兄と常世の因縁3





   荒野が広がる先は、まるで世界から隔離されたかのように、渓谷が断崖絶壁に囲まれ、その中心にそびえ立つ屋敷は異様な雰囲気を醸し出している。


   日が落ちた大地にほんのり灯る提灯がゆらりくらりと屋敷を舞う様は幻想的で、圧巻の大きさを誇る五重にもなる屋敷を囲むように武家屋敷がいくつもある。


   宿か湯屋だろうか。大きな煙突から長細い雲を生んでいる。屋敷の周りを飛ぶいくつもの和船の帆には〝春〟の文字が貼り付けられている。常世にも四季があるのだろう。



   と、異界の景色に見とれているとこの世にも重力というものは存在するらしく、ずんっと重みがかかる。落ちる───そう気づいた時には既に遅く、私達はなす術もなく落下していた。


「あいたっ」


   どてっと鈍い音とともに強打した尻がじんじんと痛む。どうやら何かに乗ったらしいと辺りを見渡すと、和船に腰こけていた。


   船の淵を掴むと真下を見下ろした。和船は地から離れ遥か上空を浮遊している。



   天使な青年、煎国さん。パープルブラック色の髪をしたお堅い青年。霊王の子狐、紫門。鷹のように真っ直ぐな、ハイド。冷徹な魔女。軽薄な男性、アベル。ついさっき会ったばかりの面々の姿が小さくなる。


   まさかこんなにも簡単にあの場から逃げ出せるとは。ちらりと救世主ことネルに流し目を送る。



「月深は陽丞が好きなんだな」


「え?まぁ…」


   唐突のことに不意打ちをくらった私は照れくさい曖昧な返事をしてしまう。そんなことより、いろいろ説明がほしいと聞こうとした時、少年の方が早く動き、私の肩に頭を置いた。ふわふわな髪が私の髪と重なる。


   どきり、声もなく心臓がはねる。


「寒い、俺をあっためろ」


   完全に私に寄りかかる少年はごろごろと喉を鳴らし、猫のように擦り寄るのが上手い。不覚にも可愛いと思ってしまうが、これは猫ではなく男の子だと再認識し、突き放した。


「くっつかないで」


「何のためのもふもふだ。俺が使ってやる」


   そう目を閉じながら言い、またすりすり寄ってもたれかかる。


「猫みたい…だけど強引だよね」


「弟だと思えば可愛いもんだろ」


「自分で言わないでよ」


「月深、ここは俺の屋敷だ。あいつらもヘタに近づけないから安心していい」


   体重を預けたまま少年は言う。どうやらこの少年は私の味方らしいが、その理由は兄と関係があるのだろうか。





──────────────





   和船に操縦機はなく、勝手に屋敷前の大手門へ降り立った。大手門の先の大橋からはこちらにかけてくる二つの影。


   一つは15歳くらいのお下げの女の子。もう一つは女の子と同い年か少し上であろう天パの男の子。


   二人は門の前に恐らく何の連絡もなしに降り立った和船に驚いてかけてきたのだろう。初めこそ訝しげにしていた表情も、徐々に和らいでいき、その理由を示すかのように叫んだ。



