魔女の森

逆立ちパスタ

私はルチア

 私は魔女だ。周りの人間が勝手にそう呼んでいる。もちろん魔法は使えない。そんな非現実的なものはこの世界に存在しないが、少しばかり薬草に関する知識を有している。そのため、以前住んでいた集落からは追い出され、人の寄り付かない森の奥で自給自足の生活を余儀なくされていた。その森は、私が住み始めて以来ずっと「魔女の森」などと呼ばれ不吉なものとして扱われている。何とも迷惑な話だ。

 そしてもっと迷惑なことに、その不吉な森という噂を聞きつけて、離れた土地から子供を間引くために訪れる親がいる。何処ぞの童話に出てくる兄弟のように、森の中を彷徨い亡くなる子供も少なくない。そんな子供の供養をしながら、私は生きていた。


これは、人に見捨てられた者の物語である。


 私の話をしよう。私の名前はルチア。この森からひと月は歩く距離にある集落で生まれた。農民の両親に育てられ、畑を耕し家畜を育てながら幼少期を過ごしていた。そんな私がなぜこのような辺境の土地で暮らしているかといえば、先述の通り薬草を扱う知識を得ていたからだ。時折集落にやってくる旅人たちから話を聞き、集落の近くに自生している薬草を集め、いつしか私はそれなりの療法を自身の知識だけで行えるほどになっていた。

 そして、それが両親にばれた。魔女狩りが横行している今日、普通ではない人間、とりわけ女性は忌み嫌われる。右目の下にある泣きぼくろも魔女の印なのではないか、とまで実の親に言われてしまった。集落の長の「今すぐこの村を出ていけば追いかけはしない。殺されたくなければ出ていくがいい」とありがたいお言葉をいただいたため、私は生まれ育った集落を後にした。これが面白くもない私の人生だ。

 集落を出た私はしばらく旅人を装いながら自分の居場所を探し求めた。女の旅人はかなり珍しいため、旅に出た経緯をしつこく尋ねられたり、時には盗賊に襲われそうになったりもしたが、これは輪をかけて面白くない話のため省略する。そうやって見つけたのが、名前のない深い森だったのだ。草木が繁茂し、陽の光が薄暗くこもっている名前のない森だった。青空が頭上に広がろうとも、この森に十分な日光が差し込むことはほとんどない。

 その森の奥、少しばかり広まった土地に私は小さな木造の小屋を発見した。元はこの森の木を切って生計を立てていた木こりのものだったようだが、どうやら廃棄されたらしい。そこを私が有効活用している、というわけだ。必要最低限の生活用品は、森の前を通る行商人から買い付け、それ以外は森の奥でひっそりと生活している。親に、故郷に、人に捨てられた私はそうやって、生きる意味を特に見いだせないまま、ただ何となく薬草の研究を続けながら時間を消費していた。

 しばらく生活するうちに、私の住む森が付近の集落から「魔女の森」などという不名誉な名前で呼ばれていることを行商人の口から知った。否定したところで、私の生活が良くなるわけでもないので、何か知らないか、と尋ねられても曖昧に濁し続ける。そんな事を繰り返してしばらくしたのち、私は森の中で息絶える子供が後を絶たないことに気が付いた。魔女、なんて物騒な響きに好奇心を掻き立てられたのだろうか、と思ったがどうやら違うようだ。

 何時かの夜、森の中で子供に角灯を持たせ逃げるように走り去る男性を見かけたことがある。不吉と噂される場所、子供、逃げる親。ここまで来れば意味は理解できた。育てられなくなった子供を、大人が捨てているのだ。捨てられたと分からない子供は森に迷い込み、野犬に襲われたり、足をもつれさせて崖下に転落したりしてその命を落としていく。

