私は魔法少女にはなれない

参賀カガリ

第1話

無造作に並べられた惣菜を眺める。貼られたシールには「10パーセント引き」とだけ書いてあって、私はそれだけで少し虚しい気持ちになる。お財布事情を考えると30パーセント引きや半額じゃないと買う気は起こらないけれど、そんな割引率のシールが貼られるのはもう少し後になってからだ。正社員で、少しだけ残業して、それから電車に揺られてスーパーに寄ったら、というくらいの時間にならないと。

向上心のないフリーターをやっていると、こういう驚くほどにちっぽけな出来事でもひどくさみしい気持ちになることがある。社畜と呼ばれる人たちよりは気楽に生きていけるけど、早番の日だとスーパーで半額の惣菜は買えない。家賃が五万もしないアパートで細々と暮らしていても、半額の惣菜を手に出来ない。

10パーセント引きの中でも特に安いものを買い物カゴに放り投げて、半ば投げやりな気持ちでレジに向かう。やる気のなさそうな大学生のレジバイトを見て、こいつもそんな気持ちになることがあるんだろうか、と思う。

「お箸は一膳でよろしいですか」

あ、はい、と答える。思ったより低い声が出る。レジ横に置かれている子ども向けアニメのキャラクターが印刷されたお菓子を見て、それをほしいとは思わないまま会計を済ませた。


ぎゅうぎゅうに詰められた家具を見てため息をつきたくなるのはいつものことだった。買ってきたばかりの惣菜をローテーブルの上に置いて、そのままベッドに横になる。寝るのには早過ぎるし食事だってしなくちゃいけないけれど、一度ごろんと寝転がってしまえばなかなか動き始めることはできない。ベッドマットに体が吸い込まれるというか、上からの謎の圧力でベッドマットに押さえつけられているというか。こういうとき、私の想像もつかないような未知の力が降り注いで、私を苦しめているような気がしてしまう。そしてそういうときは大概、バイトで何か嫌なことがあった日の夜である。高校生のバイトがぺちゃくちゃおしゃべりをしていたり、ちょっとクレーマー気質な客が来店したり、そういう類の。何か大きな問題があったわけではないくせに、私はいとも簡単に弱々しくなる。昔はこれほど傷つきやすくはなかった、と思う。または傷ついてもすぐに癒せるだけの支えがあった、と思う。思うばかりだ。

「スマホ……」

トートバッグの中から、ぶるぶる、と振動が聞こえる。誰かからのメッセージだろうか、ベッドから腕だけを伸ばしてバッグの中を漁る。きちんとポケットがついていないバッグの中にスマホを入れると、気づけば底の方に沈んでいるのは謎である。これは誰かに是非解明してもらいたい。

やっとのことでスマホを掴み取ると、メッセージではなく着信のようだった。未だにぶるぶると震えていて、私は顔をしかめてしまう。ディスプレイには「相嶋祐太」と表示されていて、それは何度も見た名前だった。ゆるゆるとした手付きで応答ボタンを押すと、聞き慣れた声が聞こえてくる。

「出るまで長かったじゃん。何してんの?今家?」

「家……なに?」

しかめた顔から出てくるのにお似合いの声で、ついつい返答をしてしまう。それなりに気心の知れた仲の人とだと、ぞんざいな対応をしてしまうのはよくない癖だ。でも人間って、そういう人が多い気がする。

「久々に定時で帰ってるからさー、お前の家行こうと思って。飯ある?なんか買ってこうか?」

「え、来るの……今部屋汚いし冷凍ご飯と自分のぶんのお惣菜しかない」

「汚いのはいつもじゃん」

「そうだけど」

「いーよ、好きそうなの適当に買ってく、酒も買ってく」

酒……、と返事にもならない返事をすると、決まりな、と明るい声が聞こえてきたあと、ぶちりと通話が途絶えた。耳に残る明るい声と、しんとした部屋のギャップがなんだか堪える。祐太は恐らく、酒を持っていけば私が部屋に入れてくれると思っている。一緒にだらだらと過ごすとき、そこには必ず酒があるからだ。

