黒狼はニンゲンが嫌い

精力善用国民体育の型

黒狼はニンゲンが嫌い

 我はニンゲンが嫌いだ。ニンゲンは卑怯で、強欲で、脆弱だ。


 誇り高き漆黒の魔狼である我は、屈辱的なことに、幼き頃よりニンゲンに育てられた。


 崖の上にあった巣から兄弟の嫌がらせにより落とされた我は、瀕死のところをニンゲンの子供に連れ去られたのだ。


 いかに我が幼かったとは言え、その子供が抱えるには我は大きすぎた。子供はメスであるらしく、さらに非力であった。しかし強欲なるその子供は、崖下の森のから我を運び出し、自らの住処に拉致したのだ。

 道中何度も転び、膝や手を擦りむきながら、時には獣に追われながらも、子供は我を抱え、決して離さず、走った。

 なんたる強欲。


 必死の抵抗も虚しく、我は治療され、温かい食い物を口に押し込まれた。

 そして我は気を失った。


 目を覚ますとニンゲンに囲まれていた。先程の子供の他に、その子供より小さきオスの子供が一人と、つがいであろう大きなニンゲンが二人。顔をほころばせて我を見ていた。

 わらうがいいニンゲンよ。誇り高き魔狼たる我の落ちぶれたさまを。


 ニンゲンたちは嘲笑あざわらった顔のまま、次々と我の頭に汚らしい手のひらをなすりつけてくる。どんなに避けようとも御構いなしだ。その手のひらから伝わる体温が我を侮辱し続けた。


 怪我が完治した後、我は日に数度、その家のある村のなかを歩かされた。

 村のニンゲンに見世物にされるのは屈辱的ではあるが、動かなければ身体は衰えるし、家の中で排泄をして我の住環境を悪くするわけにもいかない。

 我と我を拉致した娘が村を歩いていると、老若男女問わずニンゲンが寄ってきて、我の頭に手のひらの熱をなすりつけて侮辱してくる。

 良いだろう、ニンゲンどもめ。今のうちに優越感に浸っているといい。我の傷が癒え、充分に成長した時、貴様等は後悔するだろう。

 それからというもの、村の中を歩くたびに、我と娘は声をかけられ、時には食い物を与えられた。施しを受けることは屈辱だが、我が大きくなるためには必要だ。甘んじて施されてやろう。


 我の傷が癒えると、娘は我を様々なところに連れ回した。

 草原では我を追い回し、花が沢山咲いているところではその花で冠を作り我の頭を拘束した。さらには川では我を水攻めにした挙句に、薄っすら花の臭いのする泡を我に擦り付けた。我は身体を震わせ、水しぶきを娘に浴びせることでささやかな抵抗をしたのだが、娘は我を嘲笑わらうのをやめなかった。


 ある夕暮れのこと、娘が走って帰ってきた。


 どうやら子供の群れの中でいさかいを起こしたらしい。尻尾を巻いて逃げ帰ってくるとは、さすが卑しき拉致犯ではないか。

娘は自分の部屋に駆け込むなり、部屋の隅で泣いた。喚くでも暴れるでもなく、静かに涙を流していた。


 我はあざけるためにそばに寄った。ザマはない。弱きニンゲンの娘が。

 我は娘の涙を舐めた。少ししょっぱいが、喉が乾いていたのでちょうど良い。水源があるのならば使わせてもらうまでだ。

 そこから動かないならちょうどいい。我の背もたれにしてやろう。

 娘が泣きやむまで、我の水分補給と娘を背もたれにする時間は続いた。

 そのうちに、娘は我を拘束したまま泣き疲れて眠ってしまった。拘束されては仕方がない。屈辱的ではあるが、我も娘とともに眠った。


 その翌日の夕暮れどき、帰ってきた娘は笑顔であった。それでいい。我に喰われるまで、ずっと嘲笑わらっているがいい。


 そんな生活が数年続いた。我は大きくなり、後ろ足で立てば、その視点の高さは拉致犯一家の長たるオスと同等となった。

 そしてそのニンゲンの一家にはもうひとりオスの子供が増えていた。

 我を拉致した実行犯たる娘は子供ではなくなり、村の若きニンゲンのオスから沢山の発情した視線を向けられている。どうやらこの拉致犯はニンゲンのメスとしては魅力的なようだ。


 この頃になると我はひとりで村の外へも散歩へ出るようになっていた。施しを受けてばかりも我の誇りが許さず、己の食い扶持を狩るとともにニンゲンへも施しを与えることにしていたのだ。


 ある日、狩に夢中になりすっかり遅くなってしまった。既に日は沈みきっている。しかしその甲斐があり、大きな鹿を捕らえることができた。ふふっ。ニンゲンよ、我をあがめるがいい。


