君に恋したこの町で -3
雨降り町に夜が訪れてから、風はようやく止んだ。けれど、雨は変わらない。絶え間なく降り続ける魔法の雨の夜は、今のボクには好都合だった。
石壁の物置小屋から顔をだし、周囲に誰もいないのを確認してから、捨てられた町の跡が残る瓦礫の森を抜けた。目的はひとつ。ボクの家に行く。帰るんじゃない。母さんの様子を窺うんだ。そして、父親のものだった蝙蝠傘とコートを返そう。これらは借り物だ。緑色のマフラーもそうしようかと触れる。母さんが編んでくれたマフラーは、雨が降り続ける冷たい町には優しかった。
太陽が現れれば、ボクは消える。まるで最初からいなかったように。
雨の魔法が解けたら、ホタル魚を含めた妖精の世界の住民たちもいなくなるだろう。あやふやだった境界線が正され、人だけの世界に戻るはずだ。
また、誰かが迷い込まない限り。
蝙蝠傘で顔を隠しながら進んでいく。夜と同じ色の傘は、ボクの体を容易く闇夜に溶け込ませてくれる。ちょっとだけ蝙蝠になった気分だ。
森を抜け、バス停に来たところで懐中時計がなければ時間の確認ができないと気づいた。バス停に佇む外灯の明かりは頼りない。人の目は暗さに弱い。透明だった頃は困らなかったのにと思ってから、人は明るい場所で生きる生き物だからだと納得した。
幽霊バスは片手で数えられる程度にしか運行していない。今日は終わったはずだ。
ところで、赤毛は徒歩で来たのだろうか。時間がかかってしまうが他に思い浮かばなかった。仕方なく暗い道に目を細めれば、足下から影が伸びていた。振り向けば、ふたつの明かりが近づいてくる。人工的な光だ。慌てて木の陰に身を隠せば、年季が入った音を立て、丸い形のくたびれた車体が止まった。
幽霊バスだ。
ボクを迎え入れるかのように乗車口が開く。運転席には制服を着たあの黒い影の運転手が座っている。青い灯火をぴかぴかと光らせて、制帽をとって挨拶をしてきた。
乗れということだろう。
「もしかして、あんた、赤毛を送ったのか」
運転手は答えない。相変わらず無愛想なやつだ。
ボクは皮肉を飲み込んで、好意に甘えることにした。
※ ※ ※
もし噂通りに赤毛を妖精の世界に連れて行ったのなら殴ってやろうかと思ったが、町まで送り届けてくれたようだ。赤毛の部屋の窓を覗き、明かりがついているのを確認してからようやく安心できた。
あの運転手は、ボクがあいつと同じ妖精の世界の住民であるのを知っているはずだ。何しろ、ボクを暴こうとしたのだから。もしかして、それに対しての謝罪のつもりだったのだろうか。それともボクが魔法を解こうとしているのを知って、協力しようと思ったのだろうか。いくら考えてみてもボクはあいつじゃない。先を急ごうと赤毛の家を後にした。
おさげが泣いていたと赤毛が言っていたのを思い出した。おさげの家が近くなり、自然と足が止まる。泣かしたのはボクだ。この間もそうだった。ボクはあの少女を傷つけてばかりいる。
誰よりも魔法に関心があった少女は、ホタル魚に遭遇して衝撃を受けた。魔法は怖いものだと口を酸っぱくして言っていた大人の意見がわかったはずだ。怖かったけれど面白かったと赤毛は言ってくれたが、おさげはどうだろう。
できるなら、ボクは大丈夫だと伝えたい。赤毛と同じように妖精の世界に帰るのだと話したい。けれど、この姿だ。おさげの両親にも見られたら逃げようがない。迷った末、ボクは緑色のマフラーに視線を落とし、そっと握った。
二階のおさげの部屋は明かりがついていた。周囲に人の気配がないか確認してから、マフラーをほどき、丁寧に折り畳んで家のポストに入れた。
もう一度、二階の窓を見上げる。
「さよなら、おさげ」
君がこの町を好きでいてくれるよう願うよ。
家にまで続く長い階段を駆け上がる。走っては歩き、人の気配を感じては物陰に隠れながら、ようやくここまで来られた。すでに明かりが消えている家もある。そろそろ就寝時間だ。寝静まれば町は外灯の光だけとなる。母さんの様子を窺ったら早朝までガラクタ山で過ごそう。子ども一人分ぐらい雨風を凌げる場所があるはずだ。
