推理エッセイ『世界の終りと・・・』

茜町春彦

第1話

《 前書き 》

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上・下(村上春樹著、新潮文庫版)』には、メタファーもしくはメタファーらしきものが数多く示されています.

これらを解読してみたいと思います.



《 推理 》

Q1:

太った娘が『黙ったまま声を出さずに話す事』は何かのメタファーでしょうか?


A1:

まず、取り掛かりとして、〈936〉〈1213〉〈26〉と云う番号について考えてみます.これらは上巻1章23ページに示されている番号です.


引用しますと、

(上巻1章23ページ)・・・それはともかく異様なくらいのっぺりとした内装のビルだった.私の乗ってきたエレベーターと同じように、使ってある材質は高級なのだがとりかかりというものがないのだ.床はきれいに磨きあげられた光沢のある大理石で、壁は私が毎朝食べているマフィンのような黄味がかった白だった.廊下の両側にはがっしりとして重みのある木製のドアが並び、そのそれぞれには部屋番号を示す金属のプレートがついていたが、その番号は不揃いで出鱈目だった.<936>のとなりが<1213>でその次が<26>になっている.そんな無茶苦茶な部屋の並び方ってない.何かが狂っているのだ・・・

引用を終わります.


この文章自体は、無くても小説の本筋に支障の起きることがなく、とくに意味のない記述のように思えますが、『とりかかりというものがない』と書いているので、逆に取り掛かりがあると考えてみます.


そう思ってみると、頭に浮かんだのが、〈26〉から連想して226事件です.この事件は鈴木貫太郎侍従長官邸が襲撃目標のひとつとなり、1936年2月26日に起きた事件です.とすると、〈936〉は1936年を示していると思えてきます.


そうであるならば、『〈936〉のとなりが〈1213〉』と書いてあるので、〈1213〉とは1936年の翌年の1937年12月13日の事かと思えてきます.日本史の年表を調べてみましたら、南京陥落が起きた日でした.


そこで、記号〈 〉は第2次世界大戦頃の日付を示している、と仮定してみます.


更に読み進めますと、上巻1章31ページで〈728〉と云う番号が目に留まります.この日付を1936年、37年、38年と順に調べてみますと、1945年7月28日に鈴木貫太郎首相がポツダム宣言黙殺声明を発表していました.


よって、太った娘が『黙ったまま声を出さずに話す事』は鈴木貫太郎首相の『ポツダム宣言黙殺声明発表』のメタファーであると推理します.



Q2:

戦時中の出来事が物語の中で示されていると考えて、さらに問いを立ててみます.

『ポケットの中の小銭の合計額の減少』は何かのメタファーでしょうか?


A2:

小銭の計算を間違う記述が上巻1章18ページと20ページにあります.


引用しますと、

(上巻1章18ページ)・・・そのときの私のポケットの中には五百円玉が3枚と百円玉が18枚、五十円玉が7枚と十円玉が16枚入っていた.合計金額は3810円になる・・・

(上巻1章20ページ)・・・私は壁にもたれて両手をポケットにつっこみ、もう一度小銭の計算をはじめた.3750円だった.何の苦労もない.あっという間にすんでしまう.3750円?計算が違っている.どこかで私はミスを犯してしまったのだ.手のひらに汗がにじんでくるのが感じられた.私がポケットの小銭の計算をしくじったなんてこの三年間一度もないことだった・・・

引用を終わります.


小銭の枚数から、東京裁判の死刑、禁固刑、公判中病死または審理除外者数の事かと思いましたが、違うようです. さらに読み返してみると、普段あまり見かけない表現が目に留まりました.


引用しますと、

(上巻1章18ページ)・・・私が言いたいのは特殊な現実の中にあっては―――というのはもちろんこの馬鹿げたつるつるのエレベーターのことだ―――非特殊性は逆説的特殊性として便宜的に排除されてしかるべきではないか・・・

引用を終わります.


念を押すように『特殊』と言われて、連想したのは、アインシュタインの特殊相対性理論です.アインシュタインは、質量の減少がエネルギーに変換されるという理論を唱えました.そして、その応用として原子爆弾が開発されました.


よって『ポケットの中の小銭の合計額の減少』は『原子爆弾のエネルギーの基は核分裂による物質の質量の減少である事』のメタファーであると推理します.



Q3:

『三年間一度』、『ダニー・ボーイ』、『太った娘』は何かのメタファーでしょうか?


A3:

上巻1章20ページに『三年間一度』と云う記述があります.また、上巻1章14ページで主人公の私はエレベーターの中で『ダニー・ボーイ』と云う曲を口笛で吹いています.そして、その主人公の私がエレベーターを降りた時、待っていたのは『太った娘』です.