 大きな獲物を引きずるのに苦労はしたが、我は上機嫌で村へと向かった。

 しかし様子がおかしい。日は沈んでいるというのに村の方角が明るい。夜に煌々こうこうと松明を灯す祭りの時期はまだ先のはずだ。

 嫌な予感を覚え、我は獲物を置いて走った。


 必死に走る。森の木々が邪魔だ。枝が我の毛皮を削るが構っていられない。ひたすら走る。焦げ付いた臭いが鼻につく。

 ようやく森が開け、村の入り口が見えた。


 村が、燃えていた。


 我は村に駆け込んだ。

 あちらこちらから悲鳴が聞こえる。

 早く、早く、あの一家の元へ。


 見知った村人が悪臭を放つ男に追いかけられていた。

 邪魔だ。我は悪臭へ向けて前足を一振り。悪臭は地面を転がり、動かなくなった。


 家への道すがら、そんなことを数度繰り返した。

 やがてそれを見ていた別の悪臭が叫ぶ。


「魔物が出た! 遊びはやめて撤収だ!」


 悪臭は去ったが村人の泣き叫ぶ声はやまない。炎も、止まらない。


 家に着くとドアは開け放たれていた。

 ここにはまだ火の手は届いていない。

 我は入り口から中へ入った。

 すぐに家長と娘の弟が見えた。農具を手にしたまま寝るとは恥知らずな。

 その奥には家長の妻と末の子供が床に寝ていた。まだ寝る時間には早いではないか。なんたる怠惰。


 違う。


 死んでいる。

 家長と弟は妻と末の子供を守るために戦って死んだ。妻は末の子供を守るために死んだ。末の子はそれも虚しく……。

 そのとき、末の子供が目を開いた。焦点は合っていない。


「おねえちゃ……さらわれ……たすけ……」


 末の子はそこで力尽きた。

 娘は攫われたのか。殺されたのではなく。

 死の間際に命乞いではなく、姉の身を案じるとは……。この家族はこれだから……。

 命がけで我を救った娘といい、さして裕福でもないのに我を養った一家といい。なんて愚か。なんて脆弱。


 しかしこれで。

 はははは! 我は自由だ!

 何者にも拘束されず、誇りを取り戻せるのだ!我は、自由だ!

 ……我は……じゆうだ……。

 ……。

 ……。

 ……誰が。

 誰がやった!! 誰がこのニンゲン達の笑顔を奪った! 温かい食事を奪った! 優しさを、温もりを、命を、誰が奪った!!

 あの悪臭どもか! この我から逃げられると思うなよ、ニンゲンよりも醜悪な悪臭ごときが!


