第5話 魔法少女、初出動 前編
瑞樹は黙考した。
気のせいか「放火」と聞こえた気がするが、流石に何かの間違いだろう。きっと憑依の影響か何かで耳が遠くなっているに違いない。一縷の希望を胸に瑞樹は尋ねる。
「すみません、もう一度言ってくれませんか?」
「……最後の能力は、放火じゃ」
どうやら希望などなかったらしい。
一度深呼吸をすると瑞樹は諦めたような笑みを浮かべる。そしておもむろに尻尾に手を伸ばすと――思い切り引っ張った。
「ぬお!? いきなり何をするんじゃ瑞樹!?」
「いえ、これ引っ張ったらキュウモウ狸さんごと引っこ抜けないかなと思いまして」
「いや、抜けんぞ!? 尻尾が千切れて痛い思いをするだけじゃぞ!? というか仮にワシごと引っこ抜けたとして、そんなことをしたら憑依が解けてしまうじゃろうが!」
「だから憑依を解こうとしてるんですよ! 分かったら早く出て行ってください!」
尻尾を引っ張る手にさらに力を加えながら、瑞樹は必死の形相で叫ぶ。身体能力の強化というのはどうやら伊達ではないらしく、力を加えるたびに尻尾の付け根からミチミチと不吉な音が響いてくる。
「落ち着け瑞樹! ワシの言い方が悪かった! だからとりあえず尻尾から手を放してくれ! このままだと本当に千切れてしまう!」
「嫌です! 千切られたくないなら私から離れてください! ていうか、なんですか能力が放火って! 火難予知と放火ってどう考えてもマッチポンプじゃないですか! 語源通りのマッチとポンプじゃないですか! つまり犯罪じゃないですか!」
怒涛の勢いで瑞樹がツッコミを入れる。瑞樹がなりたいのは頼り甲斐のある大人っぽい人物であり、人知れず悪人の家に放火して回るエセ義賊ではない。犯罪者になるなど御免被るのである。
「違う、そうではない! いや、確かに放火は犯罪じゃがそういう意味ではなくてだな!」
「じゃあどういう意味なんですか!? ていうか『能力を貸し与える』ってことは、放火はキュウモウ狸さんの能力ってことですよね? つまりやったことがあるってことですよね!? 放火!」
「そ、それは……確かにそうじゃが……」
言葉を詰まらせながらキュウモウ狸は答える。
「じゃが、あれはワシの山で狸狩りなんかしようとするから……」
「え……」
思わぬ言葉に瑞樹の頭がフリーズする。
狸狩り。読んで字のごとく狸を獲物とした狩猟行為のことである。それをキュウモウ狸の棲む山で行おうとしたということは、つまり……。
「あ……その、すみません、私そんなつもりじゃ……!」
動揺に目を泳がせる瑞樹の口から謝罪の言葉が溢れる。自らの不用意な発言で相手を傷つけてしまったと思っているのか、面白いように狼狽する瑞樹。そんな瑞樹にキュウモウ狸は訝しげな声を上げた。
「何を想像しとるか知らんが、別に気にするほどのことではないぞ? ワシが狩りの標的になった訳でもないし」
「へ? それってどういう……」
「いや、どうもその狸狩りをしようとしたやつというのが新参の猟師だったようでの。ワシの住処と知らずに狸狩りをしようとしたらしいんじゃよ」
あっけらかんとした声で語るキュウモウ狸。昨日の夕飯の話でもするかのような軽い声に、瑞樹はわずかな間ぽかんとした顔をしたあと呟くようにツッコミを入れた。
「え、それ知ってて放火したんですか?」
「まさか。後になって知ったんじゃよ。……本当なら火をつける前にその辺りをちゃんと確認するべきだったんじゃがな。あの時は完全に頭に血が昇っておった……。今思い出してもあの猟師には悪いことをしたわい」
キュウモウ狸の声がわずかに沈む。過去の自分の未熟さを恥じるような物憂げな声が1月の冷たい空気に溶けて消える。
「はあ……でもキュウモウ狸さんって化け狸ですよね? よく考えたら、狸狩りなんてされても返り討ちにできるんじゃないですか?」
「確かに狩りをするのが人間だけならどうとでもなるんじゃがの。猟犬はダメじゃ。あいつらは
「いや、『かの』って言われても、『どの?』としか言いようがないんですが」
「そりゃあそうか。有名な化け狸の名前じゃよ。……ところで、すっかり落ち着いたみたいじゃの」
「え? ああ、確かに……」
言われてみれば、と瑞樹は頷く。途中からツッコミに回っていたおかげかすっかり平常心が戻っていた。つい先ほどまでのヒートアップっぷりが嘘のようだ。
