溝の口でホワイトデー
世はホワイトデーである。バレンタインデーに女性から菓子類をもらった男性が、一か月後にお返しを用意する日本独自のイベントだ。贈る菓子で相手に対する好意の意味合いが変わる話は、この際必要ないから置いておく。
そう、ホワイトデーなのである。
「船江、どうしよう」
「何がだ。仕事に関係ない話なら聞かないぞ」
僕は事務所の机に突っ伏して、呻きながら船江に助けを求めた。対する船江は僕に興味が無いのか、手元の書類から目を離そうとしない。
「だから、ホワイトデーだよ。僕今までお返しとか考えたことなかったからどうしようと思って」
「バレンタインデーにもらったことないのか」
「あるけど、別に返さなくてもいいって言われたからお返しなんて用意したことないよ」
「知らん。猶更自分で考えろ」
余計に興味が失せたのか、船江はしかめっ面のまま作業に戻っていった。僕は完全に仕事を放棄して、パソコンの検索結果に出る品物を睨みつける。机に顎を置いたまま、マウスカーソルを彷徨わせて適当に画面をスクロールした。
画面には、定番スイーツやらアクセサリーの煌びやかな写真が躍っている。フラワーギフトや鞄など、どれも僕には縁のない代物だ。
「この際、手作りでお菓子でも作ればいいかな」
「お前が? 料理できんのか」
「多分無理だと思う。船江教えてよ」
「断る」
にべもなく断られた。まぁこれは想定内だ。僕はカーソルをスイーツの項目に合わせてクリックする。
「〇〇万個完売! 大人気マカロン!」
「女性が喜ぶ生チョコ紹介」
「インスタ映え間違いなし、キュートな動物型ケーキ」
どれもしっくり来ない。というか、値段が高すぎる。世の中の男性はこんな高価なものを贈り物にするのか、と気が遠くなる思いだ。
「いって!」
「なにダラダラしてんだ! 仕事しろ仕事! 俺が送った書類のチェック終わったのか西萩!」
容赦なく落とされた拳骨が僕の脳天を直撃した。衝撃を逃がすことも出来ずにダイレクトに響いて、僕は頭を押さえた。本当に痛い。これは悪いものを祓ったりする時の殴り方ではない。完全に八つ当たりだ。
「痛い……そんな本気で殴らなくても……」
「個人的な調べ物なら仕事終わった後にやれ!」
これではどっちが所長なのか分からない。船江は僕のパソコンの画面を一瞥し、ため息を吐いた。
「つか、これ誰に渡すつもりなんだよ」
「ゆきちゃんだよ。チョコもらったし、せっかくだから何かお返ししようと思ってさ」
「は?」
船江は僕とパソコンの記事を何度か見比べてから呆れたように言った。
「お前な、猫又に贈るのにチョコ渡してどうすんだ。食えんのか?」
「あ」
『ゆき、ちょこたべれない』
言われてから気が付いた。確かにゆきちゃんは「チョコが食べられない」と言っていた。船江は顔をしかめて、そっぽを向きながら言う。
「どうせなら猫相手に何あげた方がいいか考えろ」
「そうだね。船江もたまには役に立つじゃん」
「あ?」
「冗談だよ」
そう言いながら、僕は別のタブを開いて新しい検索ワードを入力する。検索結果を眺める僕を見て、船江が一瞬考え込み、僕の後頭部を平手で殴った。
「痛い!」
「だから仕事しろっつってんだろ!」
結局、あの後仕事をしてからも特にいいアイデアは浮かばなかった。船江と戸締りを確認して、事務所から帰路につく。最近は暖かくなってきたが、まだ日が落ちると寒い。二人で駅までの道を歩きながら、僕は寒さを誤魔化すようにコートの襟を掻き合わせた。
「そういえば、船江はどうするの?」
「何がだ」
「ホワイトデーだよ。お返し、何にするの?」
「何で俺が」
「だって明日香からもらってたじゃん。チョコ」
船江の足が止まった。振り返って見れば、顔を青くしていた。
「え、どうしたの」
「そうか、クソアマから貰ってたなそういえば」
「船江も大概酷いよね」
あはは、と笑えばうるせえ、と返ってきた。船江は右手に付けている腕時計を見たが、残念ながら駅のショッピングセンターは軒並み閉店している。
「まあ明日考えればいいんじゃない?」
「俺はお前と違って仕事中にネットサーフィンなんかしないがな」
「本当に最近、僕に対する当たりきついよね」
翌日。僕は昼休みの休憩を利用してマルイに来ていた。特設コーナーは新生活応援キャンペーンで賑わっている。文房具や財布、その他の雑貨などワゴンに所狭しと並べられていた。
いかにも女性が好みそうな配色だ。僕は手近にある財布を手に取りながら唸った。
「ゆきちゃんって財布とか使うのかな……」
確かにプレゼントすれば喜ばれそうだが、果たしてこれが正解なのだろうか。というか、そもそもこういった雑貨ではなく猫缶とかの方が喜ばれたりするのではないか?