それにしても、ボクの体は疲れてきているようだ。額の汗を拭う。吐く息が白かった。夜はさらに気温が下がり、体力を奪ってくる。けれど、今は休息する時間すら惜しかった。
家の前に立つ。蝙蝠傘はドアに立てかければいいが、大人用のコートはポストに入らない。マフラーのようにドアノブにはかけられない。家の鍵はある。玄関に置いて行こうと決め、手をかけてみると鍵がかかっていなかった。音を立てないよう慎重に開ける。
家の匂いが、酷く懐かしかった。
後ろ手で扉を閉める。蝙蝠傘を畳み、傘立てに入れた。コートから水滴が垂れ落ちる。濡れた長靴は足下から黒い染みを広がらせた。
廊下は薄暗く、左手の扉から明かりが漏れている。
あの部屋には母さんがいる。母さんに出迎えられたら、長靴を脱ぎ捨てて、濡れたコートを暖炉で乾かしていた。シャワーを浴びて寝間着に袖を通してから、温かな夕食を母さんと他愛のない話をしながら食べる。宿題や読書をしてから、ホットチョコレートを飲んでベッドに潜り込んでいた。
それが、ボクの日常だった。
でも、ここは他人の家。ボクには関係のない家庭だ。コートのボタンにかけた指が震えた。早く脱いで外に戻らなくてはいけないのに、扉から漏れる明かりが、暖炉の暖かさが、ボクを撫でてくれた母さんの手を思い出してしまう。
「……わかっていたんです」
母さんの声に顔を上げた。扉の奥の会話に聞き耳を立ててしまう。
「あの子、成長しないんです。二年前、湖で倒れているのを発見されてから、八歳の体のままで」
「そうか」
抑揚のない相づちに聞き覚えがある。彼女だ。
「子どもの成長は早いものでしょう? 他の子は背が伸びているのに、あの子だけ伸びないんです。そういう体質かもしれないと思った時期もありました」
とつとつと不安を語る母さんの声を初めて聞いた。これは聞いてはいけないもの。何事もなかったふりをして出て行かなければいけないのに、体の芯が徐々に冷え、足が縫い止められたように動かなかった。
「でも、わたし」
これはボクが知らない母さんの一面。
「あの子が、怖かったんです」
母さんの、本音だ。
弾かれたようにボクは外へ飛び出した。
夜の雨降り町をがむしゃらに走った。走って、走って、滲んだ視界でひたすら走り続けた。目頭が熱くて頭が痛む。鼓動が速まり、息苦しくなる。叫びたくても叫ぶ言葉すらでてこなかった。
足が疲れ、ゆるゆると歩いてから両膝を落とした。ばしゃんと水たまりが跳ねる。石畳の冷たさが膝を通して伝わっていく。
仰げば、いつもと変わらない空が視界に広がっていた。
真っ暗な空から降り落ちる雨に、ボクは慟哭した。
本物の子どもみたいに泣きじゃくった。
雨音がかき消してくれるのをいいことに、馬鹿みたいに声を上げて泣いた。
「少年」
どれくらい時間が経ったのだろう。振り向かなくても誰か知っている。腕で目をこすり、肩で呼吸しながら乾ききった声で返事をした。
「……なんだよ」
「いえに、きていたのか」
「そうだよ」
傘を持たさなければ差さない彼女だ。ボクと同じように雨に当たっているのだろう。
「きいていたのだな」
ボクは自嘲気味に笑った。
「母さんはボクが化け物だって気づいていたんだろ。そうだよな。ボクは二年前から成長していないんだ。暴力を振るう父親が息子を連れていなくなったかと思えば、あの湖で発見されたんだ。何かあったと思って当然だろうね」
ホタル魚が食い散らかしたあの男の食べ残しは、雨で全て流れたわけではないだろう。ボクを発見した住民は、父親がホタル魚に食べられたと公表せず行方不明にした。母さんがどこまで知っているのかはしらない。ただ、あの日の話を避けているのは薄々感づいていた。
「ははおやは、少年をあいしているよ」
慰めなんていらない。
立ち上がり、彼女と向かい合う。母さんのコートを羽織り、予想通り傘を差さずに立っている姿になぜか苛ついてしまった。
