第4話 魔法少女(化け狸製)
キュウモウ狸との出会いから一晩明けた土曜日の朝。瑞樹は岩蔵市南部の田中町にある大きな公園――
「っくちょん!」
瑞樹の口から可愛らしいクシャミが飛び出す。
晴れているとはいえ一月の午前中である、当然のことながら気温は低い。いくら瑞樹が分厚いダウンジャケットを着こんでいてもさすがに
(もう少し厚着してくればよかったかな)
家を出る直前まで「もっと暖かい恰好をしていきなさい」と勧めてきた母の顔が脳裏をよぎる。膝丈のスカートは冬場の寒風を防ぐには圧倒的に防御力が不足しており、瑞樹はスカートの上から太ももを
瑞樹が数十分前の過去に意識を飛ばしていると、左肩に提げた鞄がもぞもぞと動く。
「ほお、見事に誰もおらんのう」
顔だけをぐるりと回して周囲を見渡しながら、キュウモウ狸は感嘆とも呆れともつかない声を上げる。そんなキュウモウ狸につられるように辺りを見回しながら瑞樹は頷いた。
「あまり
瑞樹は目の前の空間に目を遣った。無骨な灰色のフェンスの向こうには緑色とも茶色ともつかない色の大きな池が広がっている。
噂の真偽はどうあれ、わざわざ見に来たいと思わせるほど魅力がある場所でないことは確かである。田中町と寺町の境辺りに住む瑞樹でも普段なら来ようと思わない場所だが、今日ばかりはこの場所に来なければならない事情があった。
「このくらい
「うむ。記念すべき瑞樹の魔法少女としての初変身じゃからな! 万が一にも邪魔が入らぬようにせねば!」
そう、今日は瑞樹が初めて変身する日なのである。正確には変身以外にもキュウモウ狸の力を使って何ができるかを試す日でもあるのだが、どちらにしても人に見られるわけにはいかないという点では同じである。瑞樹がわざわざ朝から人気のない公園に来たのもそれが理由であった。
「魔法少女、ですか……」
フンスと鼻息を荒くするキュウモウ狸に対して、瑞樹は浮かない顔で呟く。その顔はまるで健康診断の結果が帰ってくるのを待つ中年会社員のようだ。
「どうした? 何か気になる事でもあるのか?」
「ええまあ、気になる事というか……」
言い淀みながら瑞樹はポリポリと頬を掻く。その頬は僅かに赤く染まっていた。
「その、やっぱり魔法少女と名乗るのは恥ずかしいな、と思いまして……年齢的にもちょっとオーバーしてるような気もしますし」
瑞樹は明後日の方向に視線をさ迷わせる。
キュウモウ狸の提案を飲んだ以上、瑞樹にはもう魔法少女をただの子供の夢物語だと侮る気はない。しかし、それでも魔法少女ものが基本的に子供向けの作品である以上、その主人公たる魔法少女もやはり小中学生であるのが一般的だ。にもかかわらず高校生、それもあと三カ月もすれば二年生に進級する人間が魔法少女を名乗るというのは、端的に言って相当イタいのではないか。
「何を言うかと思えば、そんなもの誤差の範囲内じゃろう。むしろ適正年齢だと思うぞ?」
「そうでしょうか?」
「うむ。確かに魔法少女もの及び魔女っ娘ものは小学生が主人公の作品が多いが中学生が主人公の作品も少ない訳では――」
「あの、私高校生なんですが……」
その瞬間、場の空気が凍りついた。
「キュウモウ狸さん」
瑞樹の顔に雪山の空気のように冷えきった笑みが浮かぶ。そんな瑞樹からキュウモウ狸は申し訳なさそうに目をそらした。
「……すまん、素で間違えとった。お前さん高校生じゃったのか」
「ハハ……別にいいんです、慣れてますから」
乾いた声で笑って瑞樹は空を見上げる。高校に進学して早一年、中学生に間違われたことは何度もあったが、今回はやけに鼻の奥がツンとした。
「私、本当に大人っぽくなれるんでしょうか……?」
