第6話

「飛行機が好きなのは認める……生き甲斐が殆どそれだってのも認めるけど、だけどまるで人間関係とか何も慮れない人間みたいに思われるのは心外だ……流石に失礼じゃないのかと思うんだよ俺は」

 先程の出来事を一人思い出して、ぶつぶつと零しながら廊下を歩く。

 あれから、結局航平と新人さんの詳しい話を聞く事はできず、斎藤さんが三十分後に社長に呼ばれていると部屋を後にしたのを皮切りに、なし崩しに解散した俺たちは、其々オフィスを後にした。

 後藤さんは午前中に一緒に乗っていた試作機の整備具合を見に行くと言って試作工場の方へと向かい、岬ちゃんは経理部に提出する書類があると経理部のオフィスへと向かった。

 俺はと言うと、午前中の試作一号機のテスト飛行の結果を受けて、振動やその他諸々の不具合を解消するための設計改良案を作成する為に設計室へと向かったのだが、そこに避難した人々のざわめきが耳について全く集中出来なかなくて、仕方なく書類を持って事務所内を放浪した。

 結果、何処もかしこもざわざわとしていて、元々虫の居所が悪かったのに苛立ちをプラスし、諦めて外に出ようと本社の出入り口に向かっている。

「それに加えて、なんなんだよこの落ち着きの無さは……なんで直接関係ない人までざわざわしてんだよ……腹立つ」

 自分の苛立ちもその落ち着きの無さに起因しているだろうと理解しているが、それと苛々しないという事は必ずしもイコールでは無い。

 ばんっ、と勢いよく扉を開いて外に出ると、夏の日差しと青空が目に入る。よく晴れた、いい日だ。

大きく深呼吸をして、少し頭がすっきりした所で、途方にくれた。

「………………何処行こ」

 ぽつりと呟いた言葉は、誰に届く事もなく大気に溶けた。




 ぽた、ぽた、と紙に汗のシミができる。そこに、鉛筆が文字を綴ろうと表面を削るが、紙がヨレるだけで文字は欠片も書けていない。

「ちくしょう!  暑い!」

「…………八つ当たりすんのやめてもらえますか」

 斜め横から聞こえる気怠げな声に顔を上げる。其処には、油汚れで顔を黒くした青年が立っていた。

「柚木、お前はもう少し愛想良く出来ないのかよ」

 柚木恵は、女性のような名前だが列記とした男性だ。それどころか、わりと筋肉が付いていて、しっかりとした体格をしている。

「なんで呼んでもないのにわざわざ来た人を敬わないといけないんですか」

 ぶすっと言ってのけた柚木ではあるが、それでも冷えた麦茶を出してくれるあたり、素直だと思う。

「仕方無いだろ、あっちもこっちもざわざわざわざわ……落ち着き無いったら」

「そりゃあ、社長の娘さんがいきなり入社してきて、しかも初日に笹本さんを殴ったとなれば話題にもなりますし、皆さんの落ち着きも無くなりますよ」

 出されたマグカップの麦茶を一口飲んで、尋ねる。

「え、工場の方でも話題になってんの?」

 くい、と後ろの窓から見えるトタン屋根の巨大な工場を親指で指し示す。工場は、中にこれまた巨大な仕切りがあり、そこで試作工場と量産工場に分かれていた。工員の休憩室であるプレハブ小屋からは、そちらがよく見える。

「もう持ちきりですね。板金の方でも、塗装の方でも、組立の方でもそればっかですよ」

 ふらふらと休憩室にやってきた俺と、たまたまそこに休憩時間中の柚木。同じ休憩室にいるとはいえ、俺は俺で改良案を作成してるし、柚木は柚木で椅子に座って本を読んでいるしで、殆ど会話をする事なく十分ほど過ごしていた。そんな中、先に集中力が切れたのは俺の方だった。

「航平は人気者だねぇ」

 ぐいっと残った麦茶を全部流し込んで、座っている長椅子の背もたれに目一杯体重を預ける。綺麗とは言えない天井に、電球が等間隔に五つ、ぶら下がっているのが見えた。

「笹本さんというより、社長の娘さんですね」

 柚木の座る椅子は長椅子より背が高い物だったが、会話するのに不便と判断したらしく、マグカップを持って俺の座る長椅子の、机を挟んだ正面に置かれているもう一つの長椅子へと移動して来る。白いマグカップは少し茶っぽく変色しており、天井同様、あまり綺麗ではない。

