第12話 少女の叫び
どうして、と少女は声にならない声で呟いた。
黒を身にまとう少女の手がミコへと伸びる。
「どうして!」
今度はそれがきちんと音になっていた。まるで怒鳴りつけるような大きな声にミコはびくりと肩を震わせる。
「どうして!あんたは捨てられたんだ!なのにどうしてまだ旅を続けようとする?ここを出ていこうとする?」
強い力でミコの肩を押さえつける。ぐぐ、と指先が食い込み、それはミコに痛みを与える。
「……っ、い」
ミコの口から小さな悲鳴が漏れる。それでも少女はお構いなしにミコの肩を掴み続けた。
「ここにいてよ!ひとりぼっちなんだから、あんただって捨てられて、裏切られて、一人になったんだから!」
「私、は……っ捨てられていません!」
「じゃあなんであんたの師匠は出来ないことをあんたに強いたの!厄介払い以外のなにものでもないでしょう?」
「お、お師匠さまは……っお師匠さまは、私を信じてくださったのです……!私のことを、私以上に知っていたからきっと、こうやって、」
ミコの瞳にじわりと涙が浮かぶ。そうだ、と言い聞かせても人に向かってそんな風に主張をするには自信がなさすぎた。
「でも!あんたはポシェットをなくした!推薦状をなくした!占術だって当てにならない!いつまで経っても見つけられない!そんな人が王都に行く必要なんてある?」
「確かに……確かに私は、推薦状をなくしました。自分の占術を信じられなくて、推薦状だって未だに見つけられません。でも……お師匠様が私に行くようにいったから、世界を見るように言ったから。私は、王都に行きます……!」
「……っ」
そう言い切ったミコの言葉を聞いて少女は表情を歪めた。少女の手からゆるゆると力が抜けていく。
「そうやって期待して、裏切られたことにどうして気付かないの……」
そう、小さく悔しそうに呟く。
「あ、の……」
そこでミコは気づく。少女はなんと言っただろうか。”あんただって捨てられた”と言った。もしかして目の前の少女は捨てられた、ということなのだろうか。誰かに裏切られた、ということなのだろうか。
「……お願いだ、ミコ。私を一人にしないで。どこにもいかないで」
「あの、」
黒を身にまとう少女の手がミコの肩から離れる。月を象った瞳がゆらゆらと揺れる。まるでそれは涙をこらえるようでミコの心を苦しめる。
「あ、の……」
少女の手が、自らの帽子へと触れる。
「……っ」
ミコは、息を呑んだ。黒い、帽子の下から出てきたのは間違いなく、猫のような耳。色の黒いそれを見て、ミコの中にこの街へ来て最初に耳にした言葉が思い浮かぶ。
「黒猫、族……?」
「……そうだっ、私は、黒猫族だ。黒猫族の、生き残りだ……」
「……っ」
ミコは自らの足が震えるのを感じた。なぜこんなにも震えが止まらないのか分からない。その震えを抑えることができないほどそれは衝撃的だったのだ。
「……人を信じて、裏切られて、ずっと、ずっと一人で生きてきた……!でも……もう一人はいやなんだ」
黒猫の、少女は必死に涙をこらえている。
「……あんたも捨てられたなら、私の気持ちがわかるだろう?ミコ……」
「あ……、」
「これからは二人で生きていこう。一人ではダメなことも、二人でならきっと……」
それでもミコは自らへと伸ばされる手を掴むことが出来なかった。
「捨てられた者同士なら裏切りはないだろう?」
そんなミコを見て黒猫の少女は唇を噛む。
「……、あ、の」
「返さないから!」
断られることを察したのか、ミコの言葉を遮るように黒猫の少女は大きな声で叫ぶ。
「私と一緒にいてくれるっていうまで、ポシェットは返さないから!」
そこでミコは漸く、自らのポシェットが盗まれたのだということを知る。
「ま、待って、」
「私と一緒にいてくれる?これから一緒に生きてくれる?約束できる?」
ミコは小さく首を振る。なんと声を掛けていいか分からず、ただ、首を振ることしかできない。
「なら試験なんて受けなければいい!受けられなくなればいいんだ……!」
そう言って黒猫の少女は踵を返す。
「ま、待って。待ってください……!」
ミコも必死にその背を追う。走って、走って。しかし、ミコはアニマスに住まうとはいえ動物の血を引くものではない。元々体力もそんなにもある方ではない。そんなミコがどれだけ必死に追いかけようと追いつけるはずがなかった。
