第13話 伝説と虚構

夜。食堂が閉まった後。オーサはミコに温かいミルクをいれ、自分の前にはブランデーの入ったグラスを置いた。

閉店を示す暗い店内。灯るあかりはテーブルの上、ひとつ揺れる蝋燭の炎だけ。

食堂のひと席で、二人は向かい合う。

オーサはからりとグラスを鳴らすとそれを一気に煽る。

「……黒猫族はさ、尊ぶべき一族だったんだ。少なくとも、この街ではね。…………ミコはあの日、ゴドゥムの伝説を読んだかい?」

オーサの言葉に曖昧に頷く。

「あれはね、正史じゃないんだ」

「正史……?」

「いや、その言い方は違うかね。元々ある伝説が、無理矢理改竄されたんだ。それも、二度も」

「二度も、むりやり……?」

「……そう、見えるね」

そう言ってオーサは窓の外、満月から少し離れた月を見上げた。

「どちらも政治的利用さ。最初は銀色の狐だった。そしてそれは……狼になった」

「ではこの間私が図書館で読んだ伝説は……」

「狼だっただろう?」

オーサは苦笑し、視線をミコへと戻す。

「ひどい話さね。あの伝説の元は黒猫族。最初の伝説はこうさ。月の女神と人間の恋物語。そして女神と人間の橋渡しをしていたのが月の使いである黒猫族だった。これがずっとこの街に伝わっていた話しさ」

「ですがあの伝説は、」

「月の女神様と銀狼だろう?」

オーサははっと鼻で笑う。

「……伝説を元に、ゴドゥム湖は古より黒猫族により守られてきた。けれど、ある日、不都合が生じた」

「不都合?」

「ひとつ目の不都合は、……狐だった。どうしても狐を特別視しなければならない理由が出来てしまった」

オーサはミコを見て、何かを言い淀んだ後そう、言った。

「だから黒猫族はその立ち位置を狐へと貸した。そうすることが最善と思われた。けれど……それは、返ってこなかった」

ミコは、小さく息を飲んだ。

「奪われたんだよ、今の領主に」

「領主さまに……」

領主といえば国王から直々にその領地を任されている言わば支配者である。

「黒猫族はこの街で重宝される伝説の存在だ。そのせいで一目も二目も置かれていたからね。唯一、この街で独立の許された種族だった。けれどそれは統治を外れるということ。この機にそれを正そうとしたのが領主……つまりセレアークのお偉方だった。この街の、全ての種族を統治しようと考えたんだ……その先陣を切った狼族は、彼らに同意をしセレアークの統治を考えた」

しかし、蓋を開けてみればどうだ。

「そこから黒猫族の迫害が始まった。迫害は、殺戮へと姿を変えていき不吉だなんだと理由をつけ、一人、また一人といわれなき罪で処刑されていった……そして、ついには黒猫族は、誰一人として残されなかったとされている」

「なら、あの子は、」

オーサはどこか遠くを見つめ、「あぁ、多分、本当に唯一の……」と呟いた。

「黒猫族と私は、縁が深くてね。私自身は黒猫族じゃないんだが……まぁ、付き合いがあったんだよ。……けれど、その付き合いがあった人も、黒猫族というだけで殺されてしまった」

「そんな……」

「そんなとき、あの子を見つけたんだ」

「あの子、」

「ミコが出会った少女さね」

「あ……」

「家で保護をしようとしたんさね……いや、数日は確実に家にいたさね。けれど、憲兵たちが一軒一軒家を検めることにしてね。……きっとそれを私が呼んだと思ったんだろうね」

「あ……」

「売られると思ったあの子はこの家を逃げ出した」

「まさか、」

「その日、憲兵たちが帰った後、あの子の部屋を覗くと既にそこには誰もいなかったんだ」

そう言ってオーサは苦笑をし、息を吐いた。

「それからあの子には一度も会っていないんだよ」

悲しそうに眉を潜めたオーサはそのまま煽るように目の前のブランデーを飲み干す。

「裏切るわけが、ないんだよ。私が、黒猫族を……」

声を詰まらせるオーサにどうして良いか分からず、ミコは立ち上がるとオーサのそばに寄り、そっとその背に触れた。

「ミコ……あんたはこれからどうするんだい?」

「……」

「明後日には王都へ旅立つんだろう?そうしなければ間に合わない。けれどその王都へ行く理由はあの子に奪い取られてしまった」

そう言うオーサの言葉にミコは困ったように頷いた。

「そうかもしれませんが……でも、王都に行かなければならない理由があります」

「理由……?」

「オーサ、さん……」

「ん?」

「もしも、あの子がもう一度ここで暮らしたいと言ったなら、受け入れてくれますか?」

ミコの言葉にオーサは驚いたように顔を上げるとミコの顔をじっと見つめる。

「そりゃ、もちろん。受け入れるけれど……」

何故そんなことを聞くのだとオーサは不思議そうにミコを見つめる。

「私、もう一度話します。あの子と……」

そう言ったミコの瞳には弱々しく、けれど確かな強さが宿っていた。

「私も、お師匠さまに捨てられたわけではありません。あの子だって同じです。一人ぼっちじゃ、ありません。だから……!」

ミコはぐっと涙を堪え、オーサを見遣る。

「教えてあげなきゃ。私だけじゃない。オーサさんもいるよって。教えてあげなくちゃ」

そうミコは呟いて、窓から覗く欠けた月を見上げた。

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