 娘だけでも、死なせてなるものか。


 我は家を出て臭いを辿った。反吐が出そうな臭いだ。

 村の中ではまだ泣き叫ぶ声がやんでいない。しかしそれどころではない。我にとって最重要なのはあの娘なのだから。


 臭いは我が狩をしていたのとは反対の森に続いていた。

 走る。走る。走る。


 悪臭の一団に追いついた。十数匹程度か。娘はどこだ。我は木や下生えに身を隠しながら気配を探った。

 娘の気配はない。匂いもない。


「まったくよ、魔物が出るなんてツイてねーな」

「血の臭いに誘われて出てきたか? なんにしても、若い女どもを攫ってさっさとアジトに引き返したオカシラに、着いて行けばよかったな」

「殺し足りねー奪い足りねーって騒いでたのはお前だろうが」

「まあ、そりゃ違いねーがな」


 悪臭たちは下品なわらい声を上げた。


 分かった。もういい。コイツらに用はない。

 我は身をひそめるのをやめて悪臭たちの前に姿を現した。同時に前足を一振り。先頭を歩く悪臭の首を飛ばす。

 悪臭たちは慌てふためいた。あるものは腰を抜かし動けず、あるものは武器を抜いて闇雲に振るい、あるものは逃げようとした。

 我は誰一人として生かして帰す気はない。

 逃げる者から先に、次に武器を振るうもの、最後に腰を抜かしたものを順に殺した。


 殺し終えたのを入念に確認し、我はこの一団が向かっていた方角へ走り出した。


 臭いは残っている。追える。


 しばらく走ると壁が見えた。壁沿いに視線を動かすと、洞窟の入り口と、その入り口を見張る悪臭が二匹。

 ここが奴等の住処すみかか。


 我は身を潜め近づき、瞬時に見張りの二匹を殺した。音も立てず、声も上げさせないままに。闇は我の漆黒を隠す。戦闘になどならない。狩ですらない。


 洞窟に入ってからも同じこと。闇に潜み、悪臭を発見次第、瞬時に殺す。

 奥へ奥へと進む。悪臭に隠れて感じられなかった娘の匂いを、やっと感じた。近い。


 洞窟に似つかわしくない扉が目に入った。扉の向こうからは悪臭どものわらい声と、ニンゲンのメスのすすり泣く声が聞こえる。匂いから、娘もここにいるに違いない。


 我は体当たりで扉を破り、中へ入った。

 わらい声もすすり泣きも止まり、沈黙に包まれた。


 我は素早く状況を確認した。

 我が十全に動けるほどに、部屋は広い。

 壁には鎖で繋がれたらニンゲンのメスが十人ほど。村で見知った顔の他にも何人かいる。

 部屋の中央で二十匹ほどの悪臭が酒を飲んでいる。

 奥にはひときわ身体の大きい悪臭。これが親玉か。

 親玉の両脇にはニンゲンのメスがおり、酌をさせられていた。右側。いた。娘だ。


 我に返ったのが一番早かったのは娘だ。驚愕に開かれた目からは涙が溢れて、我を抱きしめようというように両手を突き出した。


「アオーーーン」


 我は吠えた。


 まだだ。まだ届かない。もう少し待て。

 泣くな娘。我が喰らうまで笑っていろと言ったはずだ。


 泣かせたのは誰だ。コイツらだ。悪臭ども。


 我は蹂躙した。狭い部屋ならともかく、動きを阻害されないならばなんびとも我に触れることなどできぬ。

 我に刃を届かせることなどできぬ。


 爪で、牙で、我は悪臭どもを屠っていった。返り血が我の漆黒の毛皮を染めてゆく。


 ほとんど全ての悪臭が戦闘不能になったとき、親玉が動いた。

 娘の腕を掴み、首元に刃を向けたのだ。


「おい、獣! お前、この娘を助けにきたな? この女だけがお前を恐れていない。そしてお前はこの部屋に入ってからずっとこの女に気を配っている。違うか? ああ!?」


 悪臭のくせに頭が回る。

 我は威嚇のために唸り声を上げながらゆっくりと距離を縮めていった。


「おい! いいのか? こいつを殺すぞ?」


 我はそれでもゆっくりと歩を進めた。

 親玉は怯え、娘を盾にするように前に突き出しながら喚いた。


 ひと跳びで襲い掛かれる距離に入った次の瞬間、我は顎門あぎとを開いて娘に跳びかかった。

 驚愕し硬直する娘。悲鳴を上げて後ろに転ぶ親玉。

 我の顎門あぎとはしっかりと娘の胴を捉えた。娘の四肢は操り人形の糸を切ったかのごとく弛緩した。


「く、喰いやがった! 助けにきたんじゃなくて喰らいにきやがったのか!?」


 うるさい。我は娘を咥えたまま前足を振るい、親玉の頭を破壊した。


 我は娘を地面に下ろしてその顔をひと舐めした。涙でドロドロではないか。なげかわしい。


 怪我はないだろう? 我がお主の身体に牙など立てるものか。


 我は座って、娘を見続けた。

 横たわったまま放心していた娘は、ややあって正気に戻り、周りを見渡し、自分の腹を数度さすってから、我と目を合わせた。


 娘は我に手を伸ばそうとして、やめた。その手は、震えていた。

 我が怖いのか。怖かろう。この惨状を作ったのは我だ。娘の腹を喰らったのも我だ。


 我は目を伏せ、その場を立ち去ることにした。

 娘に背を向け、歩き出そうとしたとき、掴まれた。尻尾を。


「キャン!」


 驚きのあまり声が出てしまった。何をする娘よ! 我が誇り高き尻尾を掴むなど!

 我が立ち止まると、背後から首に抱きつかれた。まるでのしかかるようにして。

 我は返り血で汚れている。お主も汚れてしまうではないか。


「い、行かないで!」


 我が怖かろう?


「怖くないから! 驚いただけだから!」


 我はたくさん殺した。村でも、悪臭を何匹も殺した。もう一緒にはいられんだろう。


「あなたは悪くない! 助けてくれただけ!」


 しかし……。


「ひとりに、しないで! お父さんも、お母さんも、弟たちも殺された! あなたまで、いなくならないで!」


 ……そうか、そうだよな、ひとりになってしまうのか。

 ……ひとりは、寂しいな。

 我も、さみしかったのだ。お主に拾われたとき、あのまま、ひとりで死ぬのかと思ったとき、恐怖ではなく、寂しさだけが胸にあった。救ってくれたのはお主だ。お主に救われてから、我は幸せだった。家族や村人の手は温かくて、お主と野原を駆け回っているのは楽しくて。


 良かろう、もう少しだけ一緒にいよう。

 お主がつがいを見つけ、家族を作り、ひとりでなくなるまでは。


 我は振り返り、娘の顔を見た。

 ほら、また涙でドロドロではないか。泣けば我が放っておけないとでも思っているのか、卑怯者め。

 我は「我が喰らうまで笑っていろ」と言った。なるほど、確かに先程喰らったしな。今だけは良いだろう。泣きやむまで、また喉を潤すとしよう。


 我は娘の顔を舐め続けた。

 我はこの娘が愛おしくてたまらない。

 脆弱で、卑怯で、温かい。


 だからニンゲンなんて、大嫌いだ。



おしまい

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黒狼はニンゲンが嫌い 精力善用国民体育の型 @aokikutake_nkozmurai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