識することはできなかったと思う。なにしろ、カラスのような漆黒色の全身からは、陽炎のようなものが立ち上っており、角が生えている顔を見ても表情が全くわからない。なにせ、口や鼻などといった、動物の持っている喜怒哀楽を表現するパーツがないからだ。あるのは、
その得体の知れない塊のずっと手前。私達の方へと向かって走ってくる少年の姿があった。日中に見た服装。私達が探していた裕太君である。
── ソコ 二 イタノカ コゾウ ──
私達が使う、空気を振動させることで相手に伝達を行う、口話とは明らかに違う、不思議な声が頭の中で響き渡ったかと思えば、その目を鈍く赤黒く光らせ、ものすごい勢いで裕太君の元へと襲いかかっていった。
鬼の全身から出ている陽炎のようなものの影響なのか、動きに合わせて周りの空間が歪んでいるように見える。例えるなら、小学校の頃、給食で出た牛乳瓶の底から覗き込んだときに見た視界にそっくりなのだ。
その非日常的な現象を目の当たりにしたことが原因なのか、はたまた、恐怖によるものなのか分からないが、今の今までこちらに向かって走っていた裕太君が、まるで金縛りにあったかのように、その動きを止めてしまった。
「にげて!」と、私がその言葉を音として口から発するよりも先に、基兄が、背負っていたリュックサックを投げ捨て、裕太くんの元へと駆け出していった。
裕太君という目標に向かう人と鬼との徒競走が始まった。目標までの距離は、圧倒的にこちら側からのほうが近かいというのに、裕太君の元にたどり着いたのはほぼ一緒だった。
運が良かったのは、鬼が、裕太君を捕まえようと右手を大きく振り上げたことだ。そのタイムラグ分だけ、一足早く基兄は裕太君を確保することに成功した。
カカシのようになってしまっている裕太君のやや斜め後から、トップスピードの勢いそのままに抱きしめると、それは、決死のトライを決めるラグビーの選手の如くダイビングすると地面の上を転がっていった。それから数秒遅れ、捕獲する目標を失った鬼の右拳が地面へと打ち付けられる。その衝撃は凄まじいもので、50m近く離れている私の足に揺れを感じる程だった。そんな衝撃なのだから、震源地の直ぐ側で転がっていた二人は、再び転がる勢いを取り戻し、何度か転がり続けて止まった。
「ひ、ひ、ひえぇぇぇぇ…… ほ、本当に、こ、この村に、お、お、お、鬼がいたなんて……」
崩れ落ちるように地面に座り込む村長さん。まるで、鬼に生気を奪われたかのように顔面蒼白で、口から発せられる言葉の端々は震えている。
「本当にこの村に鬼がいたって、どういうことですか!?」
私のその問いかけに、ガチガチと歯を震わせながら村長さんが答える。
「む、村の言い伝えで、あの針を取り返しに、お、鬼がやって来るというのが、あ、あるんです。なんでも、その時この寺に居た住職が鬼を退治してくれたおかげで、村人は助かった。という、は、話が、あってですね!」
「どうして、そんな大事なこと早く言わないんですか!!」
「そ、そ、そんなこと言われたって! 普通、鬼だとか妖怪だとかなんて、迷信だと思うじゃないですか!!」
夢見小僧の話の中では、鬼と対峙した小僧は機転をうまく利かせ、鬼の住む場所から脱出していった。おそらく、その時の鬼が諦めずに小僧を追いかけており、その場所を突き止めたということなのであろう。つまり、基兄の予想は正しかったのだ。この地において夢見小僧という話は、昔話ではなく、事後に起きたことすべてを含めて伝説話だったのだ。
それじゃ、どうして今頃になって鬼が再び現れたというのだろうか。
「おそらく、この寺に置かれていた仏像などを、別の場所に移したことで、退治されたはずの鬼が復活した。と考えるのが自然という感じですかね。」
裕太君を背中に隠すようにして、基兄は立ち上がった。
「さて、どうしましょう。「針を持ち逃げしてごめんなさい。」って、謝って許してくれそうな相手じゃなさそうですよ。」
自身が起こした衝撃で舞い上げられた砂埃によって、鬼は視界を奪われているようで、辺りをキョロキョロ探し回っている姿がシルエットとして見える。
「先生! あいつ、俺に「夢を教えろ」って言ったんだ! だから、俺の夢を教えたら、きっと居なくなってくれるとおもう!!」
基兄の後ろにいた裕太君が、基兄の前へ出てきて声を上げる。が、基兄は首を横に振って答えた。
「それはいけません。誰かに夢のことを教えたらおまじないの効果が消えてしまいます。お母さんを助けたいなら、絶対に話してはいけませんよ。」
「俺、お母さんが助かるんだったら、鬼に殺されてもいいから!! 先生、この針の使い方知ってるんだろ!? このままじゃみんなあいつに殺されちまう!! だから、俺の代わりに、お母さんを助けてやってくれよ!」
裕太くんの頭を、二度、三度、ポンポンと叩くと、
「あなたに、もしものことがあったら、お母さんは絶対に悲しみます。それに、夢の中では、あなたがお母さんを助けたのでしょ? だったら、自分の手でお母さんを助けてあげることだけを、今は考えていなさい。」
「基兄!!危ない!!」
粉塵が晴れ、背後にいる二人の存在を視認した鬼は、まるで、雪の下にいる小動物を捕獲するために空高く跳ね上がる狐のように、天高く跳ね上がっていった。
── コゾウ ユメ ヲ オシエロ ──
基兄は、裕太君を抱きしめると、鬼の着地地点とされる現在地から助走をつけてダイビング。それから数秒遅れて鬼が着地すると、その衝撃で二人はさらに吹き飛ばされ転がっていった。鬼の周りには、衝撃で飛び上がったと思われる小石などがバラバラと降り落ちてくる。鬼の足下の地面をよく見てみると、直径1メートル程のクレーターが生成されていることがわかった。もし、あれを直撃していたらと考えると、即死なんて生易しいものでは済まないことは一目瞭然である。おそらく、その肉体は原型を留めることなく、単なる肉片と化しているであろう。
すくっと立ち上がった鬼の目が細長く変わり、基兄の方を向く。
── ニンゲン コゾウ ヲ ヨコセ ──
鬼の言葉に対し、立ち膝から右足を一歩前に出して、立ち上がろうとしていた基兄は、
「それは、出来ない相談ですね。残念ですが、裕太君を貴方にあげるわけにはいきませんのでね。」
と、笑みを浮かべながら答えた。
一緒だ。以前、菜穂と一緒にテっちゃん探しに言ったとき見せた、あの時の顔と。あの時は、「たまたまそういう風に見えただけ。」とか腑に落ちないことを言っていたが、やっぱりあれは、偶然なんかじゃなかったのだ。
── ジャマ ヲ スルナラ コロス ──
鬼の全身から発せられていた黒い陽炎の勢いが増すと、空高く挙げられた右手ヘドンドンと集められていく。
「裕太君。村長さんの方に、振り返らず全力で走れるね。」
「せ、先生はどうするんだよ!!」
集まった陽炎は次第に実態を帯びはじめると金棒のような形へと変貌を始めた。
「とりあえず、今から考えます。」
── シネ ──
丸太ほどの太さになった漆黒の金棒が、勢い良く振り下ろされる。
「走れ!!」
そう言うと、私達のいる方向に向かって、突き飛ばすかのように裕太くんの背中押し、その反作用を利用したのか、今まで見た中で一番の跳躍で裕太君とは、反対の方向へとダイビングしていった。
古今日本御伽話 黒猫チョビ @K-Yuna
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