「え、航平人気無いの?」

「人気無いと言うより、好かれる人には好かれるし嫌われる人には嫌われるから両極端ですよね、あの人」

 どうでも良さそうに返す柚木は、なんだかんだ言って下らないふざけた話題にもきちんと返してくれる。

「そういえば柚木、休憩時間は何時まで?」

 尋ねると、柚木はちらりと壁にかかっている時計を見上げた。

「あと少しですけど……まぁ、大丈夫です」

 真面目なのか不真面目なのか、柚木のこういう所が少し謎だ。

「……大丈夫なの?」

「沢村さんに勉強教えて貰ってた事にします」

 さらりと言ってのける柚木は、アルバイトの大学生だ。確か歳は二十歳で、この社内で言えば俺や航平と歳が近い。だから、俺や航平は度々柚木に絡みに来る。それを柚木もそこまで迷惑そうにもしないので、そんなに嫌でも無いのだろう。工員の殆どが中年のおじさんか、部品選別のおばちゃんというのも少しは関係してるのかも知れない。

「ん~……じゃあ、少し相談」

 柚木はこの第五工業島にある公立の第五工業大学に通っている。専攻は航空機の設計で将来はこの樫原航空機に入社したいのだと言う。

 頭の回転もよく、勉強も出来るのだから他所でアルバイトを始めたとしてもきっと重宝されるだろうとは思うのだが、少しでも飛行機に触っていたいと工員のバイトをしているのだそうだ。

 後藤さんの言葉を借りれば、柚木も大概、飛行機バカという事になる。

「ここの翼の桁、今二本を繋げてると思うんだけど、どうも具合が良くないみたいで……一本にできる?」

「えぇ……出来なくは無いですけど」

 そして柚木は、勿論俺よりこの工場の事情を知っている。そういう意味で、柚木は俺の良い相談相手だった。

「ん~……じゃあ、ここのフィレットの形を変えて、リベットの取り付け方をもう少し……ここの折り返し部分を長めにとってみたいんだけど」

「うーん、それならまだ、なんとか…………多分、ですけど」

 コンコンと図面を鉛筆の頭の方で突きながら、ここはどう、あっちはどう、と詰めていく。

「…………まぁこんなもんかな」

 一通り終わったのは、それから約一時間後の事だった。俺は時計を見上げて、顔を歪める。

「悪い、結構時間取らせたな」

「大丈夫です。今日は俺居なくても多分工程的には問題ないですし」

 三杯目になる麦茶をぐいっと煽って、柚木は空のマグカップを部屋の隅のシンクへと持っていった。

「取り敢えず、主任に沢村さんに捕まってたって言ってきます。沢村さん、休憩室出る時は鍵閉めといてください」

 休憩室の扉は簡素なものだが、一応の防犯対策として五桁の数字を入れるタイプのチェーンをかけている。鍵というのは、それの事だ。

「いや、良いよ。今日中にやりたい分は終わったから、俺も行く」

「そうですか」

 柚木に倣ってシンクへとマグカップを置いて、その背を追って扉へと歩く。

 開けた扉の向こうから、湿気を帯びた風が吹き込む。空はいつの間にか薄暗く、夕陽のオレンジは殆ど地平にそって伸びるだけになっていた。

 俺が外に出るのを待ってから、柚木は扉にチェーンを掛けた。それから軽く挨拶を交わし、お互い背を向ける。

「そう言えば」

 数歩歩いた所で柚木に呼び掛けられて、振り向く。

「試作段階だった改良型二十ミリ機銃が、新機種用に軍の方から届いたって言ってましたよ。噂では、新型機の規格に合わせた空母も建設途中だとか聞きました」

「……本当に?」

 自分の顔が少し、歪むのを感じる。

「ええ、本当に」

「………………はぁ?  でも、書面はまだ届いてないよ?」

 期日はまだ先だし、そもそもまだ試作機までしか出来ていない。確かに機銃についての問い合わせはしていた筈だが、軍の方の反応が早すぎる。通常、そういう問い合わせに対する反応というのは、半月は余裕でかかるのが通例なのだが、今回のは十日もかかっていない。しかも、文章での通達より品物が先に届くなど、あり得ない話だ。

「うーん……まぁ、何か色々あるんじゃないですか」

 外交上の問題とか、内政的な事情とか。

 続く柚木の言葉を、表面上だけなぞって聞き取る。蓬莱との国境争いは、急を要する事態に陥りつつあるという事なのか、それとも、噂になっている貴族間の争いの抑止力にするつもりなのか、なんだか知らないが、全く、嫌になる。

 俺は昔から変わらず、飛行機が作りたいだけなのに、環境はふとした事で簡単に変わっていく。少しずつ、自分を取り巻く世界が動いていく。

 いつか、俺は、自分のやりたいように、やりたい事を出来るのだろうか。

 見上げれば、夕陽とは逆側に、白く輝く月が、真ん丸く空に浮かんでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

群青 しい @shi_na

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