「あ、いや、まあ、貫禄だの大人の落ち着きだのというものは外見より内面から滲み出るものじゃからな。あんまり気にすることはなかろう」
「そうですかね……?」
お通夜のようなどんよりとした空気が場に流れる。思いがけず瑞樹の心の中の地雷を踏み抜いてしまったことを察したキュウモウ狸は慌てて話題を逸らした。
「そ、それはそれとして瑞樹よ。そろそろ変身した方がいいんじゃないかの? この公園がどれだけ人気がないかは知らんが、それでも時間が経てば誰か来るかもしれんぞ?」
「……そうですね。いつまでものんびりしてるのもどうかと思いますし」
ゆっくりと瑞樹は頷く。声は未だ沈んだままだが、表情には少し張りが戻っている。どうやら上手く気分を切り替えてくれたようだ。
キュウモウ狸は心の中で冷や汗を
気を付けなければと肝に銘じるキュウモウ狸だったが、その一方で、どうしようもない懐かしさが胸にこみ上げてくるのを感じていた。人間とこのような何気ない会話をしたのは一体いつ振りだろうか? そんなことを考えて思わず口元が緩みそうになる。
と、そうこうしている内に完全に気を取り直したのか、瑞樹がキュウモウ狸に聴いた。
「で、変身ってどうやるんですか?」
「ん? おお、そうじゃな」
思い出の中にトリップしていた意識を現実に引き戻しながらキュウモウ狸は頷く。
「特に難しいことをする必要はないぞ。ただ『マジカルチェンジ!』と叫べば良いだけじゃ」
「マジカルチェンジって、またいかにもな」
「それで良い。『いかにも』も『ありきたり』も裏を返せばすなわち『王道』ということ。王道は優れているがゆえに王道足り得るんじゃ」
「いや確かにそうですけど、私が言いたいのはそういうことじゃなくて……はあ、分かりました。マジカルチェンジですね」
反論しようとした瑞樹だったが、まるで悟りの境地に達した求道者のような清澄な雰囲気を醸し出すキュウモウ狸を前に諦める。この種の雰囲気を醸し出す輩には大体何を言っても無駄なのだ。不本意ながらも、瑞樹はそのことを何人かの同級生――特に静夏――との会話から学んでいた。
(改めて考えるとうちのクラスって妙にアクの強い人が多いような……)
ふとそんなことを考えてため息をつくと、瑞樹は深く息を吸いこんだ。その両頬は鏡を見なくても分かるほどに赤く染まり、強く握った拳は小刻みに震えている。しかし、それらの原因である羞恥心を振り払うように瑞樹は大きな声で叫ぶ。
「マジカルチェンジ!」
次の瞬間、瑞樹の足元から真っ白な煙が吹き出した。つむじ風のように渦を巻きながら立ち上った白煙はあっという間に瑞樹の姿を覆い隠し、現れた時と同じく唐突に四方八方へと吹き散っていく。
やがて全ての煙が晴れた時、そこには一人の異装の少女が立っていた。
上半身を包むのは袖口が広く全体的に角ばった印象を与える和服――神職が着る
「わあ……!」
衣装を見下ろしながら瑞樹は思わず感嘆の声を上げる。そうすると衣装と同じ純白に染まった髪がサラリと頬にかかる。
「髪の毛の色も変わるんですか……って、あれ?」
毛先をくるくると
いなかったのだ。鞄の中から顔を覗かせていたはずのキュウモウ狸が。
困惑と共に辺りを見回す瑞樹だが、そこにどこからともなく飄々とした壮年男性の声が響く。
「うむ、やはり衣装と髪で統一性があった方が綺麗じゃからな。それに髪色が違えば見た目の印象を誤魔化すことも出来るじゃろう?」
「ああ、なるほど。意外としっかりした理由があるんですね……って、いやいや、そうじゃなくて」
思わず納得しかけた瑞樹だが、今問題なのはそこではないと慌てて首を横に振る。
「キュウモウ狸さんはどこにいるんですか? 声は聞こえますけど姿が見えないんですが」
「ん? なんじゃ、気付いておらんかったのか? 頭の上を触ってみい」