「いやいや、さすがに猫缶はない……」
財布を元あった場所に戻しながら独り言ちる。傍から見れば怪しい人物だろうが、正直今は気にしていられない。それよりプレゼント選びの方がよっぽど重要だ。
どうしたものか、と視線を彷徨わせていると、とある一角に目が留まった。急いで歩み寄り、棚から商品を手に取る。
「……これにするか」
「しょうた!」
待ち合わせ場所の駅前に行けば、もうそこに待ち人は来ていた。白い服と黒い髪、黄色い目が特徴的な猫又の少女、ゆきちゃんは僕を見るなり破顔してこちらに駆け寄ってきた。
「ゆきちゃん、久しぶり。元気だった?」
「げんきだった!」
ぴょん、と跳ねるように飛びついてきた少女を受け止める。ゆきちゃんはニコニコと笑顔で僕を見る。ただ、気になるのはその視線の高さだ。
「ゆきちゃん、もしかして背、伸びた?」
「のびた! おっきくなった!」
たった一か月でこの成長ぶりである。子供が育つのは早いんだな、と遠い目をしていると、ゆきちゃんが期待に満ちた目を向けてきた。
「しょうた、ほわいとでー、だよ!」
「そうそう。これ準備してきたんだ」
鞄から取り出して、小さな袋を手渡す。ゆきちゃんは顔を輝かせた。
「あけていい?」
「いいよ」
僕の返事を聞くや否や、彼女はそっと大切なものを扱うように慎重にリボンを解いていく。中から出てきたのは。
「たおる?」
「ハンカチ。ゆきちゃんっぽい柄を選んだつもりなんだけど」
僕が選んだのは、白地に花の刺繍が施された薄手のハンカチだ。真っ白な中にアクセントとして添えられた黄色い花が、ゆきちゃんの目によく似ている。
ゆきちゃんは、しばらくハンカチを広げて見つめていた。もしかして、嬉しくなかったのかな。恐る恐る声を掛けようとした瞬間。ゆきちゃんはハンカチを抱きしめて満面の笑みを浮かべた。
「これ、かわいい! しょうた、ありがとう!」
「本当? 気に入ってくれてよかった」
「だいじにする! うれしい!」
感極まって僕に飛びついてきたゆきちゃんの背を撫でる。その背中は、あの暗がりで発見された時のように震えてはいなかった。周りからの目は痛いがそれは無視して、しばらくゆきちゃんの気が済むまで僕はそのまま少女の背中を撫で続けた。
事務所に戻る道すがら、随分と上機嫌な明日香を目撃する。ちょうど用事があったので、そのまま僕は彼女を呼び止めた。
「おーい明日香」
「あ、西萩さん! お疲れ様です!」
やたらと嬉しそうに返事をする明日香の今日の髪色は、珍しくシンプルな茶髪だった。いつもみたいな奇抜な色ではなかったので驚く。
「明日香にホワイトデーのお返しをあげようと思ってたんだ。はいこれ」
僕は、ゆきちゃんにあげた袋の色違いを明日香に差し出した。中身は同じ店で買ったハンカチだ。ただし、明日香には深紫のブロックチェック柄を買った。ついでに図書カードも入っている。いつも「新刊が」と言っているので喜ぶかな、と思ったのだ。袋を受け取った明日香は、それを見て笑った。
「はわー! 西萩さんまで! ありがとうございます!」
「ん? まで、ってどういうこと?」
「先程船江さんから連絡があって、ホワイトデーのプレゼントを頂いたんですよ。事務所に来いなんて言うから何事かと思えば、あの船江さんが! 私にプレゼント! 今から開封するのが楽しみです!」
「あぁ、そっか。ちゃんとあげたんだ」
僕の一言に、明日香は首を傾げた。
「ちゃんと、とは? 何かお二人でお話したんですか?」
「うん。この前僕が「明日香にお返ししなくていいの?」って聞いたから、あの後船江もプレゼント買いに行ったのかなって思ったんだ」
それを聞いて、明日香の笑顔がさらに輝く。普通にしていればどこにでもいる女の子なんだな、と今更ながらに思った。
「船江さん……! めっちゃ可愛くないですか⁉ これ渡された時「いらないからやる」って言われたんですよ⁉ ツンデレ⁉ 新概念⁉ 船江鶸ツンデレ受け概念ですか⁉」
「良く分からないけど、嬉しいのは伝わったよ」
「そりゃもちろん! あー、めっちゃ嬉しい! ありがとうございます! 船江さんにもよろしくお伝えください!」
「そんな喜んでもらえるとは思ってなかったなぁ」
「正直これだけで薄い本が厚くなりますよね! じゃあ私これで失礼します! やったーネタが増えた!」
そう言いながらスキップしそうな勢いで去っていく明日香の後姿を眺めた。今日も元気だなぁ、と思いながら、すぐそこの事務所に足を進めた。今日は晴れてて、気分がいい。屋上で日向ぼっこしながら煙草を吸うのもいいかもしれない。
その前に、明日香の言葉を船江に伝えておこう。何だったっけ、「薄い本が厚くなる」だったかな?
溝の口の何処かで 逆立ちパスタ @sakadachi-pasta
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。溝の口の何処かでの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます