第5話

「樫原茜です。よろしく」

 ぺこり、と軽く頭を下げたと同時に、高い位置のポニーテールがひょこりと揺れた。

 長めの前髪は横に流して耳に掛けている。切れ長の目元は、先の一件を見た後だときつい性格を表しているようにしか見えない。

「テスパイとして、検査課に配属になった。開発研究部の新人と言うことで、テスパイの面々を始め、設計課の諸氏も顔を合わせる機会が多いだろうと思うが、よろしく頼む」

 開発部の部長である、月岡が樫原操縦士と並んで、部で共用して使っているオフィスの簡素なデスクが並んでいる前で、開発研究部の部員を見渡した。

「では、各自作業に戻ってくれ」

 そう声かけをしたら、二人はさっさとオフィスの前にあった出入り口から廊下へと出て行った。滅多にない部内全体のミーティングに、滅多にない部長直々の新人の紹介、しかもその新人は社長の娘だという。

 其々、隣の同僚などと顔を見合わせ、ややあって緩やかに水に垂らした絵の具のように解散していく様には、その事態に対する各々の戸惑いが見て取れるようだった。

「……沢村、どう思う?」

 其々の部員たちが散っていく様をぼんやりと眺め、それからゆっくりと自分に割り振られたデスクの椅子に腰を下ろした時、斜め上から降る声に視線を上げる。

「斎藤さん……どう、とは」

 開発研究部のオフィスとは別に、設計室と呼ばれている大量の資料と図面引き用の作業机が並んでいる部屋がある。設計課の人間は設計に関する作業をそちらの部屋でやる事が多い為、恐らくは多少なりとも混乱している同僚たちはこの部屋よりも落ち着くそちらのへ引き上げたのだろう。

 因みに他の人間も其々思う場所へと引き上げたらしく、このオフィスに残っているのは、開発研究部最年長の四十代前半で、同じく技師でありこの新型戦闘機開発主任である斎藤さん、開発部の紅一点である岬ちゃんと、検査課の後藤さんだけだ。

「あの子。あの、新人ちゃん」

 斎藤さんは最年長とは言え、親分肌で親しみやすい性格をしている。そして、今もその親しみやすさを全開にして、俺に意見を求めてきていた。

「新人ちゃん……って」

 仮にも、社長のご令嬢を。

「なんかさ、ワケありって感じがありありと」

 無精髭の生えた顎に手を当てながらウンウンと頷きながら言う斎藤さんに、少し眉間に皺を寄せて渋い顔を作ってみせる。本当に、斎藤さんは歯に絹を着せないというか、怖いもの無しというか。

 まぁ、最年長だし、斎藤さんと社長は長年の付き合いという話だから、当然といえば当然かも知れないけれど。

「斎藤さんは、社長から何か聞いてたりしないんですか?」

 ふと思い立って尋ねてみれば、斎藤さんは大袈裟なまでに目を見開いて、両手を挙げた。

「ちーっさい時なら知ってるよ。あの子さぁ、昔は泣き虫でね。でもその後の事はさっぱり。社長も、ぷっつり娘の事話さなくなっちゃってね、こりゃあ、なんかあったな、と」

「なんかあった、と言えば」

 椅子に座ったままの俺と立ったままの斎藤さんの間に、ぬっと顔を出したのは後藤さんだった。

日に焼けた顔が、にっと笑った。

「うちの笹本、部長直々の招集だってのに、待機所から出てこなかったんだよね。なんか、あの新人さんの案内頼んでからずっとおかしいんだけど、なんかあったのかな?  沢村君、知らない?」

 人の良い笑顔のまま真っ直ぐ見つめられて、至極居心地が悪い。果たして、どう答えたものか。ちら、と横を伺うと、これまた微妙な顔をした美咲ちゃんと目が合った。

 ぽりぽり、と後頭部を掻きながら、答える。

「後藤さん、何か聞いてるんじゃあ無いんですか?  後藤さん、割と耳早い方じゃないですか」

 溜め息混じりに問えば、後藤さんは笑みを深くして、頷いた。

「うん、まぁね。だから君に聞いてるんだけど」

「…………でしょうね。でも聞いてるなら、尚更俺に話を聞く必要なんて無いでしょう。直接航平に聞けば良いじゃないですか」

 すると、後藤さんはふっと表情を柔らかくした。さっきの笑顔とは違う、なんというか、言うなれば親の顔だった。

「俺が聞いたのは、噂だからね。そしてそこに、君の名前もあった。噂を噂のまま信じて問い質すのは簡単だけど、その前にその噂が真実かどうか、確認しとく必要が有るとは思わないかい?」