「ネル様〜〜!!」


   息ぴったりの叫び声を耳にし、呼ばれた少年は寝起きの顔を上げ、漸く私から離れた。


「やっとお戻りになられたんですね!一言くらい欲しいものですが…って、月深嬢!?」


   がしっと和船を揺らす勢いでかけてきたのは男の子の方だ。少年を見て、ない尻尾をふって喜んでいたかと思えば、傍らの私を見て目を丸くしている。



   百面相っぷりが面白いが、やけに馴れ馴れしいような…と思っていると、ばしーんと頬を平手打ちされている。


「こーらおゆ!月深ちゃんに失礼でしょ?って、えぇえ!?」


   平手打ちをかました女の子はこれでもかってくらい身を乗り出し、私の顔をまじまじ見つめる、湿った草原を思わせるその深緑のそうがんがくりくりと私の目を離さない。



「あゆ、おゆ。しばらく月深をおくことになったから、皆に伝えてくれ」


「はい、ネル様。ってどういうことっすか!?」


「のみこみ悪いわねーあんた。月深ちゃん、よろしくね」


「う、うん」



   この二人から親しみを感じるのはきっと何か理由があるのだろうが、今の私にはそれが何なのか分からなかった。





──────────────





   ここは常世と現世を繋ぐ〝異界の門〟を守る役目を担う不夜の屋敷、〝夜光屋〟と呼ばれ、常世屈指の結界に長けた者が集い門を守っている。


   双子の男女、おゆとあゆは見た目こそ15歳の童だが、ここ〝夜光屋〟の古株で通行人の取り調べを行っている。


   彼等の気さくで元気いっぱいの態度は誰しも心を許せるキーマンであり、夜光屋の顔ともいえる。彼等もまた、私を知っていて、私は彼等に覚えがなかった。



   ハイドが言っていた通り記憶がないのなら筋は通るが、はたしてそんなことがあるのだろうか。その辺のこおを夜光屋の主、ネルに聞いてものらりくらりとかわされ何も得ることができずにいた。


   彼は霊王の一人で、霊王とはこの常世を統べる王妃に次ぐ権力者であるらしい。王妃様には代々常世と現世を繋ぐ聖なる力をもっているとされているが、現王妃にはその力が目覚めていないらしい。



「〝橋渡し〟っていうのは、常世と現世を繋ぐ役目、言ってしまえばエネルギー源としての犠牲、つまり陽丞は生でも死でもないところにずっとさ迷い続け、役目を終えれば死ぬだけの存在になる」


   眠り王の異名を持つ霊王の一人、ネルは私のことには触れず、兄の置かれている状況について説明してくれた。


   しかしそんなことに納得がいくはずのない私は眉根を寄せ問う。


「それを了承したの?どうしてお兄なの?」


「陽丞はもともと生にしがみつく気力が誰よりも強かった。常世ではその気力こそが存在の元でもある。そして陽丞は王妃様と取り引きしなきゃいけない事情があった。それが何なのかは本人に聞くといい」



   王妃に力が目覚めない。つまりお兄はその穴埋めを命をかけてやらないといけないということなのか。引くに引けない事情があって、自分の命よりも大切なもののために応じた。その大切なものは何なのか。


   しばらく云々思考を巡らせていると、ふと何気なくこちらを見つめるネルと目が合う。片目を隠した彼は独特の雰囲気を漂わせ、謎を深めている。



   一つ、彼に確認したいことがある。


「君はお兄のことを助けるつもりなの?」


   私の目的は変わらない。兄を助けるために、常世を敵に回すことになる。居場所をくれた彼は私の味方だと推測されるが、その口から聞きたかった。


   ごくり。心配気に彼の顔を覗くと、微笑を浮かべていた。そして心地よい風のように息をはいた。


「…月深がそう望むならね」


   それはとても優しい声音で、胸がぎゅっと掴まれる。



「私が?どうして?」


「さぁ?」


   また曖昧で眠たげな返答。彼はいつだって余裕めいているな。


「橋渡しができないと常世は困るんでしょ?」


「常世がというより、現世が困るだろうな。益々荒夜の者が増えるだろうな」


   それはかなり事がでかいというのに、やはり緊張感のない声で欠伸とともに告げた。だからか、落ち着いて聞けた。



「…橋渡し以外に何か方法はないの?」


「あるにはあるが、途方もないやり方でその上確実じゃない。あとは…」


   聞くまでもなく分かっていた。すべての元凶は、王妃様にあるのだから。しかし当人がそれを一番気にしているのだろう。王妃様を支える霊王達はそれを気遣っている。私からしてみれば知ったことではないのだけれど。



「まぁそう焦るな。この話はまたにしよう」


   ネルはこれ以上話したくないようで無理矢理話を終わらせた。と、思ったら一際真面目な声音で私の名を呼ぶ。



「月深」


「え?」


「陽丞を救いたいならまずお前自身がしっかりしろ。俺に勝てないようじゃ話にならない。俺の知るお前はこんなもんじゃない」


「な、何よ。あれは本調子じゃなくて…」


   苦い言い訳に顔がひきつるも、ネルは至極真面目に付け足す。


「夜光屋はお前を歓迎する。あいつらを知り、常世を知ってからでも陽丞の救出は遅くない。この意味、お前なら気づけると、信じてるからな」


「…?」




   意味深で決して忘れてはいけない言葉であると直感的に悟った。自分自身を自分の手で知ることで見えてくるものがあるということを。それがなければ、兄を救うことが出来ないことを。


   夜が更けても、常世は賑わいが止むことはなく、お祭り騒ぎのせいか私は眠れずにいた。欠けていた月夜の晩、私は常世に留まることを、夜光屋にお世話になることを決めたのだった。





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ニート兄の隠し事 くお @orin_777

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