これらは、原子爆弾に関連していると仮定してみます.また、上巻11章226ページには原子爆弾についての記述があります.


引用しますと、

(上巻11章226ページ)・・・これはいわば科学を超えた問題だな.ロス・アラモスで原爆を開発した科学者たちがぶちあたったのと同種の問題だ・・・

引用を終わります.


このロス・アラモスで行われた史上初の原爆実験の暗号名は『トリニティー(三位一体)』でした.また、広島に投下されたウラン型原子爆弾の暗号名は『リトル・ボーイ』でした.長崎に投下されたプルトニウム型原子爆弾の暗号名は『ファット・マン(太った人)』でした.


よって『三年間一度』、『ダニー・ボーイ』、『太った娘』は原子爆弾の暗号名のメタファーであると推理します.



Q4:

『世界の終り』は何かのメタファーでしょうか?


A4:

史実では、1945年7月16日にロス・アラモスで原爆実験が成功したと報告を受けた米国トルーマン大統領は原爆製造の指令を出しました.そして、1945年7月28日の鈴木貫太郎首相の『ポツダム宣言黙殺声明発表』のすぐあと、8月6日には広島へ、9日には長崎へ原爆が投下されました.


小説では、口笛で『ダニー・ボーイ』を吹いていた主人公と『太った娘』が〈728〉と番号のついた部屋へ入ったすぐあと、『世界の終り』と題された、第2章へと進んで行きます.


以上の事より、『世界の終り』は『第2次世界大戦の終わりに原子爆弾が投下されたこと』のメタファーであると推理します.



Q5:

『組織』、『工場』、『やみくろ』は何かのメタファーでしょうか?


A5:

まず、幾つかの事柄がメタファーであると仮定してみます.


上巻21章463ページで、雨ふりの話の直前に『マービン・ゲイ』という記述があります.これは、広島に原爆を投下した爆撃機のニックネーム『エノラ・ゲイ』のメタファーだと思います.


下巻33章285ページでは、『レンタ・カー』という記述があります.これは、長崎に原爆を投下した爆撃機のニックネーム『ボックス・カー』のメタファーだと思います.


下巻39章383ページに、『綿くずのような白い雲』という記述があります.これは、原爆の『きのこ雲』のメタファーだと思います.


下巻39章388ページに、『鳩』『小さな女の子』『母親』『公園』という記述があります.これは、広島の『平和記念公園』のメタファーだと思います.


下巻39章403ページで、雨ふりのことを考えた直後に『激しい雨』という記述があります.これは、原爆投下後に降る『放射能の雨』のメタファーだと思います.


以上の仮定が正しければ、『組織』と『工場』は『連合国』と『同盟国』のメタファーと言えるでしょう.そうであれば、『やみくろ』は『ソビエト連邦』を意味すると思います.



Q6:

書名の中の『ハードボイルド・ワンダーランド』は何かのメタファーでしょうか?


A6:

ワンダーランドという単語から不思議の国のアリスを連想しました.


『不思議の国のアリス』の粗筋は、主人公(アリス)がピンク色の目のウサギの後を付いて地下の世界へ行き、あれこれあって、そして最後に眠りから覚めて夢の世界から戻るというものです.


『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の粗筋は、主人公(私)がピンク色のスーツを着た娘に促がされて地下の世界へ行き、あれこれあって、そして最後に眠りついて夢の世界へ入って行くというものです.


『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と『不思議の国のアリス』の物語の構造は同じです.結末も両方、夢落ちです.


よって『ハードボイルド・ワンダーランド』は『不思議の国のアリス』のメタファーであると推理します.



《 追記 》

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』をメタフィクションとして読むと、何が言えるか、考えてみました.


この小説を普通に読んで一文で表すならば、準主人公(博士)が主人公(私)の脳の中に暗号化した数値を埋め込み、それを解除するためのパスワードが『世界の終わり』である、となると思います.


メタフィクションとして読むならば、著者(村上春樹氏)が読者(私たち)の脳の中に戦時中の出来事をメタファーにして埋め込み、それを解除するためのパスワードは『第2次世界大戦の終わり』である、となるような気がします.如何なものでしょうか?

(了)



《 後書き 》

このエッセイは、WEBサイトのパブーに於いて公開している下記の電子書籍を加筆修正したものです.

題名:推理 エッセイ(S&H)

著者 : 茜町春彦

発行:2013年7月

改訂:2016年9月22日

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

推理エッセイ『世界の終りと・・・』 茜町春彦 @akanemachi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