彼女だってボクと同じだ。変化の乏しい表情と抑揚のない話し方も異質の一部なのに。服の下に隠した球体間接を晒してしまえば、ボクと同じように誰からも愛されない除け者として扱われるのに。
彼女だけ、この町に溶け込んでいるように思えた。
「だいたい、あんたのせいだ」
やり場のない感情を当たり散らしても、彼女を無意味に傷つけるだけだ。頭で理解しているのに、ボクの口からでてくるのは雨と同じ冷たい言葉だった。
「あんたがいるからこうなったんだ」
「少年」
「あんたなんて見つけなければよかった。「けんしょうごっこ隊」に入れなければよかった。そうしたら、湖に行ってホタル魚にも遭わなかった。ボクの魔法が解かれることもなかったんだ」
俯き、毒を吐く。誰かを簡単に傷つけて、自分に近づかないようにするための毒を吐く。
「あんたなんか、いなけれよかったんだ」
「ワタシはいらないか」
「いらないよ」
「少年から、さったほうが、いいか」
「そうだよ。今頃、わかったの」
彼女の顔は見なかった。いや、見れなかった。
「ボクの前から消えてよ」
沈黙が落ちた。石畳を叩く雨音が妙に耳に響く。
「……わかった。きえよう」
彼女の足音が遠ざかっていく。
ようやく顔を上げたときには、夜の町でひとりぼっちに戻ってしまったボクがいた。
いつだったか、家に帰りたくないと赤毛が呟いた。それなら、ボクの家に泊まればいいと誘った。二人だけでずるいとおさげも入ってきた。狭い屋根裏部屋で毛布を被り、ランプを中心に「あめふりまちのひみつ」のノートを広げて雨降り町の話をたくさんした。夜更かしをしたのはあのときが初めてだった。母さんはボク達が起きるまでゆっくり眠らせてくれた。
重たい足取りで町を歩く。コートは返し損ね、彼女には酷い言動をとってしまった。これからどうしたらいいのだろう。頭が重い。足を動かすたび、気怠い感覚に捕らわれる。疲れ切っているんだとわかっていても歩みを止めなかった。
そういえば、赤毛に彼女が好きなんだろうと言われたっけ。
好意の類には色々あるが、赤毛は「恋」を指していた。
教室で女の子たちが話題にしていたのを見かけた覚えがある。その横顔は楽しそうで、それでいて真剣だった。ボクには関係がない、縁がない話だと思っていたのに。
どうして赤毛はあんなことを言ったのだろう。他人からはそう見えたのだろうか。彼女に対しての挙動を思い返す。彼女にとった態度におかしな点があったのは否定しない。端正な人形に戸惑ったのも事実だ。人は美しいものに惹かれる。それなら、人を食べたボクはその影響を受けて無意識に美しいものに惹かれただけかもしれない。
だから違うと結論づけても、何かが引っかかった。思えば、ここ数日、彼女に思考を占められてきた。
今だってそうだ。消えろと言ったくせに、寂しくなっている。
ふと気づけば、ガラクタ山の前にいた。
そういえば、ここで早朝までやり過ごそうと考えていたんだ。もっとも、彼女との約束は潰してしまったようなものだけれど。
ボクは戻れない。母さんのところにも、赤毛とおさげにも、屋根裏部屋にも、学校にも、早朝になったら魔法を解くと偉そうに赤毛に言った自分を殴りたくなった。ごめんとここで呟いても雨に消えるだけだ。
「関係者以外立ち入り禁止」の看板を無視してガラクタ山に入る。舗装されていない足場は悪く、気まぐれのように立っている外灯がガラクタを照らしていた。外灯の下で休める場所はないかと見渡していると、がしゃがしゃと物音がした。
こんな時間に誰かいるのだろうか。音の方向を辿り、物陰に潜んで様子を窺う。小さなガラクタの山を漁っている人の姿があった。山からガラクタを引っこ抜いては投げ捨て、また抜いては投げ捨てている。山に穴をあけているようだ。
外灯に照らされる後ろ姿に見覚えがあった。貧相なずたぼろのワンピースに、栄養失調気味の頼りない体型。伸びた手足は汚れを知らない白さを誇り、その手首や足首には球体間接があった。
