死神博士

Gorgom13

第一話 



「私は死神博士。死を収集している」


 夜行列車の中で、向かいの席の男が言った。


 その時、私はビールを舐めるように飲みながら夜景を眺めていたのだが、この男がいつからそこにいるのか、見当がつかなかった。山高帽を目深に被り、灰色の口髭をたくわえていた。おまけに黒マントの下にダークグレイのスーツを優雅に着こなし、洒落た紺の蝶ネクタイをしている。


 奇抜とまでは言わないまでも、中々見かけない風体だ。変わっているのは身なりばかりではない。空席はいくらでもあるというのに、わざわざ私の前に座って意味不明な自己紹介を始めたことに不審感を覚えた。とは言え、反感を買うのも面倒なので適当に話を合わることにした。


「死を収集とは。奇妙な話ですね」

「そうでしょう。世界広しと言えど、私のような輩はそうそういるものではない」

「それで、死の収集とは一体どんなもので?」

「そうですな、より正確に言えば、人を死に至らしめた苦しみを収集しておるのです。例えば──」


 彼は横の座席に置いてある革の黒い鞄を開き、更に中から鍵付きの金属ケースを取り出した。そして銀色に輝くそのケースを解錠すると、その中を私に見せた。


 そこには、ガラス玉の様な球体が丁寧に安置されていた。球体の大きさは直径三センチほどで、縦三つ、横四つにくり抜かれたスポンジにすっぽりと収まっている。

 

 それらは個々に色あいが異なっていて、緑の球体もあれば、どす黒い血を思わせる暗赤色のものもあった。彼はその中の一つを取り出して見せた。半ば冬の青空を思わせる、澄み切ったブルーだった。半ば、というのは、せっかく綺麗なそのブルーが、黒いどろどろした液体に浸食されているような状態だったのだ。


「これなどは、幾分悲惨な死に該当するでしょうな」

死神博士はそれを電球の光に翳した。山高帽から覗く片目が不気味な輝きを放っていた。

「これらの球体は、死に至る負の情念が結晶化したものなのです」

「負の情念、ですか」

「左様。失礼ながら、あなたは満足な死を迎えられそうですかな?」

「ええ、まあ」

私は実業家としてそれなりに成功してきたし、貯えもある。今は楽隠居の一人旅だ。愛する妻には先立たれ、息子夫婦に世話になりながら暮らしている。五体はまだそれなりに動くし、認知症にもかかっていない。

「そうですか、それは結構でございますな」

死神博士は口元を歪めて見せた。

「話を戻しましょうか。私はこれを、死せる魂の玉、“死魂玉”と呼んでおります」

「死魂玉?」

「左様。先ほど申しましたように、この死魂玉には死者の記憶、想念が込められておるのです」

「死者の記憶…………」

その言葉には、どことなく甘味で不吉な響きがあった。

「どうです? この玉の記憶をご覧になりたくはないですかな?」

「記憶を、見る?」


 何とも非現実的な話が続いているが、私はどこか楽しんでもいた。こんな風変わりな男には簡単に出会えるものではない。どうせ気ままな一人旅だ。話を聞くだけならただだろう。


「それは見てもみたいですが、しかしそんなことが可能なのですか?」

「無論です」

 

死神博士はケースの中から、手のひらサイズのガラスのオブジェを取り出した。三本の捻じれた突起が天に向かって伸びていた。彼が玉を三本の突起の先端に据えた刹那、台座に刻まれた文字が青白く輝き、死魂玉を中心に闇色のさざ波が起こった。かと思うと、周囲の景色が怒涛のごとく流れ去っていった。


§


 明日の宿題を終え、練習試合に用意していたバドミントンのラケットを取り出し、軽くスイングしてみる。空気を切るブオッという音が心地よくて、寝る時間がいつもより遅くなってしまった。


 ラケットをケースに戻し、部屋の明かりを消してベッドに潜り込む。中学に入ってからというもの、勉強もスポーツもそれなりに頑張って充実した毎日を送っている。両親は優しいし、小学生の弟は生意気盛りだが可愛いところもある。友達も部活を通じて何人もできた。ここ最近、毎日が楽しくて仕方がない──。


 夜中、ふと目を覚ました。階下で聞きなれぬ物音が聞こえたのだ。ふと不安がよぎり、部屋を出て階段に向かう。


「お父さん?」


 最近父は帰りが遅い。早く帰って来ても、また仕事だとか言って晩御飯だけ食べて職場に戻ったりする。一階の廊下は真っ暗だから、何かに躓いたのかも知れない。


 だが、階段を降りるに従い、何かがいつもと違うという予感が湧き始めた。父なら廊下に電灯ぐらい点けるだろうし、そうでなくとも台所や洗面所などに直行して何かしらの物音を立てるはずなのだ。


 それに、何? この臭い…………。鉄の錆びたような、鼻を突くほどのにおい。


「父さん? 母さん?」


 異様な臭気と静寂に耐え切れず、私は階段を駆け下りて両親の寝室に飛び込む。そこには見るも無残な二人があった。


 立ち竦んでいると、何者かに頬を殴られ、体が吹っ飛んで血の海に突っ込んだ。余りの苦痛に悶える私に、背の高い男が圧し掛かってきた。それからは地獄だった。私は幾度となく犯された。弟が途中で起きてきて、泣きながら男に飛び掛かっていったが、私の目の前で包丁で滅多刺しにされた。