了承してはいないけれど、とりあえず客人を迎え入れられるような部屋にしなくてはいけない。祐太は私が片付けられない女だということを知っているから、ちょっと荷物を隅に追いやるくらいでいいだろう。多少いやな顔はされるかもしれないが、向こうが急に押しかけてくるのだからそこまで私が気を遣ってやらなくてもいいはずだ。

むくり、とベッドから体を起こす。惣菜は温めなくても食べられるものだから一旦放置。ごちゃごちゃと床に置いたままにしていた服は洗濯機に放り込む。散らばっていた雑誌は積み上げて棚の上に置く。とりあえずはこれで片付けたということにしてしまおう。キッチンに立って二人分の麦茶を用意しようとして、そういえば酒を買ってくるはずだから飲み物は準備しなくていいか、と思い直す。

結局何もせずにぼんやりとしていると、インターホンの音が鳴る。安いアパートのインターホンって、なんだか音が妙に軽い。チェーンを付けたままドアをがちゃりと開けて、祐太の顔が見えたのを確認してからチェーンを外して玄関に通す。

「警戒してんの?変なの」

私の一連の行動に、スーパーの袋をぶら下げた祐太はけらけらと笑った。祐太は、私にはできない種類の笑い方をよくする。それは嫌いではないけれど、見ていると変な気分になるようなものだった。

「祐太じゃなくて不審者が来るかもしれないじゃん」

「じゃあスコープで見れば良くない?てか思ってたより部屋汚くないね」

「どれくらい汚いの想像してたんだよ」

なんてことのない会話をしながらローテーブルの前に座らせると、祐太は買ってきたものをどかっとその上に置いた。恐らく自分の晩ご飯であるお弁当、つまみになるようなお菓子や惣菜、あとは缶チューハイを何本か。

「弁当あっためさせて」

「電子レンジ使っていいよ」

あーい、とだらけた返事をしながら、祐太はキッチンの方に向かう。その間に好きなチューハイを選んで、断ることなくプルタブを開けた。ぐい、と飲むと、なんだかすっきりする。チューハイなんてジュースだと言う風潮もあるけれど、チューハイだろうがジュースだろうが、頭が冴えればなんでもいい。

床に落ちたままだったテレビのリモコンを拾って、何とは無しにテレビを付ける。この時間、何か面白い番組はやっているだろうか。そう思いながらザッピングをする。

「なんかいいのやってる?」

キッチンから声が聞こえる。それに「んー」と曖昧な返事だけをした。祐太と私の好みはまるで違うから、私がいいと思っても祐太にとってはつまらなくて、祐太がいいと思っても私にとってはどうでもいいと感じるものが多い。だから祐太の問いに対しては、肯定とも否定ともとれない返事をするのが正解だ。数ヶ月かけて学んだことのひとつだ。

ピー、と音がして、祐太の買ってきた弁当が温まったことを知る。数秒後に祐太がキッチンから戻ってきて、「わ、先に飲んでるこいつ」と口を尖らせた。

「涼ちゃんてさ、そういうとこあるよね」

「急に電話してきて家に来るやつよりましでしょ」

「ぐうの音も出ねえわ」

ほかほかと湯気を立てる弁当をテーブルに置きながら、祐太はまた私には上手くできない笑い方をしながら話す。それに続けるように「いただきまあす」と言いながら割り箸を割ったので、私も同じように割り箸を割って惣菜の蓋を開けた。

「結局いいテレビあったの、ないの?」

「ん、微妙。番組表見る?」

「うーん、いいや。最近テレビ面白くないし。とりあえずニュースにしとこ」

わかった、と返して、無機質なニュースにチャンネルを合わせる。チューハイを飲みながらリモコンをぽちぽちと押している私を見て、祐太はにこにこと笑っていた。祐太は私が酒を好んでいると思っているから、会うときは酒を買ってくるし、酒を飲んでいる私を見るのが好きらしい。これは本人から聞いたわけではなく、私のなんとなくの予想だ。

でも私はべつに、酒が好きなわけではなかった。

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