 私は唐突に思ってしまった。この子らが死んでしまったのは、私がこの森に棲んでいるからではないだろうか。私が住み着かなければここは「魔女の森」などと呼ばれる事は無く、ここで子供が死ぬこともなかったのではないだろうか。責任を感じる必要はないと頭の片隅で理性が言っているが、私の心はこの事態に自分の生きる意味を見出してしまった。死んでしまった子供たちを供養するために、私はここに住み続けよう。自分のせいでこの森が子殺しを行う場になってしまったのならば、せめて後始末はこの手で行わなければ。そんな思いを生きがいとしている、森の住人が私ルチアなのだ。そうして齢を重ね、長い歳月が過ぎた。

     *

「ごめんください」

 朝日が登ったばかりであろう時間。木を削り出して作られた卓で朝食にありついていた私の耳に、今にも消えそうな声が届いた。木製の扉の向こう側。確かに聞こえてきた。聞き間違いなんかではない。

「あの、誰かいませんか」

 困り果ててか細く、弱弱しい声だった。私は慌てて立ち上がり、椅子を蹴倒す勢いで扉に駆け寄った。扉を引き開ければ、目の前にいたのは怯えた表情をした少年だった。

「子供?」

 驚いた私の口から洩れたのは、そんな間抜けな一言だ。泥にまみれ、髪の毛に枯葉をたくさん乗せ、羽織っている外套は裾がぼろぼろになってしまっているが、確かに それは少年だった。

「あの、僕、森で迷ってしまって。少しでいいのでお水を分けていただけませんか」

 掠れた声がそう懇願する。今にも倒れそうなほどに顔色の悪い彼は、やっと見つけた助けを前にただ水だけを要求したのだ。

「とにかく中へお入り。何か食べないと死んでしまうよ、君」

 そう言って小屋の中に誘うと、少年は救われたといわんばかりの表情を浮かべて、大きな眼に涙をためながら俯いて礼を言った。

 森の中で生きている人間に会うなんて初めての経験で、驚きながらも私は急いで少年のために用意を始める。梁に吊るしている草の中から目当てのものをいくつか見繕い、それを薬缶に入れて水瓶から注いだ水と一緒に火にかけた。少年は立ったまま小屋の中をきょろきょろと忙しなく眺めているので、一脚しか出していない椅子に腰かけるよう勧める。

「疲れているでしょう、お座りなさい。今温かいものを用意するから」

「ありがとう、ございます」

 微かに肩を震わせて、ぎこちない動作で少年が座った。

 椅子ではなく、床に。

「君、椅子にお座りなさいな。腰を悪くしてしまうよ」

「椅子ですか? 僕が座ってもいいのですか?」

「もちろんだよ」

 少年の遠慮ぶりに首を傾げると、少年は恐る恐る立ち上がり今度は椅子にゆっくりと腰かけた。それを見てから私は薬缶を火からおろして中身を木で作った器に注いだ。そこに、硝子瓶に詰めていた白い花びらを一枚浮かべて少年に手渡す。

「ほら、どうぞ。身体が温まる。すぐに麺麭(パン)を用意するから待っていておくれ」

 少年が、そっと器に唇を寄せて中身を啜った。音を立てないところから、育ちがいいのだと思った。

 布にくるんで棚に置いている、薬草を練りこんだ自家製の麺麭パン。それを小さな包丁で切り分け、保存食として大切にしている干し肉を薄く削って挟み込めば、栄養を豊富に含む携帯食の完成だ。

「さあできた。君、よかったらこれもお食べ。元気が」

 出ると思うよ、と続けるはずの言葉は出てこなかった。少年が、その大きな眼から次から次へと真珠のような涙を流していたからだ。

「温かい。これ、とっても温かいですね」

 涙に滲んだ声は、感謝と感動がないまぜになっていた。私は、この少年がたったこれだけの親切で何故ここまで喜べるのかが全く理解できなかった。

「僕、今までこんなに人に優しくされたことなくって。嬉しいなぁ、人ってこんなに優しいんですね」

 とめどなく溢れている涙を拭うこともせず、少年は小さな木の器を縋るように握りしめて嗚咽を漏らしていた。一体彼は今まで周りにどんな風に扱われていたのか。もしかしたら哀れみも少しはあったのかもしれないし、同じように迫害されて故郷を追い出された自分と重ねて見ていたのもあるかもしれない。

