魚人岬

Umehara

第1話(1話完結)

 自分が母の腹から生まれたのか卵から生まれたのか、人魚は知りませんでした。物心ついたとき、自分と同じ形をしたものはまわりにはなく、ときどき月明か りに照らされる水面に映る自分を見て、なんと不思議な形だろうと首をかしげるのが常でありました。海には沢山の魚が泳いでいましたし、空には沢山の鳥が羽 ばたいていました。しかし、人魚に似た生き物はどこにもいませんでした。

「ねえ、あなたたちに似た生き物はたくさんいるけれど、わたしに似た生き物はいないのかしら」

人魚は、南から渡ってきた鳥の群れに尋ねました。

「お前に似た生き物なら見たことがあるよ」

人魚はびっくりして、どこで見たのか尋ねました。

「あれは陸の上にいる。陸の上ならどこにでもいる。お前のような顔をして、お前のような手があった。しかし、あれはおそろしい生き物だ。海のものも空のものも、陸のものも食べてしまう」

「あなたたちだって、私の友達を食べたじゃないの」

「あれはお互い様じゃないか。やつらは違う」

鳥は、おそろしいおそろしいと言いながら北の方へと行ってしまいました。

 人魚はそのおそろしい生き物を見てみたいと思いました。人魚は若く、好奇心旺盛な年頃でありました。鳥はああ言ったけれど、同じ形をした自分が殺されることはないと思ったのです。海の中で、同じ生き物を食べたり殺したりするのを、人魚は見たことがありませんでした。

 人魚は、陸を目指してまっすぐ東に進んで行きました。

 遠くに陸が見えました。しかしそこは切り立った岩壁になっていて、とても上がれそうにはありません。人魚は陸に近づくと、浜を探してあたりを泳ぎ回りました。そのとき、崖の上に生き物が現れました。

 人魚は息を呑みました。自分と同じような顔、同じような腕。人間の娘がそこに立っていました。

 自分と同じ姿をした生き物を目にして、人魚の胸はうれしさで高鳴りました。物心ついてから初めて自分と同じ形のものに出会えたのです。唯一、尾の部分だけが違っていましたが、それでも今まで見たどの生き物よりも自分によく似ていました。

 娘の後ろから数人の男たちが現れました。娘は怯えた表情で海を見下ろしています。

 物々しい雰囲気に嫌なものを感じて、人魚は水の中に隠れました。それと同時に、大きな音を立てて水面が揺れました。びっくりして音の方を見ると、口と鼻か らあぶくを吐きながら沈んでいく娘と目が合いました。まっ逆さまに沈んでいく娘の両足は、麻紐できつく縛られていました。

 人魚は娘を追って潜っていきました。娘は、人魚とは違い水の中では生きられません。苦しみもがく姿を見て、人魚は初めてそのことを知りました。

 人魚は急いで追いかけますが、どんどん引き離されていきます。まるで海の底が娘を吸い寄せているかのようでした。

 娘のあとに、崖の上から酒が撒かれました。穢れを払う、清めの酒です。

 娘は穢れておりました。キズモノでありました。

 村の娘たちは、婚礼まで生娘のままでいなければなりません。穢れた娘は崖から海へと投げ捨てられました。

 娘は純潔でありました。祭りの夜、酒に酔った男衆に手篭めにされて血を流すまで、身も心も純潔そのものでありました。

 穢れた娘は、もう誰にも股を開かぬようにと両の足をきつく縛られて、海の底へと沈んでゆきました。

 そうやって、何人も何人も沈んでゆきました。

 動かなくなった娘は勢いを増して海の底に沈んでいきます。

 人魚は胸が苦しくなるのを感じました。今までこんなに深く潜ったことはありませんでした。光が届かなくなり、娘の姿が霞んでいきます。それでも人魚は追い続けました。追わずにはいられませんでした。

 海の底には、人魚の生まれる場所がありました。両足を縛られた娘たちは海の底で両の足を尾に変え、永遠に股を閉じた姿で目覚めるのでした。

 人魚は、光り輝く珊瑚礁を見ました。そこにはたくさんの娘が横たわっていました。娘でないものは骨になっていましたが、娘たちはきれいなまま、皆ぴったりと足を閉じた姿で珊瑚礁に抱かれていました。

 

 自分が母の腹から生まれたのか卵から生まれたのか、人魚は知りませんでした。

 今の今まで、知りませんでした。



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魚人岬 Umehara @akeri

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