第10話 滲む涙
曇天。眩い太陽が差し込むことなく、階下の声で目覚めたミコは小さく欠伸をすると上体を起こした。
窓の外を確認すればまるで、ミコの心中を察したかのような天候にひとつため息を吐く。
迷いは確かにある。焦りもある。しかし、今日でなくてもいいのだ。もし、今日見つからずとも、明日でも。明後日でも。その次の日の早朝までならきっと、なんとかなるはずだ。
師はミコに当日までに着けば良い、そう言ってくれていたのだから。
「ぎりぎりまで、頑張ろう」
そう言い聞かせ、気合を新たにミコはベッドから降りた。
朝食を済ませ、一通りの朝の作業を終えた後、ミコは自室へと帰る。
ベッドの脇に置いたトランクの中から占術道具一式を取り出した。
日課であった毎日の占術。しかし、無くし物を探す等、明確な目的を持って占ったことは未だ嘗てなかったことだ。
「だからきっと、昨日の占術は失敗だったのかもしれない」
そう自分に言い聞かせ、ミコは強く念じながらルビーニの杯に聖水を張る。
大丈夫、きっと。今度こそ。今日こそ見つかるはず。
自分の力を信じるのだと、師の教えを信じるのだと。そう言い聞かせ。
推薦状。師からの最後の贈り物。それを強く思い描きミコは占術を進めていく。
しかし。
「え……」
先日と変わらず、推薦状はゴドゥム湖にあることをその占術は示していた。
ミコのいた範囲は限られている。しかし、そこから少し範囲を広げてみてもポシェットは見つからなかった。
森に住う動物たちがミコのポシェットを持ち出してしまったことも考えたが、占術は頑なに湖を示している。
「どういうことなの……?」
もちろんミコ自身、自分の力を過信しているわけではない。むしろいつだって自信がなく、その答えが不安なくらいだ。
ミコは小さく息を吐いた。
他に手がかりはないのだ。自分を信じるしかない。そして何よりこの場にいても見つかるはずはない。ならば動いた方がずっと良い。
ミコは決意したかのように力強く頷くと、そっと立ち上がった。
いってきますの挨拶を、そう思いミコがオーサのいるであろうキッチンを覗き込むとミコに気付いたオーサが笑顔で声を掛けてくる。
「ミコ!もう出るのかい?」
「はい。そのつもりです」
オーサは何かを作る手を止めるとミコに向き直る。
「ちょっと待っていておくれ。今、お弁当を作ってるからね」
「お弁当?」
ミコは静かに首を傾げる。
「お昼、帰ってくるの、大変だろう?それまでに見つかるとも限らないしさ。持ってお行き」
オーサの言葉の意味をやっと察したミコは慌て顔の前で手を振る。
「そ、そんな……!申し訳ないです。こ、これ以上……ご迷惑を掛けたく、」
「なーに言ってるのさ」
そう言ってオーサは豪快に笑う。
「昨夜、店を手伝ってくれたじゃないか!あれを仕事でなく手伝いと言い切るのならこその、そのお礼さ」
「オーサさん……」
「と言っても簡単なもので申し訳ないんだけどね」
そう言ってオーサは照れたように笑う。
「たくさん動くだろうしね、少し多めに作っておいたよ」
「あ、ありがとうございます」
ミコは礼をいうとひとつ頭を下げる。
「あ、あの。オーサさん……」
「なんだい?」
「き、昨日、湖で人に会ったのです」
「人に?」
オーサの瞳が驚いたように丸くなる。その様子を見てミコは言わない方が良かったのかもしれない、と思い「ごめんなさい」と呟いた。
「あ、あぁ。謝ることではないよ。ただ、前にも話した通り、ディエフの人は滅多にゴドゥム湖には近付かないからねぇ。驚いただけさ。で、その人がどうしたんだい?」
「えっと……一緒に、探し物をしてくれているんです。落としてしまった、ポシェットを……」
「そうだったのかい。いい人に出会えたんだね」
「はい」と呟いたミコはその人を思い出したのか、小さく微笑んだ。
「同じくらいの歳の、女の子で……それで、オーサさんの作ってくれたお弁当、その人にも分けてあげてもいいですか?」
「え?」
「一緒に探してくれているお礼も兼ねて……待ち合わせ時間もなにも、決めていないのですが、きっと、彼女も早くに来て、また夕方まで探してくれると思うのです……」
ミコの必死な訴えにオーサはいつも通り豪快に笑って見せた。
「なんだい、そんなことかい。好きにしなよ、ミコの。ここにきて、初めての友達なんだろう?」
「友、達……」
その言葉をミコは口の中で転がした。
それはミコにとって不思議な響きだった。
友達とは、一体なんなのだろう。
オーサにお弁当を持たされたミコはひとつお礼をいうと、気もそぞろのまま湖を目指す。
アルペールでミコに優しく手を差し出してくれていた少女。彼女はミコの友人ではなかった。
しかし、彼女といつもミコの面倒を見ていたノアは友人であったはずだ。
ならば自分とノアの関係は友人だったのだろうか。それもまた、簡単には是とは言えない。友人の定義というものについてミコが思うに、それはきっと対等であるということが大前提だということだ。ノアはミコの面倒を「見てくれていた」存在だ。
故に、ミコにとって友人と呼べる存在は今までいなかったことになる。
ならばどうなのだろう。今まで、十四年間育った村内でさえ友人と呼べる存在がいなかったミコに、昨日出会ったばかりの少女が友人となり得るのだろうか。
ふと、視界が陰った。どうやら湖へと続く森へと差し掛かったらしい。
ゴクリと喉を鳴らす。やはり昼間でもどこか薄暗いそこは恐怖心を煽る。
そっと何かに配慮するかのようにゆったりと進み入れば、数歩歩いたところで木の影から一人の少女が顔を覗かせた。
昨日の、少女である。
「あ……昨日の、」
「おはよう」
「おはよう、ございます」
ただの朝の挨拶であるのにそれがどこかむず痒く感じ、ミコと少女は小さく笑い合った。
二人並んで湖を目指す。その間、会話はないものの、不思議と緊張感も、一人でいるときに感じたような恐怖も無くなっていた。
「あの、今日もありがとうございます。お手伝い、してくれて……」
「別に。私もすることがなかったから」
そう言って少女はミコより半歩前を歩く。
鬱蒼としげる木々の中、湖への近道だと少女が案内するは道なき道であり、二人並んで歩くことは不可能だ。
少女に続いて数分。
ミコの知る道を通るより、幾分も早く視界が開けた。
「……夕方まで、天気は持つと思う。ただ、足元は昨日よりも滑りやすいから気を付けて」
「はい」
そういうと少女はミコから少しだけ離れ、「あっちを探すから」と森側を示す。ミコはそれに頷いて「よろしくお願いします」と頭を下げた。
湖畔の草原にしゃがみ込めば朝露だろうか、そこは昨日よりも少しばかり濡れているように感じた。
どのくらい探しただろうか。
二人、離れた場所で捜索を繰り返すもなかなか目ぼしい物は見つからない。そもそもポシェットのような少し大きさのあるものなのだ。目視出来ない時点でこの辺りにはないのかもしれない。
焦らない。そう決めたはいいものの見つからない事実、そして探している時間に比例してどんどんと心が重くなる。
ミコは後ろ向きになる自分に頭を振る。
「あ……」
その時、雲の切れ間から太陽が顔を覗かせた。その光が湖面へと降り注ぎ、きらきらと光を反射する。夜とはまた違った美しさだ。
陽の高さを見ればちょうど昼時らしい。ミコはそっと立ち上がると少女の方へと歩み寄る。
「あ、あの」
ミコが声を掛ければ少女は不思議そうに顔をあげた。
「そろそろ……お昼にしませんか?」
ミコの提案に少女は首を傾げた。
「い、今私の泊まっているところの、ご主人様が……お弁当、作ってくれたのです……なので、一緒に、た、食べませんか?」
少女はミコの言葉はジッと聞いていると、驚いたように目を見開いた。
「いいの?」
「も、もちろんです!一緒に食べましょう……?」
そうミコが言うと少女は少しだけ気まずそうに、しかしどこか嬉しそうに口元を緩めた。
二人揃って湖の近くへと移動する。束の間の陽の光、その光に反射する湖水を見ながら昼食の準備をする。
きっと片手間に食べやすいことを考慮してなのだろう。預けられたバケットを開けばそこにあったのは数種のサンドウィッチと水筒だ。
「美味しそう」
「この方のお料理は、とても美味しいのですよ」
どこか嬉しそうにミコはそう言いながら持っていたハンカチを湖水で濡らし、少女へと差し出した。
「どうぞ」
「え?」
「食べる前には手を拭かないといけませんから」
少しだけ戸惑ったように少女はミコからハンカチを受け取ると自らの手を拭く。
「いただきます」
「い、いただきます」
ミコに倣うように呟いて少女はサンドウィッチを頬張った。
その様子を見てミコもひとつ、サンドウィッチを手に取った。少し塩気の効いたそれは食欲をそそるものである。
涼やかな風が頬を撫でる。風に揺れた湖面が光る。美しい光景だ。
ミコは静かにアルペールへと想いを馳せる。
朝靄の中の散歩道。村を縫うように引かれた水路。優しい風の吹き付ける丘。太陽の光を浴びて光り輝く雪景色。
ほんの少しのきっかけで故郷を懐かしく思ってしまう。つい先日まで、手を伸ばせばそこにあった景色たちだ。
「……美味しい」
ふと、隣の少女が呟いた。
ミコの気持ちが今へと引き戻される。
しかし、「美味しいですね」と同意しようと開き掛けた口をそっと閉じた。
「……懐かしい、味がする」
そう言った少女の瞳には涙が浮かんでいた。
「……うん」
ミコは何も言うことなく、ただ静かに少女に寄り添った。
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