 私は彼が器を握りしめている骨の浮いた手に自分の掌を乗せた。驚いて顔を上げた少年の濡れた緑の目を真っすぐ見据えて言う。

「もしよければ、君の話を聞かせてくれないかな」

 小屋に隣接している小さな物置から予備の椅子を運び出し、卓の脇に置いて腰かけた。涙も落ち着き、大人顔負けの速さで食事を平らげた少年に、私はできるだけ優しい口調で声をかけた。

「もう大丈夫かい?」

「すみません、ご迷惑をおかけしました」

「気にしなくてもいいのよ」

 初対面の人間の前で泣いたのがよっぽど恥ずかしかったのか、少年は目元と頬を少し赤らめて目線を空になった器に向けていた。すると少年は、はっと顔をこわばらせてから少し間を置き、言いにくそうに口を開いた。

「僕、その、お恥ずかしい話なのですがお代を持ち合わせていないのですが」

「いいのよ。ここに生きた人間が来るなんて初めてのことだから私も嬉しくて、少し舞い上がってるのさ」

「そう、なんですか?」

「どうしてもお代が払いたい、って言うなら君の話が聞きたいな。さっきも言った通り生きている人間に会うことがほとんどないから、おしゃべりに飢えているんだ」

 そう笑いかけると、少年はつられた様に口角を引きつらせる。嫌な思いをさせてしまったのだろうかと思ったが、どうやら彼なりの笑顔らしい。

「僕の名前は、ロシェといいます。ここから少し離れた街の、商人の息子です。いえ、でした、というのが正しいんだと思います」

「というと?」

「僕は親に捨てられました」

 光の失せた目を伏せて、彼は淡々と言葉を口にした。だが、その話はおかしい。この森に捨てられる子供たちは皆、身なりを見れば分かることだが、経済的に養育が困難になった親の都合に付き合わされている。裕福な商人の子供であれば、そんな子殺しの真似事をする必要はないだろう。

「妙な話だ。なんだって商人様の息子がこんな森に置き去りにされるのか。ロシェ、何か心当たりはあるかな」

「いいえ」

 長い沈黙を経てからの、歯切れの悪い返事だった。言い淀んでいる様子を見るに、もしかしたら私のような平民の出には理解の及ばない事柄なのかもしれない。

「悪いことを聞いたね。話したくないことは言う必要なんてないんだよ」

「すみません」

「謝ることはない」

 卑屈が過ぎる少年のつむじから目を逸らし私は窓の外を眺めた。相も変わらず陰鬱な空気が流れる森の景色だ。

 この少年の姿に、自分の過去が重なってしまうのは仕方のない事なのだろうか。集落から追い出され、この森に身を寄せる私と、裕福な家に捨てられ、私の小屋にたどり着いたロシェ。同じように捨てられ、森に行きついたのは偶然なのか必然なのか。

 思い切って、私はロシェに聞いてみることにした。自分でも変な行動だと思ったが、長らく人とまともに喋ることがなかったために、少し寂しかったのかもしれない。

「ロシェ。君は行く当てがあるのかい?」

「いいえ。家族は僕を捨てました。故郷の人間はきっと、僕のことなど忘れているでしょう」

「そこまで言い切られては私も見捨てられないな。どれ、寂しい独り身の女を助けると思ってここにしばらく住んではくれないだろうか?」

 片目を瞑って見せれば、ロシェは大きく目を見開いて数瞬固まった。少し考えるそぶりを見せてから、また私につむじを見せてくれる。

「卑怯な物言いを許してください。僕はここにいても良いのですか。僕は生まれてこのかた、一度も他人から必要とされたことはありません」

「もちろんさ。君さえよければ、私のおしゃべりの相手になっておくれ」

 ロシェは、嬉しいのか悲しいのか分からないくらいに顔を歪めていた。かすかに漏れ聞こえるしゃっくりは聞こえないふり、卓に広がる狭い水たまりは見えないふりをした。涙が溢れ出て止まらないようだが、ロシェはそれを乱暴に自分の外套で拭き取ると弾かれた様に立ち上がり、床に片膝をついて首を垂れた。その姿は、さながら騎士のようで少し気恥ずかしさを覚える。

