三月十四日のこと

土御門 響

カラオケにて

 彼女は思慮深く、大人しく、落ち着いている。同い年とは思えないくらい落ち着きのある女子だ。

 コツコツと地道に努力するタイプの人間で、成績優秀、頭脳明晰とまでは行かずとも、努力したぶん報われている印象があった。その証拠として、彼女は自身の第一志望大学へ推薦で合格を決めた。

 高校の三年間を推薦をとるために努力していた奴もいたが、彼女は違った。彼女はただ毎日、コツコツと精進してきたのだ。受験を早く終わらせるなどという考えはなく、ただ純粋に己を磨いていたのだ。

 彼女の姿勢こそ学生の鑑だと、俺は思う。

 彼女はあまり目立たないが、話せば面白いし、意外と気さくで、俺みたいな男子とも仲良くしていた。相手によって態度を変えない。真っ直ぐで誠実な彼女の人柄を、俺はとても好ましく感じていた。

 俺が学校を風邪で休んだとき、彼女がクラスのグループを通じて俺のアカウントを登録し、わざわざ連絡を入れてくれたことを、まだ鮮明に覚えている。

 異性のアカウントは同じ部の女子のくらいしか持っていなかった俺にとって、それは大きな出来事だった。まさか女子から突然メッセージが届くとは思わなかった。単なる連絡だったとしても、嬉しかった。

 こうやって話していると認めざるを得ない。俺は、そんな彼女が好きなのだ。


 俺は今、受験と卒業式を終え、やることのない毎日を過ごしている。

 最初は部活仲間と都内に遊びに行ってみたり、中学の同期と久々に飯を食いに行ってみたりと、色々やっていたが、それもすぐに飽きた。やることがないということが、ここまで苦痛に感じるとは思わなかった。

 去年の末から、こういった生活をしていた彼女を尊敬する。よく普通に生活していたものだ。生活に対する飽きも堕落も見せず、他の皆と変わらない様子で卒業式に出ていた彼女。


「あーあ……」


 自分の意気地のなさに嫌気がさした。

 卒業式といえば、それまでずっと胸に秘めていた気持ちを伝える定番のイベントだったというのに。

 俺は彼女に何も言えないまま、ダチとじゃれあって帰ってしまった。

 帰ってから頭を抱えたことは、言うまでもない。くそう、俺はアホか。……アホだ。

 卒業式の彼女はパッと見、きわめていつも通りだったと思う。別れに対する寂しげな空気は纏っていたが、他の女子のように泣きじゃくることもなく、式の後はあっさりと帰宅していった。

 俺は思う。彼女は変なところで生真面目だ。

 だから卒業式の日もルーティーンを崩さずに、いつも通り振る舞っていたのだと思う。

 これはあくまで推測だが、きっと彼女は表に本心を出せないのだ。いつも無意識に周囲を気にして、周囲に配慮して、己を律してしまう。自身の本音を殺してまで。

 そこまで考えて、俺は天井を仰いだ。

 もう、手遅れもいいところじゃないか。こんなにも彼女のことを考えて、知ろうとしている。これからは、簡単には会えなくなるというのに。


「くそぉ……」


 卒業式のアホな自分を殴りたい。なぜ彼女に告らなかった。

 そう思ったタイミングで、備え付けの電話が鳴った。せっかく一人カラオケに来たというのに、考え事をしただけでほとんどの時間を使ってしまった。ろくに歌っていない。まぁ、いいか。仕方ない。自業自得。

 フロントからの退室を求める電話に応じ、俺は部屋を出た。

 俺はカラオケの廊下を歩きながら、彼女とのメッセージのやり取りを見返してみた。

 そういえば、今年は受験ということもあってヴァレンタインどころじゃなかった。うちの部では毎年ヴァレンタインとホワイトデーに仲間へチョコを贈る伝統があったので、去年まではチョコを必ずもらっていたのだ。だが、今年はゼロ。当たり前だ。

 しかし、彼女だけはヴァレンタイン当日に、一言だけどメッセージを送ってくれていた。


『今日もお疲れ様 ハッピーヴァレンタイン』


 このメッセージを見たとき、その日の入試を終えた俺は安心したものだ。なんというか、殺伐とした受験から日常に戻ったような気がしたのだ。

 当時の安心感と照れ臭さがよみがえってくるようで、俺はスマホをしまった。

 受付レジに向かうと、先に会計をしていた女子が反射的にこちらを見た。そして、軽くその目を丸くする。


「あ」

「あ」


 彼女だった。

 一人ということは、たぶん俺と同じように一人カラオケに来ていたのだろう。なんという奇遇。

 二人とも会計を終えてから、彼女は俺に向き直り、財布を片手に曖昧に微笑んだ。


「奇遇だね」

「あ、ああ……」


 ふと、彼女の後ろの壁にある時計に表示された今日の日付が、俺の目に飛び込んできた。

 三月十四日。ホワイトデー。

 俺は一度、拳を握り締め、彼女に言う。


「この後さ、空いてる?」

「え? ……まぁ、特に何もないけど」

「ちょっと付き合ってくれない?」

「いいよ」


 彼女が頷くと同時に、俺は腹を括った。

 今度こそ、伝える。俺の気持ちを、きちんと。

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三月十四日のこと 土御門 響 @hibiku1017_scarlet

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