 そう言う後藤さんに、内心降参のポーズをとる。仕方ない、と潔く諦めて、岬ちゃんを手招きした。

 それから、岬ちゃんが隣に来るのを待ってから、話し始める。

「まぁ、大して俺らも詳しく知ってる訳じゃ無いんですけどね」

 一応、そう前置きをしてから口を開く。

「今日の昼間、岬ちゃんと飯食いに食堂行ったんですけど」

「岬ちゃんと二人で?」

 うきうきとした表情でずいっと顔を出してきた斎藤さんだが、三人分の非難の視線を浴びて両手を上げ、降参ポーズで口を噤んだ。

「んで、食堂の扉開いたら、丁度航平が殴られた所で」

「誰に?」

 今度は話の本筋に合わせた質問を飛ばしてきた斎藤さんに、軽く肩を竦めて見せた。

「あの、新人さんに」

「ほう、で?」

 軽く岬ちゃんに視線をやって、答える。

「俺と岬ちゃんで、取り敢えずその場でキレそうになってる航平引っ掴んで、外に出たんです。その後航平は待機所行くって言ってましたよ」

 そこで、後藤さんは右手を挙げた。筋肉の付いた、逞しい腕だ。そこに、幾筋かの傷跡が走っているのが見えた。

「その時、何か言ってたなかったか?  その、なんで殴られた、とか」

「あぁ……えぇっと……」

 記憶を探ろうと視線を上にやって顎に手を当てたら、そこで岬ちゃんの手が挙がった。

 いつから発言は挙手制になったんだろう、と思いながら岬ちゃんを手で促す。

「男のくせに情けない、戦闘機乗りの風上にも置けない、です。笹本さん、確かにそう言ってましたよ」

「あぁ、そうそう。それだ」

 未だ記憶から引っ張り出せなかったその台詞に、軽く頷きながら手を打った。

「ですってよ、後藤さん」

 言いながら後藤さんに目を向けたら、後藤さんは額に手をやって、あちゃあ、という顔をしていた。

「…………どうしたんです?」

「なんだ後藤、何かやらかしたか」

 俺と斎藤さんの言葉に、後藤さんは顰めっ面を上げる。

「まぁなんかあったんだろうな、とは思ったんだけど、なるほど」

 首を傾げる俺と岬ちゃんの横で、斎藤さんが漸く合点がいったように目を見開いた後、人が悪そうに口の端を上げた。

「そりゃあ、後藤の人選ミスだな」

「でもほら……、歳も近いし、笹本はまぁ多少軟派な所もあるけど基本的には取っ付きやすいタイプだから、良いかなぁと思ったんですよ。それになんか、面識あるって聞いてたから、知り合いの方がやりやすいかと思ったんですけど」

 俺の知らない所で、というか、俺と岬ちゃんの解らない所で、話が解決しつつある。いつからこの場の発言権は挙手制になったんだろう、ともう一度疑問に思いながらも、右手を挙げる。

「ちょっと話が見えないんですけども、今どういう話してるんです?  航平、なんかあるんですか?」

 隣で岬ちゃんも、こくりと頷いた。置いて行かれた二人で、後藤さんと斎藤さんを見る。

「お前、笹本と仲良いだろ。何も話聞いてねぇのか」

 斎藤さんの問いに無言で首を左右に振ると、斎藤さんは目を見開いて後藤さんと顔を見合わせた。

「まぁ……お前はアレだもんなぁ」

「そうですね、それが沢村君の良いところでもありますけど」

 諦めたような力の無い笑みを浮かべる二人に、何かやらかしたかと慌てる。

「え?  何ですか、何の話ですか?」

「あぁ……でもわかりますよ、沢村さんはつまり、アレですもんね」

 終いには岬ちゃんまでもが一緒になって、憐れむような視線で此方を見る。

「ちょ……え?  何?」

「沢村さん優しいし良い人だし、顔も悪く無いんですけどね」

「まぁねぇ……良いやつではあるけどねぇ」

 口々に告げられるそれは、恐らく褒め言葉に見せかけて褒め言葉では無い。

「だから!  なんなんです?  みんなして!」

 我慢が限界を迎えて、バシン、と机を叩いて立ち上がる。

「つまりさ」

 その肩に、後藤さんがぽんと軽く手を置いた。

「君が、飛行機以外のことにはあんまり興味のない、生粋の飛行機馬鹿だって話だよ」

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