二月十四日のこと

土御門 響

自宅にて

 身の回りの友人たちは、きっと今日も己の人生を賭けた勝負に挑んでいる。

 受験シーズン真っ只中。二月十四日。

 私は一応、進学校と称される地元の高校に通っている。私も本来なら彼らと同じように、受験という名の戦争に身を投じていたはずだった。

 しかし、現実は家で読書に耽っていた。

 物語ばかり読むのがこれまでの常だったけれど、最近は新書や教養書に凝っている。だって、春から大学生になるのだ。少しでも知識を身につけておきたい。体得と言えずとも、知っている程度には。

 運良く推薦が取れて進学先が既に決まっているからといって遊び惚けるほど、私は肝の据わった人間じゃなかった。

 世間じゃ今日はヴァレンタインだ。

 私と同じように推薦などで進路が決まったクラスメイトは、先日の登校日にチョコをどうするとか、そんな話を楽しそうにしていたような気がする。

 一緒になって盛り上がった方が良かったのだろうが、なんとなくやめておいた。

 時を同じくして友人が戦っているというのに、ヴァレンタインなどと呑気なことを言いたくなかったのだ。

 お前は変なところで生真面目すぎる、と受験生の友人にも苦笑されてきた。受験が終わったなら好きなだけ遊べばいいのに、と。

 私はその友人からの言葉に曖昧な笑顔を返しておいたが、違うのだ。私は生真面目なんかじゃない。


 私は山になっている本を蹴飛ばさないように立ち上がって、充電器につないであるスマホを手に取った。

 メッセージアプリを起動して、今日も入試があるはずの友人の画面を開く。

 メッセージの内容や送る時間帯に注意する生活にも随分と慣れたものだ。むろん、送る頻度は週に一度以下。

 私はぼうっと画面を眺め、そして窓に視線を向けた。夕暮れ時だ。今日の試験が終わって、帰りの電車に乗っている頃だろうか。

 結局眺めただけで何もせずに、私はスマホを机の上においた。

 再びベッドに腰掛けて、本の続きを読み始める。


 私は生真面目なんかじゃない。

 一般入試を受けるつもりで、夏まで勉強してきた。けれど、自身の評定が第一志望の基準を満たしていたから推薦にも挑戦した。そうしたら、進学先が決まった。早めに買った赤本が、自分には必要なくなったときの衝撃はかなり大きかった。

 普通なら、ラッキーと思うものだろう。でも、私は安堵と解放感より、恐怖と不安を感じた。変だと自分でも自覚している。どうか嗤ってほしい。どう考えても変だ。

 第一志望そのままに進路が決まって不安になる人間なんて、私くらいなものだろう。

 だが、不安だった。漠然と不安だった。

 クリスマスに家族とケーキを食べていても、年末年始の特番を見ていても、私は怖かった。怖くて怖くて仕方なかった。進路のため、必死に受験勉強をしている友人たちに置いて行かれるような気がして、怖かったのだ。実力差が生まれることへの恐怖も感じたが、それよりも彼らとの間に溝ができることが怖かった。意識的な隔たり。違い。相違。仕方ないことかもしれないが、私はそれがどうしようもなく怖かったのだ。

 だから、私も必死に勉強した。自身に勉強を課した。少しでも安心したくて、勉強した。友人たちとの違いを埋めようと、努力した。それがただの自己満足だとしても、何もせず怠惰に過ごすよりマシだと自分に言い聞かせて。

 ここまで話せばお分かりになるだろう。私は生真面目なんかじゃない。

 ただ、臆病なだけ。

 それだけなのだ。


 私は手にしていた本を読み終えて、次の本に手を伸ばした。

 物語以外の読書は少し疲れるが、苦痛ではない。むしろ、楽しさすら感じている。新しいことを本から知るということが面白いと初めて知った。高校までの教科書を読むのは、あんなにつまらなかったというのに。

 言葉にできない不安に駆られることもあるが、この生活も悪くない。

 そこまで考えて苦笑する。

 この思考自体が不安定そのものじゃないか。花の女子高生がヴァレンタインにする思考か? これが。

 頭を振りながら、再び私は立ち上がった。

 そして、スマホを手に取る。

 画面ロックを解除すると、友人の画面が出てくる。

 不意に、最後に会った時の言葉が耳の奥によみがえってきた。


「推薦だからって、あんま遠慮し過ぎるなよ。俺は一般受験だが、それなりに余裕があるからな。メッセージくらい普通に見るさ」


 ……そうだった。そういう奴だった。彼は。

 私は唇に淡い笑みを乗せながらキーを叩いて、送信する。


『今日もお疲れ様 ハッピーヴァレンタイン』

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