「頭……?」
頭上に移動したと言うことだろうか? しかしそんな感触は無かったはず……と、内心首を傾げながら瑞樹は言われた通りに自分の頭に手を伸ばす。
指先が、モフモフとした感触の異物に触れた。
「うん!?」
背筋がゾクリとするような奇妙な感覚に襲われて瑞樹は反射的に手を放す。まるでぬいぐるみを触ったような柔らかな感触だったが、キュウモウ狸だと考えるには少し小さい。
頭上に現れた未知の物体に、瑞樹は恐る恐る手を伸ばす。
大体直径5センチくらいだろうか。円形の、大福餅を横倒しにしたような形の柔らかい物体が二つ、頭の上についている。全体を短い毛に覆われ中心付近に窪みと穴を持つそれはどう考えても――
「狸の耳?」
「ご名答。ちなみに尻尾もあるぞ?」
「え!? あ、本当だ」
上体をひねって背後を見ると、確かに
物珍しげに尻尾や耳をなでる瑞樹に、キュウモウ狸は愉快そうに笑い声を漏らす。よくよく聞けばキュウモウ狸の声は瑞樹の頭の狸耳から発せられているようだった。
「どうじゃ? 面白いじゃろう」
「ええ、確かに面白いですね。わざわざ衣装の一部に感覚を通して動かせるようにする必要があるのかは謎ですが」
落ち着きを取り戻して来たのか瑞樹が冷静にツッコミを入れる。大方見た目の可愛らしさを意識したギミックだろうが妙な所に凝り過ぎではないか? そう思いながらツッコむ瑞樹だったが、対するキュウモウ狸の答えは意外なものだった。
「いや、その耳と尻尾は衣装ではない。れっきとした本物じゃよ。今はコントロールが瑞樹に移っておるがどちらも本来はワシの体の一部じゃ」
「はい? それってどういうことですか?」
怪訝な面持ちで瑞樹が尋ねると、キュウモウ狸はどう説明したものか悩むように一声唸った。
「そうじゃな……時に瑞樹よ、憑依現象というのは知っておるかの?」
「ええまあ一応は。幽霊とかが人間の身体を乗っ取るとか、そういうのですよね?」
「うむ。まあ、そんなところじゃ。もう少し正確に言えば、なんらかの霊的存在が人間に付着あるいは侵入して普通では考えられない異常な言動や能力を発揮させる現象じゃな。最近の人間は知らんかもしれんが、人間の霊以外に狐や狸が憑依する場合も多くてのう。その場合は
「へえ……って狸憑き?」
「うむ。今のワシと瑞樹のような状態じゃの。で、耳と尻尾が生えるのは霊が憑依した印みたいなもんじゃ。狐が憑けば狐の耳やら尻尾やらが生えるし、蛇が憑けばどこかに鱗が生えたりしてな。要は憑いた霊の一部が憑かれた人間の体の一部として実体化するわけじゃ。他には、憑いた動物に行動が似るという例も多いのう。狐憑きが油揚げを要求するようになったり、蛇憑きが地面を這うようになったりするんじゃな」
「なるほど……ところで憑依ってことは、もしかして、その、私の体を乗っ取ったりとかするんですか?」
声に隠しきれない不安を滲ませながら瑞樹は尋ねる。話を聞く限りでは憑依された人間は霊に体の主導権を奪われてしまうようだが、キュウモウ狸もそうするつもりなのだろうか。迂闊に指示に従ったことを後悔しつつ、瑞樹は最悪の展開を予想して覚悟を決める。しかしそんな瑞樹にキュウモウ狸はあっさりと言った。
「いや、せんぞ?」
「へ?」
肩透かしをくらった瑞樹の口から間抜けな声が漏れる。
「どうした、そんな鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして。他人の身体を乗っ取るのは効率が悪いんじゃ。慣れていない身体を動かしたり身体の本来の持ち主の意思を押さえつけるのに無駄な力を使うのでな。そんなことに力を
「へえ……色々と都合があるんですね」
