僕はロシェ

 僕の話をするとしよう。僕の名前はロシェという。昔はとても遠い街の商人の次男坊だった。いつかは僕も兄の役に立つのだと期待に胸を膨らませながら勉強したのを覚えている。僕に対して無関心だった家族の思い出は特にないが、不幸せだったという感情はないからきっとそれなりに幸せだったのだろう。

 全て過去形なのは、僕がその家を追い出されているからだ。もちろん原因が僕にあるのは重々承知しているので家族を恨んだりはしていない。彼らが僕を追い出したのは当然だろうし、もし僕が逆の立場だったら、きっと問答無用で勘当していたに違いない。命を取られなかっただけありがたいとすら思う。何せ、このご時世では普通ではない者はまともに生きていけない。少しでも人と違えば、すぐに難癖をつけられて処刑されることすらある。もともと次男だった僕は、別にあの商店にいなくてもいいのだと分かった。

 家を追い出された僕は、旅をすることにした。もっとたくさんの事を自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の心で判断する。普通でないのなら、その普通を学べばよいのではと考えた。

 結論から言うと、周りの言う普通はあまりにおぞましかった。人間が嬉々として人間を売る市場を見た。富豪に虐げられて肉が裂ける奴隷の悲鳴を聞いた。隣人に告発されていわれなき罪で処刑された無念に触れた。

 人間の汚い部分に嫌気がさした僕は、僕と同じ者を探すことにした。時たま聞こえてくる噂話を追いかけながらずっと歩き続け、様々な場所を訪ね、気が付けば季節は九十と四回巡っていた。

 僕の姿はいつまでも変わらず、少年のままだった。

 僕の正体は、人間から生まれてしまった魔法使いだったのだ。

     *

 鈍く光を反射する刃が、見えない腕に持ちあげられた。僕は軽く指を振って、指揮をする音楽家みたいにその見えない腕を動かす。力強く振り下ろした斧が大きな音を響かせて木を真っ二つにした。次の木を浮かせて運び、また斧を振り下ろして割る。何度も繰り返すうちに、目の前にあった木材の山はすっかり薪へと姿を変えていた。ほかに切る木はないかとしばらく斧は宙をうろついていたが、もう仕事が終わったと分かると力尽きたように地面に墜落する。土に刺さった斧の柄を握りしめてゆっくりと引き抜いた。これで今日の仕事は終わりだ。

 息を深く吐くと、僅かだが白くなっている。これから冬が来るというのに、木々は葉を落とすどころかますます茂り、森に暗い影を落としていた。

 最初は薪を浮かすのも一苦労だったが、今では慣れたものだ。薪を割り、割り終えたものは小屋の脇に積み、沢から水を汲むことさえできる。ルチアさんの小屋に留まって生活するようになってから魔法が随分と上達し、やはり大切なのは適度な休息とちゃんとした食事だと改めて実感した。各地を彷徨っていた間はろくな魔法も使えず、僕が家を追放されたのは何かの間違いなのではないだろうかと思ったのも一度ではない。箒にまたがって空を飛んだり、大なべに怪しい材料を入れて煮込んだりと、おとぎ話に出てくるような恐ろしい魔法使いにはなれそうにないが、僕はルチアさんの暮らしを楽にするための魔法を独学で勉強していた。今の僕は、救ってくれた彼女のために生きているといっても過言ではない。

 最初は、目の前の物を浮遊させるところから練習した。軽い落ち葉から始め、小石、枝、丸太と徐々に対象を大きいものに変えていく。触れずに物を動かすことが出来るようになってからは、あっという間に使える魔法の種類が増えていった。中には物騒な物もあるが、使用するのは狩りの時だけと決めている。悪用することは恐らくないだろう。ルチアさんの近くであまり攻撃的な魔法を行使したくないというのが僕の本音だった。