「誓います、僕はあなた、ルチアさんが求める限りそばに居続けると」

「こ、こらロシェ。顔をあげな」

 幸せとわずかな気恥ずかしさで熱くなる頬を押さえて、私も目線をロシェと同じ高さに持っていく。十代半ばで故郷から追い出され、こんな風に人に敬われることなど一度たりともなかった。年増が年甲斐もなく恋する少女みたいな気持ちになるなんて、と心の中で冷静になろうと試みた。

 ようやく頭を上げたロシェは引き攣っているものの、出会ってから今までの中で一番自然な笑顔を浮かべたのだった。


 こうして、私ルチアと捨てられた少年ロシェの生活が始まった。ただおしゃべりに付き合ってくれればいい。それだけの思いで彼を我が家に招いたのに、毎朝の水汲みや薪割りなど、体力が必要になる仕事はロシェが進んで行ってくれるようになった。そのおかげで私の生活も楽になったのは嬉しい誤算だ。随分と細い腕でよく頑張ってくれる。その旨を彼に素直に伝えれば、この程度の仕事なら僕に任せてください、と誇らしげに言われたものだ。

 空いた時間は今まで行えなかった薬草の調合や保存に回せるようになり、小屋にある棚は硝子瓶と木箱がどんどん増えていった。ロシェの笑顔も徐々に増え、どんよりとした空気の森には似つかわしくない明るい笑い声すら響くようになっている。もちろん、良い傾向だ。

「ロシェ。そろそろ昼食にしよう。今日は胡桃を焼きこんだ麺麭を使ったからきっと美味しいよ」

「ありがとうございますルチアさん。薪は向こうに積んでおいたのでいつでも使ってください」

「いつも悪いねロシェ。本当に助かるわ」

「これくらいお安い御用です。さ、僕お腹空いちゃいました。早くルチアさんのごはん食べたいです」

 他愛もない会話をしながら家に入る。私が食事の支度をしている間、ロシェは布で手の汚れを拭き取っている。吹き終わった布がほとんど汚れていないから、きっと外で一度手を洗ってきたのだろう。几帳面で綺麗好きな子だ。

「夕刻になったら鹿肉の葡萄酒煮込みを作ろうかと思っているんだが、どうだい?」

「鹿肉! 僕、ルチアさんのごはんの中で鹿肉を使ったものが一番好きなんです。あったかくて、とても幸せな気持ちになるんですよ」

 嬉しそうに食卓につくロシェは、出会った当初とは比べ物にならないほど明るく、活発になった。幸せである、という感情に蓋をすることなく表現するようになって、まるで別人だ。以前は揺れる木の影にすら怯えていたのに今では森では狩りを行って我が家にとっては貴重な肉を提供してくれる。

「ロシェが狩ってきてくれるから私は料理ができるのさ。本当に、君が来てくれてから私の生活はどんどん豊かになっているよ。ロシェは私に幸せを運んできてくれたんだね」

 そう笑いかけると、ロシェも柔らかい笑みを返してくれる。

「さて、それじゃあ昼食にしよう。」

「はい、ルチアさん。それじゃあいただきます」

 今までは一人きりだった食事が二人になり、少しにぎやかさを増している。寂しく食料を口に運ぶだけだった食事の時間が、いつの間にか随分と楽しいものになっていたのだ。食卓を囲み、談笑しながら時間を過ごす。ただいま、という声が聞こえ、それにおかえり、と返すことのできる幸せ。私が理不尽に人間から剥奪された幸福を、私はこの薄暗く深い森の中で確かに感じていた。

     *

「ルチアさん、お時間よろしいですか」

「あぁ、そうかい。ロシェ、案内しておくれ」

「はい」

 傷ついたようなロシェの表情から、また子供が見つかったことが分かった。時間が経てども、魔女の森と呼ばれているこの場所で子殺しを行う忌むべき親は後を絶たない。稀にこうして、命の灯火を消してしまった子供が発見されるのだ。

