第2話
お互い夕食をぺろりと平らげて、つまみのお菓子に手を伸ばす。私も祐太もチューハイは二本目に突入していて、テレビからはコンビニに自動車が突っ込んだというありふれたニュースが流れていた。
「でさあ、新人のやつが挨拶しないの。俺はわりと話しかけたり、分かんないことあったらいつでも質問しに来いよって言ったりしてんのに」
知らないうちに、ほろ酔いになった祐太がつらつらと愚痴を漏らしている。私は適当な返事しかしていないけれど、構わず祐太はぺらぺらとその陰気臭いらしい新人のことを喋る。快活そうな顔をしているくせに、でも心のうちで悶々と考えていることが相当あるらしかった。
「べつにさあ、友達関係みたいになりたいって言ってんじゃないんだよ。ただ仕事を一緒にするにあたって最低限、挨拶とかはしろよって思うわけ」
「なるほどね」
「だって、一年目とはいえ社会人よ。それなりにさあ、そういう態度でいてくれないと」
「それなりの態度、ねえ」
テーブルの上に置かれたお菓子の中から、さきいかをつまむ。この行動で、さすがに話を適当に聞き流していることがばれてしまうかなと思ったけれど、祐太は気にしていないようだった。今はとにかく、自分の話を誰かにぶちまけたいようだ。
「第一なんか暗いんだよ。ふつう、もうちょっと人と話すときはテンション上げろよって思う」
「祐太はわりと元気に話すもんね」
「でしょ。そういうのの方がさ、話しやすいっていうかコミュニケーション取りやすいと思うし。暗いやつってさ、なんか嫌じゃん。そいつオタクっぽいし」
そう言いながらチューハイをぐい、と飲んで、だん、とテーブルに置く。まだ缶の中に沢山入っていたようで、少しテーブルに零れた。
挨拶ができないという行動への批判から、暗いだとかオタクっぽいだとかそういった人格の否定に話が変わっていくにつれ、なんとなく息苦しくなる。こういう類の話には、なるほどと相槌を打つのはいいけれど、親身になって聞き入るには疲弊しがちだ。私の知らないところで、私の人格の否定もしているんじゃないかと変に勘ぐってしまう。人の愚痴なんてまともに聞くだけ不毛であるとわかっているから、私は話半分に耳を傾けることしかしない。
「涼ちゃんのバイト先にはさあ、そういう人いないの」
「暗かったり、話しにくかったりする人?」
そう聞くと、祐太はうん、と唇を突き出して頷いた。
何人かバイト先の人を思い出してみる。お喋りな女子高生、やたらと飴玉をくれる主婦のパートさん、普段は穏やかだが月末になるとピリピリする社員。それぞれ思うところはあれど、祐太の言う「そういう人」に当てはまるような人はいない。少し嫌なことに思い当たりつつも「特にいない」と答えると、祐太は大きく息を吐きながら「いいなあ」と言った。
「いいじゃん、そういうのが。もしかしたら社員同士では嫌なやつがいるかもしんないけどさ、バイトだったらそこまで踏み込まなくていいし」
ついさっき私がしたのと同じように、さきいかをつまんで口に放り投げる。
「まぁ、うん」
何かしら中身のある返事をしようかと思ったが、口から出てきたのはほぼ感嘆詞だった。急に頭がぼうっと熱くなって、何か考えて発言をしたらそこには必ず攻撃的な意味合いが生まれてしまう気がした。頭を冷やそうとして缶に残っていたチューハイを一気飲みすると、それは祐太の飲みかけのものだったので、取り違ってるよ、ばかだなあと笑われる。
ばかだなあと笑われるより、私には「バイトだったら……」と羨ましがるトーンで言われる方が苛々としてしまう。祐太はそういう風に、私を無意識に傷付けることが多々ある。悪気がないのが余計に私の心をむかむかとさせて、私がそれについて言及すればきっと被害者ぶるのだと思う。そうなったときが面倒な気がするから、言及したことはない。
「俺も大学生のころはそんなん気にしなくてすんだしなあ、バイト先の派閥?みたいなのこととかさ」
「派閥とか、あんの」
「あるある。社員と歴の長いパートさんとか。うわあ、なんかそんな話したら懐かしくなってきたなあ」
さっきまで今の職場での不満を言っていたくせに、昔を懐かしんで少し機嫌が治っている。祐太にとってアルバイトは過去のことであり、私はそれにまた腹がたつ。私は今もバイトをしているフリーターという身分で、決して過去ではないというのに。置いていかれた気はしないけれど、下に見られている気はした。
取り違えたチューハイを元の場所に戻して、自分が飲んでいたチューハイの缶を手に取る。飲まずに缶をゆらゆらと揺らすと、中でしゅわしゅわと安っぽい音がした。
祐太がたまに私の家に来て愚痴を言いながらもにこにことご飯を食べる意味が、今なんとなく理解できる。きっと今の私を見て、今の祐太自身に安心したいのだと思う。職場でどんなに教育しようとしても自分の意に沿わない新人がいて、それに対する不満やもやもやを消化したくて、私に愚痴をぶつける。もしかしたら自分に悪いところがあるのかもしれないと思いたくないから、自分よりしょうもない立場にいて、自分よりしょうもない生活を送っている私を見て「自分は大丈夫だ」と安心する。そういうことが、祐太はきっと、したいのだ。
「祐太も大変だね」
様々な言葉を飲み込んで、それだけ言った。お互い大学生の頃は、少なくともここまで入り組んだような人間ではなかった。私はもう少し能天気で、祐太はただのムードメーカーだった。
「そうだよ、大変なんだよ。涼ちゃん癒してよ」
「気持ち悪いしいや」
酔い始めているのか擦り寄ってきた祐太の手を軽く叩く。いてえよ、と祐太はわざとらしく悲しそうな顔をしてみせた。
「なんで、昔はもうちょっと優しかったじゃん」
「昔は昔。今はそういうのじゃないじゃん」
「そうだけどさあ……」
そういうの、だった頃の私なら、今のような祐太の甘えも受け入れていた。よしよし人生はつらいねえ、と頭を撫でてやるくらいのことはしていたかもしれない。けれど今はそうじゃない。
大学生の頃は、周りの空気を上手く作り上げていつもにこにこしている祐太が、まるで少女漫画の相手キャラクターのように見えたことがあった。付き合えたときには、まるで自分が少女漫画のヒロインになったような錯覚さえできた。けれど数ヶ月付き合った頃には、性格に違和感を覚え始めた。私と祐太は決定的に性格が合わないと気づいた時、やんわりと別れを切り出したのだ。だがその切り出し方が曖昧だったのが良くなかったらしく、別れて二年ほど経った今でも祐太は平気で私の家に上がり込んでくる。私もそれをはっきり拒んだことはないから、お互い様なのだろうけど。
「お前もさ、この先バイトとかで俺のとこみたいなめんどくさい新人来ないといいね」
暗くて、話しにくいような新人。
数秒黙ったあと、そうだね、めんどくさいもんねと返事をした。ただ、祐太はそんなことを考えもしていないのだろうけど、その暗くて話しにくい人は私自身なのではないかとも思うんだよね、と心の中で続けた。祐太みたいな人間と気が合わない私は、たぶんその新人と同じ側の人間だ。
私はほんのちょっぴりだけ、祐太の話す新人に同情していた。
私は魔法少女にはなれない 参賀カガリ @ichimiya1038
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