雨降り町に君はもういない

 男の子ってずるい。

 私が知らない間に秘密をつくるもの。勝手に話を進ませて、おいてきぼりにされた私のことなんてちっとも考えていないんだから。

 私も「けんしょうごっこ隊」の隊員なのに。

 同じだけど違うってわかってた。男の子は男の子の女の子は女の子の、同性だからこそ共有できる秘密があると思うの。これでも十歳だもの。そのくらい理解しているわ。けどね、やっぱり寂しくなる。文句のひとつやふたつぐらい言いたくなる。

 ムギ君と赤毛君は口喧嘩ばかりしていたけれど、本当はとっても仲がいいのよ。二人だけしか共有できない仲の良さを感じていたの。男の友情ってやつかな。私はそういう友達がいなかったから、二人が羨ましかった。

 ムギ君がいなくなった日、私は激しく取り乱した。

 怖かった。今まで楽しんでいた「けんしょうごっこ」を邪悪に感じた。「あめふりまちのひみつ」のノートを初めて嫌悪をした。

 私のせいで、皆を危険な目に遭わせてしまった。

 ムギ君がいなくなった。

 呆然としていた私をホタル魚から遠ざけて、私たちを逃がしてくれて、そして帰ってこなかった。決まったわけじゃないっていくら自分に言い聞かせても、ムギ君はホタル魚に食べられてしまったという思考から抜け出せなかった。湖に行ったせいで、私が魔法に興味を持ったせいで、「けんしょうごっこ」をしようなんて言い出したせいで、こんなことになってしまった。

 湖の様子を見に行ったお姉さんからムギ君がいないと告げられたとき、実感が湧かなかった。お姉さんは何を言っているのだろう。何度もその言葉を反響させているうち、私の中で何かがぷっつりと切れた。突然、涙で顔がぐしゃぐしゃになり、泣き喚いてしまった。お姉さんは私を抱きしめて、頭を撫でてくれた。

 お姉さんに押されながら帰りの幽霊バスに乗り込んだ。町に着くまで誰も喋らなかったけれど、放心していた私の手を赤毛君はずっと握ってくれた。ようやく落ち着きを取り戻したとき、決心をするように車窓を見つめていた横顔が印象に残っている。赤毛君は私に内緒で、ムギ君を捜しに行くんだと直感した。

 帰宅後、両親に顔を合わせずに自分の部屋にこもった。暗い部屋の中、逆さ回りの時計が秒針を刻んでいく。外は豪雨で雷が鳴っていた。何もせずベッドにいる私は、姉さんを小舟で見つけた日と同じだった。あれからちっとも成長していないと気づいて、体の力が抜けていった。

 私は、無力だ。

 何かできるって思っていたのに、何もできていない。

 赤毛君は行動できる人だ。迂闊に外に出ては行けない夜であっても、ムギ君を捜しに行くのだろう。「ここではないどこか」に行ってしまった姉さんのように、行動できる人はいつの間にか知らない場所に行く。私から離れていく。引っ越ししてしまう赤毛君も、湖から消えてしまったムギ君も、旅人のお姉さんだっていずれ町から離れてしまう。

 みんな、いなくなってしまう。

 私、また、ひとりぼっちだ。

 友達ができたのに。同じ「好き」を共有できる心地よい場所を見つけられたのに。

 私は、何ができたんだろう。

 赤い目をこすり、ランプを灯す。枕元に置いていたノートを手繰り寄せる。

 もし、姉さんがいたらなんて答えるのだろう。今の私を見てなんて言うのだろう。

 ぱらぱらとノートを捲っていると、知らないページが現れた。

『わたしの可愛くない妹へ』

 雨は、魔法を連れてくる。

 どしゃぶりの雨が窓を叩く。魔法使いがかけた魔法の雨がこの町に降り注ぐ。不思議なことが起こるのは雨が降っているから。だから、白紙のページに文字が浮き出たのは、きっと魔法の雨のせいだ。

