君に恋したこの町で -4

 視界に映ったのは、低い天井だった。

 吊されたランプに見覚えがある。屋根裏部屋だと理解してから飛び起きた。ボクはベッドにいた。窓から差し込む薄っぺらい明るさが朝を告げていた。慌てて窓を開ける。いつもと同じ、灰色の空が広がる雨降り町がある。起床時間にはまだ早く、町は眠りに包まれていた。

 記憶を必死に辿る。ボクはガラクタ山で彼女の手を掴んだ。そのあとだ。夢だったのかと思ったが、ボクの手は剥がれたままだ。でも、なぜか寝間着に着替えている。帰宅した記憶はもちろん、着替えた覚えもなかった。

 誰かが梯子を登ってきた。身を竦めれば、緑色の頭をひょっこりとだした彼女と目が合った。しばし、無言で見つめ合う。

「おはよう、少年」

「お、おはよう」

 ガラクタ山で会ったときと同じ姿だ。だが母さんから借りていたコートは濡れておらず、手袋と靴は履き替えられていた。彼女はベッドの上にボクの着替えと肩掛け鞄を乗せた。その中に父親のコートも混ざっていた。

「少年、すぐいくぞ」

「どこに」

「魔法をとくのだろう」

 薄く微笑んだ彼女に、ようやく現実に引き戻された気がした。

 あのあと、ボクは倒れたらしい。人の体を食べてその姿を模した妖精だ。風邪はひかないと思っていたが、魔法が解けかかったせいで負荷がかかり、予想以上に疲労していたらしい。疲れていたのは自覚していたが倒れるまでとは思わなかった。服に袖を通しながら、着替えを見ないよう背中を向けさせた彼女に声をかける。

「それで、ボクをここに運んだわけ?」

 そうなれば、この姿は母さんに見られていて当然だ。彼女はあっさりと頷いた。なんてことをしたんだと怒りよりも呆れのほうが強かった。母さんに怯えられていたはずなのに、屋根裏部屋にいる。どう言い包めたのかむしろ気になった。

「少年をみて、ないていた」

「そう」

 ぶかぶかの大人用のコートを着るのも最後だろう。ボタンを上から順に留めていく。

「じぶんがねがったから、そうなったって」

 最後のボタンを留め損ねた。

「願った?」

「じゆうになりたいと、ねがったそうだ。これは、つみだと、いっていた」

 彼女曰く、母さんは夫と子どもがいない生活が欲しいと願ってしまったらしい。ボクはここに来る前の家庭を詳しくは知らない。わかるのは父親が暴力的で、その父親に湖に落とされた子どもは母親を守って欲しいとボクに頼んだことだ。

 母親は夫の折檻を受けながら、子どもを守らなくてはいけない立場に疲弊し、解放されたいと無意識に望んでしまった。そういうところだろうか。

「ねぇ、知ってる? 雨は魔法を連れてくるんだ」

 願った日は、きっと豪雨だろう。

「これは魔法のせいだから」

 この町はそうすることで守ってきたものがある。

「母さんは、悪くない」

 下から物音が聞こえた。それは、早足で遠ざかっていく足音だった。

「ねぇ、また泣かせたかな」

 梯子の下を覗く後ろ頭に尋ねる。

「あぁ、なかせた」

 彼女はやっぱり、どこまでも正直者だった。


 ※ ※ ※


 今では観光のひとつになっているが、元々時計塔は高台にある小さな塔だ。田舎町の時計塔だ。大した高さはない。町が沈んでからは時計塔に引き寄せられるように家が建てられ、いつの間にか象徴になっていったそうだ。

 逆さ回りの時計塔。魔法人形を作った魔法使いのイマードが人を集め、雨を降らした場所。

 家に別れを告げ、ボクと彼女は時計塔を目指して駆けた。今のボクの体は目立つ。住民が起き出す前に全てを終わらせなければいけない。飲めると思わなかったホットチョコレートの味が口の中に残っていた。好物を口にできたせいか、最後に家で休めたせいか、体が軽く澄んだ心地だった。

 時計塔が「けんしょうごっこ」の対象になったことはある。実際、潜入した経験もあった。

 時計塔の鍵は、塔の裏側にある赤い石の下に隠してある。管理人は当番制で三人で回している。時報が鳴るか針が動いているか確認する仕事だ。とはいえ、ただの時計塔ではない。魔法がかかっているから何が起こるかわからないと言う理由で、大人たちが怠けているのは調査済みだった。要するに放置されているのだ。