「……なにやってんだ」
魔法人形の彼女が振り返る。瞬きをしない金の目が呆れたボクを捉えた。
「ちょうどよかった。少年、あれをかえしてきてくれ」
彼女が指した先には、ガラクタの上に丁寧に折り畳まれた母さんのコートがあった。
「どういうことだよ」
「ワタシは、もういちど、ねむろうとおもう。だから、いま、つくっているんだ。ねどこを」
彼女はガラクタを両手で持ち上げて、振りかぶった。壊れていたものがさらに壊れる。見た目に反して力があることに驚いたが、今はそれじゃない。
「眠るって」
「少年にきえろといわれた」
淡々と事実を述べる彼女に意図はない。いっそのこと、ボクを
「ワタシは魔法人形。ただの人形ではない。魔法がとかれないかぎり、ワタシは人形にはもどれない」
「解き方を知っているのなら、始めから自分でやればよかったじゃないか」
「それはできない。これはワタシのたからもので、しんぞう。ぬいたらとまる。あめがふっていようがいまいが、からだは、うごかなくなるだろう。だが、魔法はとけていない。うごかない魔法人形になる。少年があるといったこころは、のこったままだ」
彼女は自分の首筋を指し、本物の人形らしく首をかたむけた。
「ワタシは、からっぽになりたいんだ」
人形はからっぽでいいんだと繰り返す彼女は、自分自身に言い聞かせているように思えた。
「イマードはワタシをこわせなかった。だから、ワタシにじぶんで「死」をえらばせるようにした」
「イマードって奴は、本当に勝手だな」
「ワタシは、それを、あいじょうだと、おもっている」
誰かの幸せを願うのが愛だと言うのなら、彼女が語るイマードからは愛とやらを到底感じられなかった。
彼女は捨てられた。それなのに、今でも想い続けている相手を歯がゆく思う。
「まほうは、いつでもとける。でも、ワタシにはできなかった。イマードを、わすれてしまいたくなかったからだ」
「矛盾しているよ」
「わかっている。きっと、これもこころなんだろう。少年もそうだろう」
心当たりがないわけではなかった。帰りたいと言いながら大切な人たちの様子を見に行き、喜んだり悲しんだりしている。勝手に期待しては失望して、泣いたかと思えば彼女に当たり散らしている。
「醜いね、ボクは」
感情とやらに、心とやらに、とことん振り回されているのは自覚していた。
「うつくしいさ。ワタシよりも」
人形の彼女のほうが美しいと褒めても喜ばないだろう。彼女が求める美しさは、外見ではないのだから。
「ワタシはねむる」
彼女はガラクタで作った巣穴の中に、器用に体をねじ込ませた。
「また、ひつようになったら、おこしてくれればいい」
似たような光景を、どこかで見た記憶があった。
そうだ。初めて彼女と会った日だ。
あの日もガラクタの中に埋まっていた。飛び出した手に、本物の人だと勘違いした。今ならわかる。あれはわざとだ。彼女なりの主張だったんだ。
ボクが誰かに受け入れられたかったように、彼女は誰かに見つけて欲しかった。
誰かに必要とされたいと思う感情は、鬱陶しいぐらいボクたちにつき纏っては絞めてきて、そのくせ、自分の価値を決めようとしてくる。
なんだ。そうだったのか。
ボクは会ったときから、彼女に恋をしていたんだ。
ボクと似ているようで似つかない魔法人形に、惹かれて、妬いて、憧れて、恋をしていたんだ。
ボクは君に恋をした。けれど君は人形で、ボクは妖精だった。
「ボクは、必要だ」
彼女に自分自身を重ねていたのは否定しない。彼女の願いを叶えれば、他人の価値に委ねず、自分を認められるような気がした。
でも、今はそれよりも。
「君が好きだから、必要なんだ」
涙を湛え、震えた声で告白するのはとても情けない。
ボクは彼女の手を取り、またあの日のように引っ張り上げた。
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