映像出力なおかんと音声出力な娘


「頭の中にアレクサンドリア大図書館がある」


 私がおかんと自分の違いについて考えるようになったのは、Twitterで友人が紹介していた宇樹義子さんのそんな記事が始まりでした。(正しくは「頭の中のアレクサンドリア大図書館の話(認知特性について)」という記事です)


 タイトルと友人の紹介文に惹かれ、読んでみたらまさしく目からうろこ。

 「自分の頭の中は、みんなと同じと限らない」

 それは今まで考えたこともなかったことでした。


 言葉にするのは難しいですが、例えば「りんご」と言われて何が思い浮かぶでしょう?


 りんごの絵?

 林檎という漢字?

 それとも、りんごの情報?


 私は三つ目です。

 しかも、音声で聞こえます。絵なんて一切出てこない。文字も見えない。

 りんご、と聞いた瞬間に「赤い」「おいしい」「果物」「アップルパイ」……などなど。

 そういう「情報の羅列」が音声で脳内に流れます。

 それが「普通」(というか、みんなそう)だと思ってたんです。でもそれはそうじゃないらしいと気づいたときの衝撃といったらなかったですね。



 面白い。そう思った私は、何の気なしにおかんにも聞いてみました。

 するとなんと、彼女は一つ目でした。

 何か言われれば、それが「映像」で頭の中に浮かぶんだそうです。

 音声なんて出てこない、ずっと絵が浮かんでるよ、と。


 そこではっとしたんです。


 よくけんかする原因の一つに欲しいものがわからない、というものがありました。

 おかんが「あれ! あれ欲しいのよ!!」と言い出して「あれってなんじゃい! あれじゃわからんよぅ! 情報を! 情報をよこせ!!」と私が返す。それに母が「出てこないから困ってるんじゃない!」と叫びそこから泥沼コース……というのがいつものパターン。



 もしかして、おかんがあれあれ繰り返すのは「頭の中に映像がある」からなんじゃないか。

 私は「情報をよこせ」となるのは、常に音声で情報が羅列されてるからじゃないか。


 それをおかんにそれとなく尋ねてみると、どうやら大筋であたっているっぽく。(ただし母は脳内出血で倒れてから、言葉を出力するのが苦手であるという部分もある)

 ああだからか、と。

 少し納得できたんです。


 なんでわかってもらえないの。なんで伝わらないのと思っていたのは、そういう「認知の違い」があって、どちらのせいでもないんじゃないかと、ほっとしたというか。

 そこからおかんと娘の違いをもう少し考えていったら、お互いの心の安寧に繋がるんじゃないかなと思い始めたのでした。



 さて、みなさんはどんな「認知特性」してますか?

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おかんと娘は真逆です はるあきら @haruakira

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