「あ……っ」
足が縺れる。森の中倒れこめばそのまま少女の背を見失ってしまった。
ミコはじわりと浮かんだ涙を拭うことも出来ず、立つことも出来ずに地面を掴む。爪の間に入り込んだ泥が冷たくて、転んだ拍子に擦りむいた膝が痛くて、痛くて仕方がなかった。
「ノアくん……」
そんなとき、思い出されるのは自身の幼馴染であるノアの姿だ。いつも自分の前を歩いて、倒れればその手を引いてくれた。今はその存在がいない。わかっていたことなのに、そのことがどうにも悲しかった。
擦りむいた膝もそのままにミコはオーサの宿へと帰った。
「どうしたんだい?ミコ」
いつもは夕方まで帰ってこないミコを見て、オーサは驚いたように目を瞬かせる。
「オーサ、さん……」
その顔を見て、ミコは安堵したかのように表情を歪ませる。その後、我慢していたものが決壊したかのようにぼろぼろと涙が零れ出した。
「オーサさん……っ」
ぼろぼろと泣くミコを見て、オーサは慌てて駆け寄ると視線を合わせるようにしゃがみ込み、頭を撫でる。
「転んだのかい?痛かっただろうに……」
血の流れ出す膝を見て、オーサは慌てて救急箱を取りに行こうとする。しかしミコはそのオーサの手を取りふるふると首を振る。
なにを話せばいいのか。なにを言えばいいのか。言葉にならない。
「……大丈夫さね。この時間ならまだ人もこないし。ほら、ゆっくりと呼吸をし」
食堂の奥まった席にミコを座らせるとオーサは安心させるようにその隣に座り、あやすように背を撫でる。少しの間しゃくりあげていたミコがやっとの思いで口を開いた。
「黒猫族……」
「え?」
「一緒にポシェットを探してくれた女の子、黒猫族の女の子だったんです……」
「なんだって、」
「一緒にいてほしいって。ひとりぼっちは寂しいって……」
「その子、その子は……」
オーサはなにかを堪えるように、ゆっくりと、それでも真剣にミコに問う。そういえば、とミコは思い出す。
この街に初めて訪れたとき、オーサに隠さなくていいのだと、黒猫族なのかと問われたことを。
ならばあの子は、あの黒猫族の少女は。オーサの探していた少女なのかもしれない。
どうしよう、とミコは不安になる。オーサにとって、ミコはその少女の代わりだったはずだ。また、居場所がなくなってしまう、そう思った。
けれど、ミコはその考えを頭を振り、振り払う。
出会ったばかりではあるがオーサがそんなことをする人ではないと、ミコは知っている。分かっている。
だから今自分に出来ることは、オーサを信じ少女のことを教えることだ。
「黒髪に月……月のような色ををした瞳で、黒い猫耳、で……私と同じくらいか、少しだけお姉さんかもしれません……」
ゆっくりとミコが語る言葉に耳を傾ける。
「……しゃべり方、は、はっきりとした口調で……」
ミコは濡れた目尻を指で拭う。
「あの子だ」
オーサは小さく呟いた。
「……ミコ、あの子はそれで、どうしたんだい……?いや、それよりも、ミコはどうして泣いているんだい?」
あの子の行方が気になるのだろう。しかしそれを問うよりも目の前のミコを気にかけてくれる。そんなオーサに申し訳なくなりながら、ミコは膝の上で拳を握りしめた。
「……断ってしまいました。一緒にいてほしいと言ってくれたのに、私、一人が寂しいといたあの子の手を、取れなかったのです……」
「ミコ……」
「あんな風になりふり構わず一緒にいて欲しいと願ってくれた人の手を、取れなかったのです……」
「ミコ、」
「オーサさん……黒猫族ってなんですか」
「、っ」
「唯一の生き残りだと言っていました。捨てられたと、裏切られたとも言っていました。あの子は、とても苦しそうでした……最初、顔を隠していた私にオーサさんは言いました。あの子に伝えてほしい、と。あのとき言っていたあの子は、あの、黒猫族の子のことなのでしょうか」
ミコの質問にオーサはなにかに耐えるように目を閉じる。それからゆっくりと目を開けて、少しだけ迷ったように口を開く。
「そうだよ……私はあの子を救えなかった。……黒猫族は、神の使い。だから、殺されたんだ……。国王の意で」
ミコの瞳がみるみる大きくなる。
「国王さま、の…………」
そう、呟いた言葉にオーサは悔しそうに頷いた。
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