 この筆跡を、私はよく知っている。

「姉さん、そこにいるの?」

 ノートの中に姉さんがいるような気がした。

『あなたは、覚えていればいい』

 紅茶色のインクが紙面に綴られていく。

『この町が好きなら、留まって、覚えていればいい。人はいつか忘れるから、あなたが覚えて語ればいい』

「私が?」

『あなたは、どこにも行かないのでしょう?』

 そうだ。忘れていた。

 私たちは似ているようで似ていない姉妹だった。私は姉さんじゃない。姉さんのようにどこかに行かない。

 私はどこにも行かない。

 私は、ここにいる。

 この町に閉じこめられたいわけじゃない。だけど、ここにいることで、帰ってくる誰かを迎えられるかもしれない。ここにいた人たちを、他の誰かに伝えられるかもしれない。

 どこにも行かない選択が、何もできないわけじゃないんだ。

 何より、私はこの町が好きだから。

「姉さん、私。姉さんに秘密にしていることがあるの」

 紅茶色のインクを指でなぞって、姉さんの面影を辿る。同じ焦げ茶の髪で私より短い髪型。むふふと変な笑い方をする癖。ねぇ、姉さん。私、あと二年経ったら姉さんと同じ年齢になるの。さらに一年重ねたら追い越してしまう。姉さんより年上になるわ。

「姉さんが嫌いなこの町が好きよ。育ったこの町が好きなの」

 声にだしてから、私はやっぱり姉さんが好きだったんだと気づかされた。姉さんがいなくなって寂しかった。「あめふりまちのひみつ」のノートを解読して、「ここにはいないどこか」に旅立った姉さんの影を追っていた。

 でもね、本当はわかっていたの。

 記憶の中で留まり続ける姉さんは変わらないけれど、生きているだけで私は変わっていく。

 私の時計の針は進んでいる。逆さ回りじゃない。それこそ、正しい右回りで秒針を刻んでいるんだ。

「私、姉さんをずっと覚えている。だから、もう姉さんを追いかけない」

 逆さ回りに過去を追いかけても、姉さんには二度と会えない。

「姉さんは、私の中にちゃんといるもの」

 私はノートを抱きしめた。

「ありがとう、姉さん。大好き」

 扉がノックされ、両親に声をかけられた。夕食の席につかず部屋にこもってしまったのだ。何があったのか心配してくれたのだろう。

 返事をして大丈夫だと明るく応じる。湖に行った話をすれば叱られるはずだ。でも、今の私にできるのは、大人に何があったのか伝えてムギ君を捜してもらうことだ。大人たちに守られている私はこれしかできない。子どもの私ができることを今はやるしかない。

 ノートに目を戻せば、先程の白紙のページはなかった。紅茶色のインクも見当たらない。丁寧に捲っていくと、最後のページがくっついていた。今まで一枚だと思っていたページをそっと剥がしていく。

『わたしの可愛くない妹へ あなたが生まれた大切な日に、大好きな町を贈ります』

 そこには、親しみのある筆跡が残されていた。

 そうだった。

  姉さんがいなくなった日は、私の誕生日だったんだ。


 ※ ※ ※


 翌日、早朝から窓に叩き起こされた。

 正しく言えば、二階の自室の窓に小石を何度もぶつけてきた赤毛君に起こされた。窓を開ければ、降りて来いと手を振っている。昨日と違った明るい笑顔に、ムギ君に会えたのだと知った。

 両親を起こさないようこっそり家を抜け出して、驚いたのは緑色のマフラーがポストに入っていたことだ。これはムギ君の大事なもの。どうしてここにあるんだろうと戸惑っていると、赤毛君はムギ君の懐中時計を見せてきた。

「友達の証だ」

 誇らしげに笑われても、何がなんだかさっぱりだ。

 男の子ってずるい。

 でもね、それ以上に安心したの。マフラーはムギ君がここに来てくれた証拠。顔ぐらい見せて欲しかったと呟けば、「それはできない」と首を振られた。理由を尋ねたら「ムギの威厳のために話せない」と急に小難しい顔をしてきたのよ。

 その様子だとムギ君に何かあったらしい。質問を重ねる前に、赤毛君は私の手を掴んで走り出した。

「どこに行くの!?」

「時計塔! 今からムギが魔法を解くんだ!」

 驚いた。冗談かと思ったけれど、赤毛君は本気だった。不思議と本当にそうなるんだって確信したの。きっと、ムギ君が深く関わっているんだわ。気にならないわけないじゃない。赤毛君にたっぷり説明を求めたかったけれど、時間がないらしい。時計塔を目指して全力で走った。

 昨夜の豪雨が嘘のよう。動きやすい小雨は「けんしょうごっこ」に適していた。走りながらこれが最後の「けんしょうごっこ」になるような予感がした。

 魔法が解ければ、この町はただの町になる。魔法のない普通の町になる。名残惜しく感じたけれど、時計塔が近くなり、鐘が見えた頃には吹っ飛んでいた。

 だって、鐘が赤く輝いていたもの。

 二人で足を止めて見上げた。時報にはまだ早い時間なのに、高らかに鐘が鳴り響いた。びりびりと伝わる音の波は暖かく、冷たい町を少しずつ溶かしていくような、暖炉の前で体を乾かしている暖かさと似ていた。

