第11話 やさしい人

日が暮れ始めた。

今日も変わらずミコのポシェットは見つからない。焦る必要はない、と何度も自分に言い聞かせる。

草葉から立ち上がり、ミコはひとつ深呼吸をした。スッと入り込む緑の空気に幾分、落ち着きを取り戻す。

「見つからないね」

そんなミコの横に立ち、少女はミコを見下ろし声をかける。

「ごめんなさい。せっかく探してくれたのに……」

そうミコが返事をすると少女は小さく首を横に振った。その表情はどこか苦しげで、見つからないことに心を痛めているのだとミコは思い、さらに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「それよりもうすぐ日が暮れる。今日ももう帰った方がいい」

「でも、」

「……視界の悪い中探したとしても探し物は見つからない」

「そう、ですよね……」

少女の言うことはきっと正しい。ただでさえ森の中の広大な湖。街頭などの明かりもなく、頼りとなるのは月明かりのみ。それも満月を数歩すぎた明かりでは少しばかり心許ない。

「今日も見つからなかったけれど、どうするの」

「え?」

「ここに残ってくれるの?」

少女の言葉にミコは息を飲む。残ってくれる、それではまるで少女がミコにここにいることを望んでいるかのようだった。

「……わからない」

「……どうして?」

ミコは自らの手をぎゅっと握りしめた。うまく伝えられるかわからない。そもそも自分の気持ちすらわからない。

「孤独ではないの?誰にも必要とされず、体のいい言い訳で追い出されてひとりぼっちにされて、捨てられたことに気づけないの?」

少女の言葉にミコは目の前が真っ暗になった。

「捨て、られた……?」

「だってそうでしょう?占術が苦手で好きではなくて、それを誰よりも近くで見ていた師匠とやらがそれに気付かないとでも思うの?」

「……っ」

ミコは歯を食いしばった。そうでもしないと今にでも涙がこぼれ落ちそうだったからだ。

ミコも考えなかったわけではない。なぜ、どうして。

ミコのことを誰よりも知っているはずの師がミコに外の世界を見るようにと強要したその理由について。

足手まといの弟子を、破門にした。

足手まといの弟子を、追い出した。

そんなわけがないと、師への愛からその気持ちを否定してきたが心の奥底にずっとあった。

その疑念を今少女に言い当てられたのだ。

ひとつ、ミコの瞳から大粒の涙が溢れた。

そんなミコを見て、少女が微かに手をあげる。その手をミコに伸ばそうとして、そして、ゆっくりとまた下す。

そんな一連の動作を見て、ミコは小さく頭を下げてその場を去った。


人の声がこんなにも安心するものなのだと言うことをミコは初めて知った。弱くなりつつある月明かりではどうにも心許なくて、溢れた涙を止めることができなかった。

擦ってしまった目元は少しばかり赤くなってしまっている。

しかし、オーサに心配をかけるわけにはいかないと、ミコはゴシゴシとさらに目を擦り、残った涙を拭い去った。

オーサの店からは優しい光と声が溢れている。今日も繁盛しているのだろう。たくさんの人の笑い声。

「手伝わなくちゃ」

そう小さく呟いてミコはオーサの店の戸を開けた。

「ミコ!おかえり!」

ミコの帰りを待っていたのか、ニッと笑ったオーサの顔に迎え入れられる。

が、その表情もミコを見るなりすぐに慌てたものへと変わる。

「どうしたんだい?ミコ!なにかあったのかい⁉︎」

オーサの言葉にミコは慌てて首を振る。

「な、なんでもないです!それよりお手伝い、お手伝いをさせてください」

「いや、それよりも……もしかして、見つからなかったのかい?」

「……っ」

オーサの言葉にボロボロとミコは涙をこぼした。

「見つから、なくて……お、お師匠さまの、っ、お師匠さま……っ」

懸命に両手で目元を擦る。

ざわついた、店の空気が変わった。それまでの楽しげな雰囲気は一転し、ミコを心配するものになる。

「だ、だから、お手伝い、しなくちゃ、私……」

オーサはますます困惑の色を濃くした。


店仕舞をした後、オーサはミコを呼び出し、暖かなミルクを入れた。そっとそれに口付けるミコの目元は赤く腫れ、痛々しい。

「いったい何があったんだい?」

「……」

ミルクを飲み、しばらくキュッと結ばれていた口元をミコはそっと緩ませる。

「……私、ずっと考えていたのです。お師匠さま、どうして私に推薦状をくれたのかなって」

「……うん」

「お師匠さまはずっと、私の側にいて、私が占術が苦手なことも、一人で旅が出来ないことも、全部、全部知っていたのに」

「……」

「お師匠さま、は、私が……私、が、邪魔で。それで、外にだしたのかなって」

「ミコ……」

「私がいらないから、お師匠さま……推薦状をくれたのかなって、本当はずっと、ずっと・……っ」

再びこぼれ落ちた涙を今度は拭うことをしない。頬を伝った涙が両手で持つマグカップの中へとこぼれ落ちた。

「私、私は、とてもずるくて……ずるいから、頑張らなくちゃって。今度こそ、居場所、見つけなくちゃって。作らなくちゃって。オーサさんのお手伝いをして、ここにいる意味を見つけて、安心したかったのです……!」