 ルチアさんには、僕が魔法使いだという事を教えていない。もし魔法使いだと打ち明けて、彼女に受け入れてもらえなかったらどうしよう。そう思うとどうしてもルチアさんに真実を伝えることができないのだ。救いの手を差し伸べてくれた彼女に隠し事をするのは気が引けたが、それでも僕は打ち明けることができなかった。

 生い茂る葉の隙間からかすかに見える空は青にも灰色にも見える。周りの土の匂いも湿り気を帯びて重くなってきた。雨雲が近づいている証拠だろう。積み上げた薪が湿気ないように、最近練習していた水除けの魔法を試してみる。成功したかどうかは雨の後に確認してみよう。

 斧を物置に片付けていると、小屋の方からルチアさんの声が聞こえた。

「ロシェ。そろそろ昼食にしよう。今日は胡桃を焼きこんだ麺麭を使ったからきっと美味しいよ」

 優しい笑顔が運んできたのは昼食のお誘いだ。僕にとってルチアさんと過ごす穏やかな時間は何にも代えがたい幸せで、思わず小走りになって小屋に向かった。

「ありがとうございますルチアさん。薪は向こうに積んでおいたのでいつでも使ってください」

「いつも悪いねロシェ。本当に助かるわ」

 平凡な会話が広がっていく。分厚い雲が隠し事を抱える僕を押しつぶしていたが、知らないふりをした。明るい彼女の前には、幸せを享受している僕の姿を見せてあげなくては。嫌な考えを切り離すために僕は小屋の扉を閉めた。

「これくらいお安い御用です。さ、僕お腹空いちゃいました。早くルチアさんのごはん食べたいです」

     *

 ルチアさんが魔女だと言われた理由。僕はそれが記された紙を手に取って眺めていた。あまり上手くないが味のある絵の数々は彼女が描いたものだ。効能やら自生地の特徴やら事細かにまとめられたそれは、もはや図鑑といってもいいほどに緻密だ。ルチアさんに聞けば製本するつもりはないらしい。今まで長く生きてきたが、これほどまでに勿体ないと思った事は無い。僕が白い花が書かれた紙を眺めている横で、ルチアさんは薬湯の作り方の記述を懐かしそうに見ていた。確かそれは、僕が初めてここを訪れた時に彼女がふるまってくれた品だ。あの時に身体も心も温めてくれた安堵を思い返して笑っていると、それを邪魔するように侵入者の気配を感じる。

 ルチアさんが不安そうな表情で僕の顔を覗き込んでいた。知らずのうちにひどい顔をしていたのかと思い、意識的に笑顔を作った。

 二言三言交わして、小屋を出る準備をした。行っておいで、と言ってくれる人がいて、帰ってくる場所がある。ルチアさんは僕の帰る場所になってくれる。僕はそれがうれしくてたまらなかった。

「ありがとうございます。いってきます、ルチアさん」

 扉を開ければ、分厚い雲が森の上にのしかかっていた。嵐が来るのかもしれない。

   *

 僕は暗い森の中に溶け込む頭巾を目深に被り、森の奥に歩みを進めていた。沢に背を向けて小走りになれば、目的の相手はすぐに見つかった。

 下卑た笑い声を森に響かせている男が二人、倒木に腰かけて休息をとっている。やや離れた木陰に身を隠して聞き耳を立てると、彼らが話している声がよく聞こえた。

「本当にここらにいるのか? 例の、魔女ってやつは」

「行商人が会ったって言っているんだから間違いない。ここに暮らしているんだ」

「とっ捕まえて教会に引き渡せばたんまりもらえるらしいじゃねえか。魔女狩りってのは儲かるんだなあ」

「森に入った人間は老若男女問わずみぃんな行方知れずになってる。だから街に住んでる連中は恐れて近寄らないんだとさ。いい金になりそうなのに勿体ないことだ」

「その分俺たちの取り分が増えるんだからいいんだよ」

 これだけ聞けば十分だった。彼らは、ルチアさんを狙っている。森から連れ出して、教会に差し出して殺そうとしている。異端を嫌う教会からすれば、汚らわしい魔女を火炙りにするためなら懸賞金など惜しくはないのだろう。

