第6話 カトレヤという花

 カトレヤ、あるいはカトレア。

 聞いたことはある、という人はいても、実際に花を見たことがない、という人は結構いる。実は仕事をするまで、私もほとんど知らなかった。


 何故かというと、鉢花ではなく切り花であり、使われるのが葬儀だからだ。


 そもそも、若い人はあまり葬儀に出ないだろうし、出たとしても、じっくり花を観賞することは、ほとんどないだろう。

 胡蝶蘭がやたら売れているバブル後期、それなりにカトレヤも値段が良かったけれど、あくまでもそこそこ、であった。

 堅実にこつこつと、イメージとしてはそういう花である。


 どうして切り花なのかと問われると、あまり日持ちをしない花だからだ。鉢のまま置いておくと、適期を考えても、二週間持たないくらいなイメージ。これは時期によって違うし、夏は短く冬は長いが、冬でも二週間が限界だろう。

 ……よく考えたら二週間持たないな、あれは。

 つまり、鉢花としての観賞時間が短いなんてのは、商品としての欠陥だ。


 実は胡蝶蘭、シンビなどほかのランでも、切り花を専門にしている生産者はいる。ただし、この場合は鉢花とは違う種類、つまり切り花専門の苗を持ち、株を作っている人がほとんどだ。

 切り花は単価こそ安いものの、株が残るという利点がある。

 鉢花は苗を仕入れて株にして、それを鉢に仕立てて売るが、売ったらまた苗を仕入れなくてはならない。

 しかし、株が残ればそのぶんの費用はかからないわけだ。

 ――場所は取るけれど。


 葬儀として使われる花であるため、葬儀がなくなるような未来が訪れない限り、常に需要はある。しかし、それ以外の使い道が低いため、供給が増えてしまえば一気に値段が低くなり――そして、なくなれば値段は一気に上がる。

 逆に。

 値段が良いのは、どのラン園でも花がないからだし、値段が悪ければどこも咲いてるんだな、と思う。

 そこで、うちでは出荷調整をしている。

 花が咲いたからたくさん出そう! ――これで、出荷した花の値段は下がる。

 花がなくなったから出荷できない。――これで、葬儀用の花がなくなって、買い手側が困る。困れば、ここを頼るのは止めようと考えるかもしれない。


 理想は、年間通して、必要なぶんだけ出荷すること。


 まあ、あくまでも理想だ。

 胡蝶蘭やシンビとは違って、年中出荷はするものの、季節ごとに違う品種のカトレヤを生産することで、常に出荷できるよう調整している。そのため、どうしても調整が狂ったり、そもそも調整が難しい品種がある時期など、出荷量が多い時期、なくなる時期というのができてしまう。


 じゃあ、花がない時期の値段が良い時にたくさん出せるようにしたら?

 それはもうギャンブルだ、そんなうまく狙える花ではない。


 カトレヤの生産者は、バブル後期と比べれば減っている。現在の胡蝶蘭生産者でも、かつてはカトレヤを作っていて、その頃に胡蝶蘭へと切り替えた、という人もいるようだ。

 そもそも、大きな儲けが出る花ではないのである。

 ただし、葬儀に必要なため、需要そのものは一定数ある。


 堅実そうだし、やってみようかな?

 実はカトレヤが、おそらく、ランの中では最も、新規参入が難しいのではないだろうかと思う。


 鉢花というのは、苗の仕入れが前提となるので、苗を売る業者がいる。先述した台湾の業者などがそうだろう。かつては、メリクロンと呼ばれる工程を経て、所持している苗を業者に増やして貰い、それを育てて売っていた。

 メリクロンというのは、簡単に言えば株を一つ渡して、それを複数の苗に増やしてもらう作業だ。大きな業者に依頼するしかない。


 だが、カトレヤはこの作業で確実に増える、とは言えない不安定さを孕んでいる。

 更に、かつては多くいた苗や株などの販売業者が、極端に減ってしまった。

 自分で交配して新しい品種を作ろうとする人が、ほとんどおらず、仮に新しい良い品種ができたとしても、それを販売しようとは思わない――それが、現状だ。


 以前、うちでもメリクロンを頼んだことがある。その品種を増やして、商品にしたかったからだ。

 三つ頼んだうち、一つは上手く増えずに失敗。一つが帰ってきたのが二年後で、もう一つは三年後だった。

 手元に届いたのは、まるで草みたいな苗である。それを段階を経て育てなくては株にならず、株になってようやく花が咲く。

 早くて。

 花が咲くまで四年くらいだろうか。最低でも五年くらいは待ちたい。


 最大の問題はわかっただろうか?


 花を切るまでは、当然、収入がない。

 花が切れるような株を売る業者がほとんどいない。

 五年以上、収入なしでいられなくては、始められないのである。

 そもそも、販売の仲介業者のほとんどが、いなくなってしまったのが最大の壁かもしれない。


 農業全般に言えることだが、本気で従事しようと思ったのならば、まずは現場で最低三年ほど学び、それから自分でやろう、と始めるのが一番だろう。

 ノウハウなんてのは、外から見るよりも、中の方がわかりやすい。

 ただ問題は、どうやって現場に入るのか、だろう。特に求人募集をしていない小規模農家などは、難しい。本当はそういう農家にこそ、学べることが多くあるはずなのに。


 始めよう。

 その一歩を出すには、いささか、ハードルが高いのが花であり、くだものであり、とっつきやすいのが野菜だろうか。


 そういえば。

 昔からぶどう農家と知り合いなので、その話をしてもいいのだが、いずれ機会があったならと、そうしておこう。



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これから農業を始めたい方へ 雨天紅雨 @utenkoh_601

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