嗚咽まじりに語るミコを見て、オーサは優しく目を細めた。

「まずね、ミコ。お師匠さんはミコを邪魔で追い出したんじゃないと思うよ」

ミコの涙に濡れた目が、オーサを捕らえる。

「ミコのいうとおり、お師匠さんはミコのことを誰よりも知っていたのさ。それも、ミコ以上にね」

「……?」

オーサの言葉にミコは首を傾げた。

「ミコは、自分は旅なんてできないって言ったね。でも、実際に今、できているじゃないか」

オーサの言葉にミコは目を見張った後、小さく首を左右に振った。

「出来ていません。オーサさんに、助けてもらってばかりだし、泣いて、ばかりだし。推薦状も無くしちゃうし。全然、出来ていません」

そういうミコにオーサは軽快に笑う。

「ほらね、ミコは自分のことをわかっていない」

「?」

「ここまでどうやってきたんだい?一人で、自分の足できただろう?」

「で、でも、それは……!」

「ミコの実力だよ」

そう言ってオーサは微笑んだ。その笑みを見て、ミコは思わず言葉を詰まらせる。

「人に助けたいという気持ちにさせるのも実力さね。旅をする人は誰の力も借りてはいけない、なんて決まりはないだろう?ミコの頑張る姿を見て、うちの客人も、そして湖で出会った子だって、私もそうさ。ミコを助けたい、と、手伝いたいと思ったのさ。

 それは力さね。ミコ自身は自分でなんとかしなきゃって思うのかもしれないけれど、自然とそうやって周りの気持ちを捉えてしまう。

 居場所を作らなきゃってミコはいうけれど、ミコの居場所はそうやってきっと、これからもいく先々で出来ていくと、そう思うよ」

「オーサさん……」

「そしてお師匠さんはそれを知っていた。ミコのそういう力を知っていたからこそ、外の世界に飛び立たせようとしたんじゃないかね。もったいないって。もっとたくさんのミコの、帰る場所を作ろうとしたんだと思うよ」

「……っ」

「手伝いなんてしてもしなくても、ここにはもうミコの居場所がある。たった一日だって、今日はミコちゃんはいないのかい、なんて聞いてくる客人もいるくらいさ。もううちの看板娘さね」

そう言ってオーサは笑う。ミコはその言葉を聞いて胸が締め付けられるのを感じた。

「だから、ね。大丈夫さね。もし見つからなくてもここにずっといればいい。ここにだって、ミコの居場所はあるんだから」

ミコは嗚咽を漏らし、マグカップをテーブルの上に置くとこくこくと何度も頷きながら両手でその眼を擦った。


次の日の早朝、再度列車を見送ることになると知りつつ、ミコはひとつの答えを胸に湖へと足を運ぶ。例の少女はミコの予想どおり昨日、一昨日と違えることなくそこにいた。

「おはよう」

「おはよう、ございます」

いつだって自分の意見を言うときは胸が締め付けられるような痛みを伴った。

それが自分とは逆に意見だとわかっていれば尚更だ。

今回もそう。ミコの決意は少女の言葉とは逆をいく。だからこそこんなにも苦しくなり、顔色も悪くなる。

「……どうしたの。眠れなかったの」

そう言って少女はミコに近寄るとその目元に触れた。

「赤くなっている」

心配そうに眉を潜め、そう呟いた。少女の優しさにミコはさらに申し訳ないような気分になる。

少女は、ミコのためを思って言ってくれているのだと、ミコを心配しての発言なのだと悟っているからだ。

「あ、の……」

乾いた唇、震えた音を漏らす。

「あの……」

「ん?」

少女は優しくミコの言葉を待つ。

「昨日の、お話なんだけど……」

「うん」

少女は何かを期待するように、その目でミコを見る。その期待をこれから裏切るのだと思うと、ミコは怖くて怖くて仕方がない。自分の言葉で今から誰かを傷つけるのだと、そう思うとうまく言葉が出てこない。

「私……わ、たし、は……」

ぎゅっと瞳を瞑り、拳を握る。深く息を吸い、吐いて。そうして脳裏に描くのは大好きな師の姿だった。

『ミコ』

脳裏に浮かんだ師がその名を呼ぶ。誰よりも優しく、愛おしげに、目を細め、変わらぬ包み込むような温もりだ。

ーーーーあぁ、私はこの方を疑ってしまったのね

そう思うと目尻に涙が浮かんだ。しかし、もう迷わない。オーサの言葉で気づけたのだ。師は、決して自分を見限ったわけではない。そんなことは、有り得ない。

「私は、行きます。例えポシェットが……推薦状が見つからなくとも。」

少女の月の光を宿した瞳がみるみる見開かれる。

「私は、ここを出ていきます」

そう、はっきりと告げる。

小さく息を飲む音が聞こえた。

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