 故郷を奪われここに逃げてきた彼女から、今度は命まで奪うつもりなのか。

 全身の毛が逆立つほどの怒りが血潮と共に身体中を巡った。ルチアさんを守らなければ。一文無しで現れた僕を、嫌な顔一つせず迎えてくれた優しいあの人を殺させるわけにはいかない。

 僕は身を隠していた木陰から出て、男たちの前に姿を現した。男たちは僕の外套と頭巾を見て、僕を魔女と勘違いしたらしい。実際に魔法が使えるのは僕なので、あながち間違いでもないか、と心の片隅で思った。

「ほほう。あんたが森の魔女か」

「貧相な体だなおい。これじゃまるでガキじゃねえか」

 嫌らしい笑顔を浮かべながら、男の一人が笑う。

「もっといい女だったら、娼館に売った方が金になったのによ」

「やっぱりこいつは教会に付きだした方が高くつきそうだぜ。長い間この森に住み着いてるっていうじゃねえか。きっと異端嫌いな神父様も大喜びだぜ」

「殺さないでください」

 そう言うと、男たちは薄汚いにやけ面を惜しみなくさらけ出した。あまりの醜悪さに、頭巾の下で小さくため息をこぼす。

「命乞いか? 魔女みたいな頭のおかしい奴も可愛い事言うんだな」

「このまま立ち去っていただければ、命までは取りません。おとなしく帰ってください」

「何言ってんだあんた?」

 頭巾を外すと、男たちの目が点になった。

「なんだ、やっぱりガキじゃねえか! しかも男ときた!」

「ふざけんな! おい、この森にいる魔女はどうした!」

 騒ぎ立てる男たちを冷ややかな目で見て、僕は淡々と言葉を述べた。できるだけ人は殺したくないので、対話での平和的解決を望んでいたが、どうやらそれは無理らしい。

「おいガキ。お前、魔女の手先か」

「殺されたくなかったら魔女のところへ案内しな」

「手先も何も、この森に魔女なんていません。お引き取り願います」

「適当な事言うんじゃねえぞ。俺はこの森に変な女が住んでるのは知ってるんだよ」

 目の前の醜悪な人間は、まるで僕の話を聞こうとしない。僕はもう我慢ができなかった。

 右手をまっすぐに伸ばし、男たちに掌を向ける。喉を流れる空気の流れをせき止めるのを想像しながら、こぶしを握り締めた。

 男たちは、ひしゃげた声を喉の奥から絞り出すようにしていた。喉を掻きむしって、苦しそうにもがいている。呼吸ができないのはきっととても苦しいのだろう。おおよそ人間らしからぬ動物じみた奇声は、しばらくしてから止んだ。

 僕は、生命活動を停止したその肉塊を近くの茂みに投げ捨てた。死体は、森に棲む肉食の動物たちが生きる糧にしてくれるだろう。男たちが所持していた凶器は全て地面に埋め、間違えて掘り起こさないように目印に花を咲かす。

 白くて可愛らしい花だ。根元に近い茎には赤いまだら模様がついていて辺りに腐敗臭をまき散らしている。

 当然ルチアさんはこの花を知っているだろう。毒があると分かっているのだから、誤って近づいたりはしないはずだ。

「さあ、帰ろう」

 きっと、帰ればルチアさんが小屋の中を暖かくして待っててくれている。沢の罠は雨で増水して流されてしまったことにしよう。新しく作ればきっと喜んでくれる。

 嘘に嘘を重ねて、僕は頭巾を被りなおした。

 彼女は、本当の僕のことなんて知らなくていい。雨に打たれながら僕は家路についた。

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魔女の森 逆立ちパスタ @sakadachi-pasta

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