「うむ。もっとも、効率が良かったところでやるつもりはないがな。魔法少女の身体を乗っ取るマスコットなど邪道にもほどがある。……まあ、無駄遣いできるほども力が残っていないというのもあるが」
「ん? 今、何か言いました?」
「はて、何のことかの? と、それよりもじゃ。お前さんが使う魔法のことなんじゃがの」
最後にボソリと何かを言い足したような気がして瑞樹は首を傾げるが、キュウモウ狸はそれをさらりと流して話を続ける。
「魔法ですか……。疑うわけじゃないですけどそんなの本当に私に使えるんですか? 正直、私にそういう方面の才能があるとは思えないんですが」
自慢にもならないが瑞樹には霊感や第六感といった超常的な力は全くない。それどころか心霊現象を経験したこともなく、金縛りにあったことすらない。キュウモウ狸と遭遇するという不思議体験を今経験していること自体が不思議なくらいの平凡な人間なのだ。そんな人間が突然魔法のような特殊な力を使うことが出来るようになるものだろうか。自信なさげな様子の瑞樹にキュウモウ狸は事も無げに返した。
「ああ、それなら問題ないぞ。魔法と言ってもワシの能力を貸し与えるという形になるからの。使いこなせるかは別としても使うこと自体はできるはずじゃ」
「能力を貸す?」
「そうじゃ。さっき狐憑きや蛇憑きの話をしたが、ああいうモノに憑かれた人間は何らかの形で憑いたモノの能力を使えるようになることがあるんじゃ。具体的には急な来客や天候の変化を予知するとか、異常な怪力を発揮したりとかじゃの。じゃから瑞樹もワシの能力を使えるようになっているはずじゃ」
「なるほど……って、それ魔法って言っていいんですか?」
「大丈夫じゃろ? そもそも魔法とは悪魔やら精霊やらの力を貸りて自分の望む事象を引き起こすことなんじゃから。化け狸の力を借りても問題はないはずじゃ」
「そういうものですかね……? まあそれはそうとして、キュウモウ狸さんの能力っていうのは一体どういう能力なんです?」
「うむ! よくぞ聞いてくれた!」
勢い込んで答えるキュウモウ狸。もし今身体があれば確実に胸を張っているだろう。容易にそんな予想ができるほど誇らしげな声でキュウモウ狸は自分の能力について解説する。
「まずは身体能力の強化。これは狐憑きや狸憑きではポピュラーな能力じゃな。狐に憑かれた人間を取り押さえようとしたら尋常でない怪力で暴れて、大人の男数人がかりで押さえつけてやっと拘束できた、などというのはよくある話じゃ。最近じゃと、狸に憑かれた中学生が取り押さえようとした男性教員8人を吹き飛ばして山に走って行った、なんて話もあるそうじゃのう」
「へえ」
驚きの声を漏らしながら瑞樹はじっと自分の手を見つめる。実感はないが、自分にも大人数人を薙ぎ払う程の筋力が付与されているのだろうか。
「で、次は予知能力じゃ」
「予知能力!? それ本当ですか?」
「本当じゃとも。まあ、予知できるのは盗難と火難の被害だけじゃがな」
「あ、結構限定的なんですね」
「そう言うな。盗難と火難は一大事じゃぞ? 特に火難は下手したら財産どころか人命も失うんじゃから」
「いや、そりゃそうですけど……」
それにしても用途が限定され過ぎではなかろうか。正確に覚えているわけではないが、岩蔵市は犯罪発生率も火災発生率も高くなかったはずだ。残念ながらこの能力は使う機会はなさそうである。瑞樹が冷静かつ無慈悲に火難・盗難予知を使えない
「さて、いよいよ最後の能力じゃな。最後の能力は――放火じゃ」
「……はい?」
徐々に高くなってきた太陽を映して貯水池の水面がキラキラと光る。
そんな
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