紛い物
三島 至
紛い物
意識が浮上するのにまかせて、重い目蓋を上げると、白髪の少女が俺を覗きこんでいるのが見えた。
大きな紫色の瞳と、目が合う。
陶器のようになめらかそうで、触れれば吸い付きそうな、新雪の白い肌だった。
これほど精巧な人形を、持っていただろうか――
ぼんやりとそんな疑問を抱いたら、少女の体が前に動いた。
さらに顔が近付いてくる。
少女はゆっくり首を傾げると、ぱちりと瞬きをした。
驚いた。生きている。
可愛い。
どういう状況だろう。
直前の記憶が無い。
様々な思考が頭の中を飛び交う。
「初めまして、ガンサクさん」
高く愛らしい声が俺を呼ぶ。
「私はマガイ。貴方が愛した人の、クローンです」
クローン少女の自発的な発言を聞いた瞬間、俺の中に、歓喜とこれまでの記憶が一気に押し寄せてきた。
――実験は、成功したのか!
国で違法とされている、「人間のクローンを造り出す事」に手を染めたのは、いつの日からだろう。
同じ職場の、クローン研究者だった女性が、結婚に伴い職を辞してしまった事が、切っ掛けなのは確かだ。
綺麗な人だった。正直、惚れていた。
女性らしく豊満な胸と、折れそうに細い腰。背は俺より少し低く、腰まである長い髪は、生まれつきらしい、真っ白だった。
白髪というより、銀髪と言った方が正しく、彼女の髪は光に透けて美しかった。
比べて俺は、身なりもまともに整えていない、冴えない研究者のイメージ、そのものだ。
自分があまりにも見窄らしくて、面と向かって声をかけることなど出来なかった。
だから俺は、こっそり彼女の痕跡を集めていた。
抜け落ちた髪から、彼女が使用して棄てたゴミ、触れたもの全て、可能な限り回収した。
何年もそれを続けて、コレクションが膨大な量になった時、ふと、こんな考えが頭を過ったのだ。
集めた彼女の欠片から、彼女のコピーを造り出せないだろうか、と。
そんな折、彼女はクローン研究から身を引いて、職を辞した。
寿退社というやつだ。
彼女は、子供を産んで、次代の研究者に育て上げるつもりらしかった。
データはあるのだ。
彼女が欲しい。
ネズミや牛とは訳が違う。人間を人工的に作り出す事は、禁忌だ。
でも元がこんな俺だから、倫理など容易く踏み潰してしまう。
急かされるように、俺は、俺だけの彼女を造るのに必死になった。
ある時、成長した子供を連れて、彼女が職場に戻ってきた。
老いて輝きを失っていた彼女を見て、失望を隠せなかった俺は、母親の特徴を全て受け継いだ子供に目を向けた。
彼女をそのまま幼くした姿に、異様な胸の高鳴りを覚える。
俺は、親子ほど年の離れた彼女の子供を、舐め回すように見ていた。
大人の彼女へ向けていた歪な想いを、幼い少女へとすり替えたのだ。
「ガンサクさん、朝御飯ですか」
マガイは、造られてからすぐに、何くれと俺の世話を焼き、周りをちょこちょこと動き回った。
俺がご主人様だと、初めから認識しているようで、事あるごとに、「ガンサクさん、配膳しても良いですか」「ガンサクさん、隣で食べても良いですか」と許可を求めてくる。
盗み見るだけだった彼女の、クローンがここにいる。
俺だけを見ている。
許されない事だとは分かっていた。
でも、最高の気分だった。
マガイは教える前から、自分の名前と、俺の名前を知っていた。
どうやら、最低限のワードはインプットされているらしい。
無垢なマガイ。
俺の執着を知らないマガイ。
ついぞ彼女が俺へ向ける事の無かった微笑みを、マガイはいとも容易く俺に贈るのだ。
寝台から起き上がり、マガイが用意してくれた朝食の席につく。
寝起きだからか、立ち上がる時、少しふらついた。
視界も心なしか揺れている。
昨日は、酒でも飲んだのだったか。相変わらず、直前の――眠りに落ちる前の記憶が無い。
頭に霞がかかったように、思い出せない。
マガイが隣に腰をおろした。
まあいい。せっかくの朝食だ。まずは腹を満たしてしまおう。
俺がフォークを手に取ると、真似をするように、マガイも食器を持った。
にこにことしながら、俺が料理を口にするのを待っている。
幼気な少女の期待に応えるために、俺は灰色のハンバーグを切り分けて、口に運んだ。
……灰色?
咀嚼してから、遅れて、おや、と思う。
俺の知っているハンバーグの色ではない。
そしてあまりの不味さに、口内にどんどん唾液が溜まっていく。
マガイの不安そうな視線を感じて、無理矢理、なんとか飲み込んだ。
砂を噛んでいるようだった。
良く見れば、食卓に並べられた料理は、灰色だったり、暗い白だったり、全てがモノクロで出来ている。
とてつもなく大きな違和感は、感情よりも先に喉の奥からやってきた。
胸が焼けるように熱くなり、不快な何かが込み上げてくる。
口元を押さえた手の隙間から、真っ黒な液体がこぼれた。
あまりに黒いから、最初、墨かと思った。
下から心配そうに覗きこむマガイと再び目が合って、俺の視界の方が変なのだと気付く。
マガイの色も、モノクロに変わっていた。
じゃあ、これは、俺が吐き出したものは、血か?
何で?
ごぽっ、と音がしたような気がする。耳も遠くなっていた。
俺の体が傾いでいく。目だけはマガイの姿を追った。
マガイは目に涙をいっぱい溜めて、唇を動かした。
「ああ……今回も失敗だわ」
俺が知覚出来たのはそこまでだった。
※
母に連れられて行った研究所で、執拗に私を見てくる男の人が居た。
暗い瞳で母を見た彼が、私に視線を移した時、そこに溶けそうな程の熱が灯るのを見たのだ。
その目に、私は一瞬で恋に落ちた。
立場上も、歳の差を見ても、叶わない恋だとは分かっていた。
でもどうしても彼が欲しくて……悪い事だと知りつつも、母が関わっていた研究に手を出した。
私は幼くとも優秀な研究者だった。
それでも、まだ研究途中のクローン技術を完成させるのは難しい。
すぐ壊れてしまうと分かっていても、彼を造らずには居られなかった。
「初めまして、ガンサクさん」
彼は自分がクローンだと知らない。
どうせなら、本物だと思い込んでもらうために、私がクローンを演じた。
「私はマガイ。貴方が愛した人の、クローンです」
私の言葉で喜びに染まる、彼の瞳が好きだ。
彼の記憶をベースに造られた、贋作に過ぎないけれど。
紛い物 三島 至 @misimaitaru
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