 この仕事が嫌われる理由は、他にもあるけど。

「よく、しらべているな」

「だてに「けんしょうごっこ」をやってないからね」

 慣れた手つきで鉄扉の鍵を開ければ、埃とカビの臭い、そして外とは異なる冷えた空気が漏れた。口元を覆おうと伸ばした首にマフラーがないのを思い出し、代わりに手で口を覆った。

「少年、これで、なんかいめだ」

「潜入は三回目」

 時計塔の丸い床には埃が積もっている。倒れた箒は役目を果たしておらず、壁にかけられたランプのオイルは足されていない。時計塔は生活の一部になっているのに、放置されているなんて滑稽な話だ。嵌め殺しの窓からほのかに外の明かりが差しているが、心許なかった。夜になれば真っ暗になってしまう。

「当番の人は、あれを嫌うんだ」

 ボクは壁に固定された梯子を指した。梯子は暗闇に吸い込まれるように頭上へ伸びている。最上階まで上る手段はこれしかない。管理人はランプを腰やリュック等に吊して上るようだが、途中で方向感覚がおかしくなると愚痴を零していたそうだ。聞き込み調査を得意とするおさげの報告で得られた情報だ。

「こどもたちと、のぼったのだろう」

「いや、途中で挫折した。実は赤毛、高いところが苦手なんだ」

 怯えた赤毛の顔を思い出して苦笑する。最初は怖くないと言い張っていたが、半分ほど上ったところで音を上げた。しかも、赤毛の恐怖がおさげに伝染して面倒な状況になってしまったのだ。二回挑戦して全て失敗に終わったのは「けんしょうごっこ」の中で苦い思い出となっている。

「小さな町の時計塔だから大して高くないらしいけど、念のため、下は見ないほうがいい」

「わかった」

 肩掛け鞄からマッチを取り出し、ランプに火を灯しているとかんかんと音がした。慌てて梯子を見れば彼女が上り始めている。

「あ、待って!」

 引き止めるボクの声が反響した。

「ワタシのめ、よくみえる。ひかりはいらない」

「ボクの目は君と違うんだ」

 肩掛け鞄にランプをひっかけ、梯子に触れる。屋根裏部屋の木製の梯子と違い、鉄製の梯子は冷えていた。強く握りしめ、顔を上げる。

「少年、むりはするな」

「わかってる」

 塔の中で爛々と輝く金の目が、今は心強かった。


 ※ ※ ※


「おもいだしたことがある」

 梯子は長い。大人が長いと感じてしまう距離なら、子どもからすれば相当だろう。人の子どもの体力の少なさは身を持って実感していた。ただでさえ、魔法が解けかかった不安定な状態だ。またうっかり倒れたらどうしようもない。塔の底へ真っ逆さまに落ちるだけだ。

 どのくらいまで上ったのだろう。高所は苦手ではないが見下ろすほどの元気はなかった。ボクを気遣い、彼女は先に進んでは追いつくまで待ってくれた。

「何を?」

「ワタシのことだ」

 かんかんとボクの靴音が木霊し、小雨が窓を叩いている。

「君の?」

 彼女は頷いた。追いついたボクの息が整えるまで上らないようだ。

「ワタシのかみは、ほんものの、むすめのかみ。ワタシのめは、ほたるざかなが、はきだした、いしだ。ほとんどは、人形とおなじだが、すこし、ひとのものがまじっている」

 イマードは娘を模して作った人形に、本物の娘の髪を移植させたらしい。ホタル魚は人の目玉を食べると宝石に似た石を吐き出す習性がある。その石が金の目ならば、正しく人の目玉だ。魔法人形の体は人の体の一部が混じって作られているのだと、彼女は語った。

 彼女の材料に対する嫌悪より、イマードの娘への執着心に感心した。娘に会いたい一心で彼女を作り上げ、魔法人形を娘だと認められずに妖精の世界に旅立とうと雨を降らせた魔法使い。

 その執着心も愛というべきなのか、ボクにはわからない。

「それが何?」

「少年とおなじだとおもっただけだ」

「なんだよそれ」

 ボクはてっきりイマードがくれたものを思い出したと、変化の乏しい顔で喜ぶものだと思っていた。

 けれど、違った。

「少年は、きのう、ワタシをすきだといった」

 昨夜を思い出す。そういえば、告白したんだ。頭から爪先まで一気に火照った。ここで否定しても撤回を受け入れてくれないだろう。あれは嘘ではない。嘘ではなかったが勢いというやつだ。瞠目し、固まったボクに彼女は躊躇しなかった。

「うれしかった」

「えっ」

「少年」

「な、なに」

「あいしているぞ」

 昨日は何も感じなかったのに、今はとてもくすぐったい。

 梯子から飛び下りたくなってしまう衝動を抑え、ボクは大きく息を吐いた。

「わかった。わかったから、上って」

「少年は」

「なにが」

「少年は」

 ボクを見下ろす金の目に、誤魔化しは通用しない。

「愛しているから、上って!」

 ボクの絶叫に、彼女は満足げに頷いてから上って行った。

 階段にしなかった塔の構造を憎々しく思いながら上っていくうちに、巨大な振り子が現れた。「けんしょうごっこ」では見ていない。ゆらゆらと緩慢に揺れる振り子を呆けたように眺めていれば、彼女に急かされた。どうやら部屋を発見したらしい。巨大な柱時計の中に閉じ込められているような感覚に捕らわれながら、手足を懸命に動かした。

 そこは振り子室だった。部屋の中央には穴があき、穴には振り子が通っている。四方に床が敷かれていた。ここで記録を取っていたのか、机と椅子、そして簡素なノートが置かれていた。仰げば文字盤が確認できる。さらにその上には鐘があるだろう。主要となる機関室は上の階に繋がっているのか、壁の梯子はまだ伸びていた。

「ほぼてっぺんだね」

 反応がない。肩掛け鞄からランプを取り外して照らすと、彼女は机の前で立ち尽くしていた。

「どうかした?」

「イマード」

 振り向いた彼女は、嬉しそうで、それでいて苦しそうだった。複雑に混じり合った感情に魔法人形は困惑していた。答えがでない動揺を表すかのように、不安げな金の目がボクを映す。

 彼女の手には写真があった。

「ワタシにかけられた魔法も、とけかかっているようだ」

「それって」

「イマードだ。イマードだと、わかった」

「この人が?」

「つくえの、ひきだしにあった」

 茶色に彩られた写真には、三人の人物が写っていた。二人の男と少女。中央に立つ少女は彼女に酷似している。イマードの娘だろう。彼女は右隣に立つ痩身の男を指した。

「イマードだ。このひとが、ワタシをつくった魔法使いだ。おもいだした。イマードは、とけいとうの、さいしょの、かんりにんだったんだ」

「最初の管理人?」

 彼女は娘の左隣に立つ壮年の男に指をずらした。

「とうじの、まちの、えらいひと」

「もしかして、町長?」

 写真に写る三人の表情は穏やかで、イマードと町長は肩を組んでいる。親しそうな間柄に見えた。魔法使いと時計塔の管理人が同一人物だと町長は知っていたのだろうか。伝えられた話では、魔法使いは森の奥に暮らす忌み嫌われていた存在だったはずだ。これでは話が変わってしまう。

「イマードは、さいしょから、まほうつかいではない。むすめが、いなくなってから、そうなった」

「どういうこと?」

「むすめをなくしてから、もりにこもり、魔法の、けんきゅうをはじめた」

 目的はひとつ。娘を取り戻すために。

「ひとは、イマードを、こころが、こわれた。びょうきに、おかされたと、いっていた」

「町長とイマードは友達だったんだな」

「しんゆうだったそうだ。でも、なかたがいしたと、イマードがいっていた」

 雨を降らすためではなく、娘を蘇らせようとするイマードを止めるよう説得するために、町長は森へ何度も足を運んだのかもしれない。どこまでが真実で嘘かはわからない。ただ他に理解できるのは、雨降り町を守るために住民が隠している秘密があるように、雨降り町になる前も、何かしらの秘密を作らなければいけなくなったのだろう。

 この町は、そうして誰かを守り続けては空回りしている。

「少年」

「ん?」

「ひとは、ばかだ」

「そうだね。馬鹿だ」

「だが、きらいになれないんだ」

「おかしいな。ボクもだよ」

 彼女は写真を胸に当てた。聖堂で座ったときと同じように、頭を垂れ、手を重ねた。

「イマード。こどくで、おろかな、いとしいひと。せめてあなたが、さいあいなるむすめに、あえるように、いのろう」

 なぜ彼女は祈るのだろう。人ではない妖精や魔法人形にとって、祈りという行為は何の意味もなさない。人の真似なのか、彼女が愛だと語る誰かの幸せを願うかたちが、祈りにこめられているのだろうか。ボクは彼女ではない。説明を受けたとしても理解できないだろう。ただ、祈る彼女の姿は厳かで眩しかった。

 祈り終えた彼女は引き出しに写真を戻した。

「いいの?」

「いいんだ。ワタシは、少年といくときめた」

「魂があるのなら、イマードのところに行くんじゃなかったのか?」

 意地悪く笑えば、手を握られた。

「ワタシは、ワタシをひつようといってくれた少年のそばにいく。ワタシにも、こころがあるのだから。ワタシがきめる」

「勝手にすれば」

「あぁ、かってにする」

 素っ気ない返事に彼女も素っ気なく返す。行こうとボクを導く横顔を盗み見てから、体温のない作り物の手をそっと握り返した。

 彼女の宝物であり心臓である時計を嵌め込む場所は、鐘になるらしい。

 機関室を通り過ぎ、鐘まで上りついた。顔をだした途端、小雨交じりの風が金髪を乱した。屋根裏部屋より高い時計塔は、雨降り町を一望できた。

「少年。いにしえの、げんごがある」

 鐘には古の言語が刻まれていた。人の世界で音読してはいけない文字がぎっしりと彫られている。犯人はイマードしかいない。苦渋の表情を浮かべながら黙読していくと、奇妙な窪みがあった。

 丸く、平べったい窪みに心当たりがある。

「しんぞうは、ここに」

 彼女はその窪みを指した。ボクに背中を向け、両膝をつく。イマードと名前が刻まれた蓋を軽く叩いた。

「少年、とってくれ」

「待って」

「ひとにみつかるまえに、はやく」

 蓋を開けようした手は汗ばんでいた。

「それをとったら動かなくなるんだろう」

「そうだ」

「そうしたら、太陽を一緒に見れないじゃないか」

「ワタシは少年に、しんぞうをたくすといった」

 聖堂での会話を思い出す。恥ずかしげもなく素直な感情を吐き出せる彼女が羨ましかった。

「言ったね」

「ワタシは少年と、ともにするといった。だから、少年がみたものは、ワタシにつたわる」

「……なんだよそれ」

 一字一句丁寧に説明していくさまは、大人が子どもをあやすようだ。いや、実際そうなのだろう。この期に及んで、ボクは彼女との別れに駄々をこねているのだから。

「少年、いっしょにいこう」

「馬鹿、そう言うなよ」

「いかないのか」

 勢いに任せて蓋を開ける。正しく回る時計は、初めて見た日と変わらず秒針を刻んでいる。これが彼女の心臓。彼女の宝物。彼女の、命。

「行くから」

「あぁ」

「ボクが、連れて行くから」

 視界が滲む。一滴の涙が彼女の首筋を濡らす。

「待ってて」

「まつことには、なれているよ。いつまでも、ともにいよう。やさしい、ようせいのこ」

 ボクは約束通り、彼女の命を抜き取った。


 ※ ※ ※


 妖精と人の恋、人形と人の恋の物語なら一度は耳にするかもしれない。でも、妖精と人形の恋というのはあり得るだろうか。

 これが明確に「恋」というものなのかボクは知らない。なにしろ、これが初恋で、それ以外の感情がどういうものか経験していないからだ。

 だけど、これはボクのもの。

 彼女との恋も、赤毛とおさげとの「けんしょうごっこ」も、母さんとの暮らしも、雨降り町で過ごした時間は全てボクの、ボクだけのもの。

 誰にも譲れない、ボクだけの物語。

 魔法人形から念願の人形に戻った彼女を壁に預け、ボクは隣に腰を下ろした。

 彼女が倒れたあと、ボクは窪みに時計を嵌めた。古の言語が赤い光を帯び、鐘を覆った。それは彼女の生命の輝きだと直感した。

 鐘が鳴り響く。

 鐘の音に呼応するかのように、雲が薄くなっていく。

「ねえ」

 起きない彼女の肩を叩く。

「同じだよ。空の色、ボクの目と同じだったんだ」

 ぺりっとボクの肌が剥がれ始める。実体がない透明になっていく。それなのに、暖かい。空から降り注がれるものは、雨だけではなかったんだ。

「ほら、見て」

 ボクは指す。

「あれが」

 指した手は、もうなかったけど。

「太陽だ」

 赤毛とおさげは見ただろうか。

 初めて知ったよ。

 太陽って、白いんだ。





 さよなら、雨降り町。

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