第三話



 時刻は午後20時。

 文化祭準備期間とは言え、21時半までには完全帰宅となっている為、生徒会室内も20時を告げる時計の音を聞き、作業を進めていた手を止める。


「さあ皆帰りたまえ!危ないからね、迎えの車はもう呼んだかい?」

「会長…本当に今日一人で見回りへ行こうとしてるんですか…?」

「ああ!昨日話しただろう?」


 そうですけど、と書記が会計と目を合わせてからこちらを向く。

 ん?何が言いたいんだろうか?もしや、二人も今日の見回りを楽しみにしていたのか?

 なるほど、それならば二人がどこか不満げな表情に見えるのもわかる。俺が昨日言い出すまでは、今日は二人の見回り担当日だった。ははーん、なるほど!


「すまない二人とも…その代わり、明日の見回りに行ったらどうかな」

「えっ?」

「明日は篠塚くんの予定だったね!篠塚くんも、見回りを楽しみにしていたようだが…ここは俺に免じて明日の見回りは二人に譲ってはくれないだろうか…!」

「はぁ!?」


 書記の宮園がすっとんきょうな声をあげる。

 篠塚はいつも通り、いやそれ以上に楽しそうに笑っている。


「あらあら、私はいいですわよ」

「流石篠塚くん!良かったな!二人とも!」

「あー…ありがとうございます?」

「では、後のことは任せて皆気をつけて帰るように!また明日!」


 片付けの済んだ皆に手を振って見せる。

 宮園はなんとも言えない表情のまま会計の七森に背を押されて部屋を出た。


「会長様」

「ん?どうしたんだい、篠塚くん」

「明日は、ちゃんと私が行きますので」


 では、とふわりと会釈をすると篠塚は静かに生徒会室の戸を閉めた。


「ん…?そしたら、二人が行けないがいいのだろうか…?」


 全然読めないぞ、と頭を悩ませているうちに20時半だ。

 この事に関しては明日また篠塚くんに聞こう、と決めて晴翔も部屋を出た。



「えっ王子!?うっそ王子が今日見回りなの!?」

「えっ嘘王子!?来ることあるの!?やだあ!私頭ボサボサ〜!」


 キャアっと女子達の黄色い悲鳴に、ひらひらと扉の横で手を振って見せる。と、一層声は大きくなった。黄色い声に混じって男子生徒達もキラキラした目でこちらを見ている。


「ああ、頑張る皆の姿を見てみたくてね。今日もご苦労様。演劇部は今年もとても素晴らしいと聞いたから楽しみにしてるよ」


 キャアキャアと騒つく講堂の控え室で、煩いよ、と一人の女子生徒が声を上げると女子達はバツが悪そうな顔をしながら口を閉じた。彼女がこの部をまとめる長だ。何度か予算会議で顔を見た事がある。


「すみません、騒がしくて。ありがとうございます!是非当日もお時間あれば観て行って下さい!」

「ああ、楽しみにしているね。さて、下校準備はもう整ってるかな?そろそろ21時になるから気をつけてね」


 壁掛けの時計は十分前を指している。

 ざわつきながらも演劇部員は殆どまとまっていた荷物を皆慌てて担ぎ始めた。

 おや、焦らせてしまったかな。でも半には門も寮の入り口も締められてしまうから急ぐに越したことも無いだろう。締め出しを食らうのは一番辛い。

 さようなら!と元気よく声を揃える部員達に軽く手を振ってからその場を後にする。


 (さて、あとは部室棟で最後だな)


 報告されている予定表には、部室棟を今日使っているのは男子バスケ部とダンス部とある。

 今いる講堂から部室棟まではすぐだ。街灯がぼんやりと照らす中、薄暗い部室棟を目指す。

 廊下は灯りがついたままだが、その殆どの部屋は暗い。

 歩きながらそれぞれの扉の施錠を確認していく。皆しっかり鍵をかけてくれているようだ。

 一階、二階と確認が進み、どうやらバスケ部もダンス部も既に帰った後のようだ。


 (さて、最後は三階だな)


 三階にあるのは殆ど文化部だ。文芸部、写真部、軽音楽部。

 演劇部も部室はここだったな、と階段を登りきったところで一部屋灯りが漏れているのに気がついた。

 確かあそこは演劇部だ。誰か残っているのか、それとも講堂へ移動する際に忘れてそのままにしてしまったのだろうか?

 とにかく確認をしなくては、と明かりに向かって脚を進める。


 「…っ」


 誰か居るのか、と開いたままだった扉から中を覗き込んで息を飲んだ。


 (お姫様、だ)


 落ち着いたグリーンのドレスを纏う、後ろ姿。ふわりと揺れた裾から見えた脚は細い。黒の髪と対照的にうなじや腕の白さが引き立つ。

 ふ、と。此方を振り返りかけたその横顔は一瞬しか見えなかったのに、透き通る肌に影を落とした長い睫毛がとても印象的だった。

 ひ、と息を呑む音が響いたが晴翔の耳には届かず、その場に縫い付けられたようにただ目の前の光景に見惚れていた。


 (な、何か言わなくては)


「君は、」


 声をかけようとした瞬間、細い身体がビクリと跳ねて、弾かれたように走り出した。

 晴翔が立ち尽くすドアと逆のドアを勢いよく飛び出して、目で追うより先に階段を駆け下りて行ってしまう。

 俯いたまま、全力で駆け出したその顔は見えなかった。


「待ってくれないか…!」


 ワンテンポ遅れて、慌てて階段へ向かったがそこにはもう人の気配はなかった。

 (行ってしまった…のか…)


 ズンと、身体が重たくなる。

 自分は、落胆して居るのか?

 落胆?何にだろうか。あのお姫様に避けられたことを?あのお姫様が誰なのか分からなかったからか?

 いいや、その全てだ。

 あのたった一瞬で、自分の頭の中は全てドレスの君の事で一杯だ。

 誰なのか、何者なのかも分からないというのに。


「これが…恋か…」


 誰も居ないシンと静まり返った薄暗い階段で、小さく呟く。

 呟くと現実味がぶくぶくと湧いてきて、より一層あの緑色のドレスが気になって仕方がない。


 (そうか、今俺は恋に落ちたんだ…!)


 こんな気持ちになるのは初めてだ。

 恋をするとはどんな気持ちか、書籍や映像や、話には聞いていたから知識としてはあったが、自分が恋に落ちるのは初めてだ。

 ポカポカと、暖かな胸の内は幸せで満ちて居る。

 しかし、自分は想い人が誰なのかもわからない。

 ズン、と途端に重たくなる身体に衝撃を受けたが、はた、とまた考える。

 この学内に居たのであれば、きっとこの学園の生徒であることは間違いない。


 (よし、月曜日から俺の姫を探し当ててみせる!)


 待って居てくれ!と一人奮起しながら、階段を降りた。

 その時の晴翔は浮かれに浮かれ、演劇部の部室のことをすっかり忘れてしまって居た。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

緑ドレスのシンデレラ かのゑ @killsp_396

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