 雨が止んでいた。

 雨降り町を覆っていた分厚い雲が薄くなり、徐々に剥がされていく。初めて見る晴れた青色の空に目が眩んだ。

「おさげちゃん」

 赤毛君が青空を指す。

「あれが、太陽かな」

 太陽の色を、ムギ君も見れたのだろうか。


 ※ ※ ※


 魔法が解かれた後も、ムギ君は帰って来なかった。

 捜索はしなかった。ムギ君のお母さんが取り止めるようお願いしたらしい。

 魔法が解けてから町は少しずつ変わっていった。まず、活気づいた。晴れていれば外に出やすくなる。

 雨が降っていない空を一日眺めるだけでも楽しかった。月が満ち欠けをするなんて初めて知った。「あめふりまちのひみつ」のノートではなく、星座の本を持ち歩く日が多くなった。いつの間にか同級生の女の子たちと星の話題で盛り上がるようになった。誰も私に後ろ指をささなくなって、周囲に溶け込んでいた。

 でも本当はね、「けんしょうごっこ」の皆で星空を見上げて笑い合いたかった。

 私の隣に、彼らはいない。

 赤毛君が引っ越した。両親と離れて暮らすと聞いたとき、てっきりこの町に残るものだと思った。だって、雨が降っていないもの。沈む心配がなくなっても赤毛君の決意は変わらなかった。知人の有名な時計職人のもとでお世話になるらしい。時計職人になるのって聞いたら、笑って大きく頷いていた。

 あれから、赤毛君と文通をしている。意外とまめに手紙をくれるのよ。そう、赤毛君、字が上手になったの。ムギ君より上手くなりたいって手紙に書いてあった。

 それと、もうひとつ変わったことがある。

 下校途中に必ず寄る場所ができた。今日も私は寄り道をする。学校近くの商店街にその店はあった。

「こんにちは」

 いらっしゃいと出迎えてくれたのは、仕立屋さんの店主であるムギ君のお母さんだ。

「今日も似合ってるね」

 この店には看板娘がいる。毎日、違う服を着こなして一日中お店の出入り口に立っているの。女の子たちから人気で、ちょっとした有名人になりつつある。

 初めて会ったとき、旅人だと私たちに名乗った。

 今は何も語らない、綺麗なお人形。

 お姉さんは時計塔の鐘がある場所で発見された。壁に背中を預けていたらしい。隣には黒い濡れた染みがあり、まるでそこに誰かがいたようだったと噂で聞いた。

 ムギ君は、お姉さんの隣にいたんじゃないかと今でも思っている。

 お姉さんは不思議な人だった。ちっとも笑わないのに優しくて、言葉が拙いけれど博識だった。人形になって発見されたと聞いたとき、なぜか納得した。あるべき形に戻ったような気がしたのだ。

 人形のお姉さんを引き取りたいと言ったのは、ムギ君のお母さんだった。ムギ君がいなくなってから仕立屋さんを始め、この町のために色々な服を作っている。気弱な印象があったのに、店を開いてから雰囲気が明るくなった。ムギ君とお姉さんの秘密をどこまで知っているかはわからないけれど、たくさん考えて苦労してきたからこそ、今の姿があるのだろう。

 今日はドレスを着ていた。お姉さんの体格にあった細いドレスは、大人っぽくて魅力的だ。いつか私も着る日がくるのだろうか。

 店の外が曇ってきた。「せっかくだから雨が止むまでゆっくりしていって」と、ムギ君のお母さんは紅茶の用意をするために店の奥へ消えていく。

 ぽつぽつと雨が降りだし、人々が慌てて走って行く。石畳を叩く雨音、窓を閉める音、子どもたちの笑い声と駆け足が店の前を通り過ぎていく。

 不思議とその中に、ムギ君が混ざっているような気がした。

 雨は、魔法を連れてくる。

 ここ最近、身長が伸びた。同じ背丈だったムギ君をとうとう追い越した。

 ムギ君も姉さんと変わらず、ずっとあのときと同じ姿のまま、私の中で生き続けている。

 雨降り町に、ムギ君はもういない。

 でもね、雨が降った日はこの町のどこかにいるような気がするの。小さな子どもたちの笑い声の中に、ムギ君が混ざっているように思えるのだ。

 こんなことを話しても誰も信じてくれないかもしれないけれど、私は知っているのだ。

 雨の中に、ムギ君という友達がいたのを。

 これは誰にも話さない、私だけの秘密。

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雨降り町に君はもういない 椎乃みやこ @sy_toko

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