「うむ。それなら良い。それでは放火の能力の話に戻るが……まあ、これは正確に言えば『火をつける』能力じゃな。火の勢いの強弱や火が燃え広がる方向を操作することもできるが、そもそも何か燃やすものがないとどうにもならん。火勢を極限まで弱めれば鎮火させることもできるから、そっちの方が使う機会は多いんじゃないかのう」
「使うには燃料になるものが必要ってことですか……。とりあえず、家を燃やす能力とかじゃなくて良かったです」
どうやら犯罪者デビューの心配は
「さて、能力の説明はこれくらいじゃが、何か質問はあるかの?」
「そうですね。そういえば能力を使うときってどうするんです? なにか呪文とか唱えたりするんですか?」
「いや、そういうのは特に必要ないな。例えば……ああ、ちょうど良い」
唐突に言葉を切るキュウモウ狸。一体どうしたのかと瑞樹は首を捻るが、その瞬間、瑞樹の脳裏にノイズ混じりの映像が浮かんだ。
――狭い空間の中にひしめくようにに設置されたいくつかの遊具。それらの中心に佇む時計台の下で、小学生くらいの二人の子供が立ち尽くしていた。恐らくは姉弟だろうか。弟と思わしき男の子の方は顔に手を当てて泣きじゃくっており、姉らしき女の子の方は呆然とどこか遠くを見つめている――
見覚えのない映像が、壊れかけのブラウン管テレビのように明滅する。
「え、ちょ、なんですかこれ!?」
頭に手をやりながら狼狽える瑞樹にキュウモウ狸が落ち着き払った様子で説明した。
「予知じゃよ。盗難予知と火難予知はそうやって未来に起こることを突然幻視するようになる能力なんじゃ」
「地味に不便ですね、それ! というか予知が発動したってことは」
「うむ。幻視に出てきたあの子供たちが被害にあうということじゃな。今発動したのは……盗難予知の方じゃの」
「盗難……!」
瑞樹は息を呑んだ。あんなに小さな姉弟から物を盗む
「け、警察に連絡しないと! ああ、でもまだ起こってない事件だから動いてくれないかも……」
瑞樹の手がスマホを探して腰の辺りをさ迷う。無意識のその行動にキュウモウ狸は呆れた様子で声を上げた。
「警察? 何を言っとるんじゃ。お前さんがなんとかすれば良い話じゃろうが」
「はい!? 無茶を言わないでください、盗難事件ですよ! ただの学生に防げるわけが……」
「だから、今のお前さんはただの学生ではないじゃろう?」
「いや、何を言って……あ」
不意に言葉を途切れさせながら瑞樹は自分の身体を見下ろした。狩衣を模した純白の衣装の裾が、茶色い狸の尻尾と共にふわりと揺れる。
ようやく得心がいったという様子の瑞樹に、キュウモウ狸は不敵な含み笑いを響かせながら言った。
「さあ、魔法少女の初仕事じゃ」
***
数分後。
瑞樹とキュウモウ狸は目的地へと一直線に駆け抜けていた。彼女たち一人と一匹の歩みを止めるものは、この場には一切存在しない。
なぜならば瑞樹が移動しているのは地上ではないからだ。
瑞樹は今、木々の先端を足場にして自然公園の上空を
(身体能力の強化……って、これは流石に強化され過ぎなんじゃないですかね!?)
まるで仙人のように木々の梢を踏みながら自分の身体に、驚きを通り越して戦慄を覚える元病弱女子・瑞樹。そんな瑞樹にキュウモウ狸は鼻高々といった様子で笑い声を上げた。
「ふはははは! このくらいの芸当、憑きものならば朝飯前よ! ……ところで瑞樹や、本当に現場はこの先で合っているのか?」
「大丈夫です! この近くである程度の大きさの遊具を置ける場所といえばこの先の広場しかありません!」
耳元で叫ぶ風の音に負けないよう、大声で答える瑞樹。そんな瑞樹の脳裏を一抹の不安がよぎる。
(間に合うでしょうか……?)
魔法少女としての能力の一つ、『身体能力強化』。尋常ならざる怪力や身軽さを手に入れるというその能力で目的地までの道のりを大幅にショートカットすれば、予知が現実になる前に現場にたどり着けるかもしれない――キュウモウ狸にそう助言されて天水池を出発してから何分経っただろうか。変身と同時にスマホも荷物もどこかに収納されてしまったため、今の瑞樹には時間を知る方法はない。広場の目印である時計台にはだいぶ近づいていたが、
梢を踏む足が速さを増す。焦燥が胸の内を焼き焦がすのを感じながら、どれくらいの間走っただろうか。広場まであと10メートルほどにまで迫ったその時。
「キャー!!」
絹を
私、魔法少女じゃありませんからっ! 甘牛屋充棟(元・汗牛屋高好) @youikaiki
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