 それを見て、私は抵抗する気を一切失くしてしまった。


§


 警察の聴取は何度か受けたが、暗がりの中での犯行であり、精神的ショックも大きく男の顔や特徴を殆ど覚えていなかった。


 何故あのような凶行に及んだのか、犯人の意図は分からなかった。だが、私にとってはそんなことはどうでもいいことだった。強姦された後、私は腹部を刺され、瀕死のところを救出された。それだけならまだしも、子供を産むことは出来ないと言われた。顔にも二、三の大きな切り傷があった。




 あれから二年が過ぎた。


 私は叔父さん夫婦に引き取られ、引き籠りの生活を送っていた。私を扱いあぐねた二人は、度々声を潜めて話し合っていた。そして昨夜、私を施設に預けようと叔母さんが話しているのを聞いた。今回に限っては、叔母さんがわざと聞こえるように話していることに私は気が付いていた。


 その時不意に、もう死のうと思った。死にたい、死にたいと思い続けて、結局心のどこかでブレーキをかけていた。


 今朝家を出て、ホームセンターでロープを買った。どこで自殺しようかと死に場所を探し回り、夕方になってやっと都立公園の林の中を選んだ。木枯らしが吹き抜ける中、ベンチに腰を降ろした。風の音がとても物悲しく辺りに響き渡っていた。まるで私の心のようだと思い、少し笑った。


 どこか適当な木の枝はないかと物色していると、隣に奇妙な人物が腰を降ろした。男性恐怖症のはずなのに、不思議と怖さを感じなかった。


 山高帽を目深に被った、マジシャンのような髭のおじさんは、前を向いたままこう言った。


「私は死神博士。死を収集している」


 彼は私に、エメラルドの液体が入ったガラスの小瓶を差し出した。


「この薬を飲めば、君は死ぬ。同時に、君の抱える死の苦しみを物体として結晶化させることが出来る。例えばこのように──」


 そう言って取り出して見せたガラス玉のようなそれは、とても不思議な色合いをしていた。まるで万華鏡のように複雑な光彩を放っていた。「死魂玉」と言うらしい。博士は、これはとある統合失調症患者のものだと語った。


「薬を飲んで死んだ者から、これを回収しているのだよ」


「私の苦しみは、こんな綺麗な玉になれるでしょうか」


 そう尋ねると、彼は分からないと首を振り、しかし大事に扱うと約束してくれた。代償として、薬を飲んで一定の時間は幸福な夢を見ることができるのだそうだ。私は死神博士の提案を受け入れることにした。

「あの……一つだけお願いが……」

「何だね?」

「私が死ぬまで、肩を貸して頂けますか?」

「…………好きになさい」


 死神博士の袖に体を預けると、どこか懐かしい匂いがした。思えば、この人は亡き祖父に似ているような気がする。少しの間その感触を味わってから、小瓶の蓋を開けてエメラルド色の液体を飲み干した。


 喉を通り抜ける漢方薬のような苦みと、不思議な甘さ。全身がかっと熱くなり、臓器が抜け落ちていくような感覚に襲われる。


「お姉ちゃん、バドミントン教えてよ」

「徹…………」


 公園の芝生で弟がじゃれつく。頭を撫でてやると嬉しそうに笑顔を向けてきた。いつか、家族と過ごした平穏な日曜日。かつて当たり前だった幸福な時間が、私を包み込んでいった。


§


 気が付くと、死神博士が真っ直ぐ私を見ていた。


「どうですかな?」

「何ともはや、悲惨な死があったものですね」

「ええ。全くです」

「つまりあなたは、あの少女の自殺を幇助ほうじょしたことになる。これは犯罪ですよ」

「そうですな」


 死神博士は、事も無げに言ってのけた。


「しかし、彼女を本当に死に追いやったのは誰だと思います?」

「それは──────」


 例の犯人だろう。そう言いかけた時、死神博士は言った。


「茶番は終わりだ。さあ、目を覚ます時だよ、殺人鬼君」


§ 


 目を覚ました時、私は狭い部屋……独房にいた。


 そうだった。私……じゃなくて、俺があの一家を殺し、少女を強姦した。実業家としての成功も、妻子も隠居生活も、全ては夢だったのだ。



 昨夜、死神博士が俺の独房に訪れた。誰も入れるはずのないあの部屋にどうやって入ったかなど、むろん俺は知らない。


「これを飲めば、死に至る苦しみを結晶化させることが出来る。それを頂く報酬として、君は服用後の一定時間、幸福な夢を見ることができるのだ」


 奴はそう言い残し、ガラス瓶を残していったのだ。


「い、いやだ!! 死にたくない!! 助けてくれ!!」


 忌々しい看守どもが部屋に入るや、暴れる俺を押さえつけ、無理やりに俺を死刑台に引きずって行った。


§


 真夜中の遺体安置所に現れた死神博士は、死刑囚の遺体に屈みこんだ。その口から零れ落ちたものをハンカチに包み込んで、非常灯に翳した。


 それは汚泥の塊ような悪臭を放つ球体だった。吐き出されたばかりの汚物を床に放り出した彼は、それを粉微塵に踏み潰した。

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