「僕は向こうで、あの子の眠る場所を整えてきます。ルチアさん、申し訳ないですが彼女を、運んできていただけませんか」

「分かったよ。ロシェ、急がなくてもいいからね」

「はい」

 そう言って、ロシェは小屋から離れた場所にある亡くなった子供を埋める域に足を進めた。その子供が発見された場所はロシェから聞いていたので、迷うことなく歩いていく。

 子供は、確かにそこにいた。野犬に食い散らかされた様子も無ければ蛆が湧いている様子も見えないので、息絶えてから幾刻も経っていないのだろう。あと少し、ほんの少しだけ命が長く続けば我が家の灯りが見えたかもしれないものを。可哀想な少女の最期に憐憫を感じてしまう。

「もう寂しい思いはしなくていいんだよ。今度こそ幸せなおうちに行けるよう、私がお祈りしてあげるからね」

 亡骸を背負いながら、そう独りごちた。そこに優しい命の温かさはなく、ただ生温い自己満足が消えもせず広がるだけだった。

 私が作った、子殺しの被害者のための墓地。そこで、ロシェが新しい墓穴を掘っていた。幼子の亡骸を背負った私を見て、悲しそうな顔をしている。やはり捨てられた者に、何か感じるものがあるのだろう。

「ルチアさん、こっちです」

「ありがとうロシェ。助かったよ」

 亡骸をそっと墓穴に降ろし、土を被せる仕事はロシェがいつも買って出た。今回も例外ではなく、大きなシャベルを器用に扱いながら優しく穴を埋めていく。名前も知らない少女の亡骸の上にこんもりと土が乗り、私はそっと墓標の代わりに花を手向けた。紫色の、稲に少し似ている花は、森に吹く風に揺られていた。

 私とロシェは、それをただ黙って、日が暮れるまで見ていた。聖書などあの小屋には置いておらず、正しい祈りの言葉など知らない。ただ、揺れる花に鎮魂を込めたのだった。

     *

 季節は廻り続け、私が薬草の効能や特徴についてまとめ記している羊皮紙は、厚みを増して本棚の一角を占領していた。この森で得た知識も多く、どれも今の生活に役立っていた。その草が自生する環境、季節、部位ごとの効能や使い方、使う際には注意する点など、森の外の人間が見たら魔女の書物だと卒倒しそうな内容だと自分でも分かっていた。中には、お世辞でもあまり上手いとは言えない絵も載っているため余計におどろおどろしい物に見えるかもしれない。

 ある日、ロシェはこの雑多に詰め込まれた羊皮紙を見てこういった。

「ルチアさん。これ、本にしないんですか?」

「本? 製本なんてこの森の外にある大きな街でしか行えないよ。それに、そんな素敵にあつらえてもらうほどのものじゃない。小さい頃から続けているただの道楽だよ」

「もったいないですよ。この知識は貴重だ」

「そう言ってもらえると嬉しいわ。なんせこの知識はあまりほかの人には歓迎してもらえないからね」

 棚から降ろした羊皮紙を卓にまき散らしてみれば、今まで調べてきた薬草の種類の多さが自分でも分かる量だった。そのうち一枚を手に取ってみれば、それは初めてロシェが我が家を訪ねてきたときに出した薬湯の作り方を記したものだった。あれからさほど時間は経っていないはずなのに、何故か随分と昔のことに感じられる。懐かしさに頬を緩めていると、ふとロシェが羊皮紙を片手に窓の外を見た。

 眉間に力を入れ、今まで見たことのない険しい顔をしている。

「どうしたの、ロシェ。随分と怖い顔をしているよ」

「すみませんルチアさん。なんだか雨が降りそうな気がしたので、沢に張ってある魚の罠を引き上げなくちゃと思っただけです」

「雨かい? 言われてみればそんな気もするけど、よく気が付くね」

 確かに、微かに木々の隙間から見える空はいつもより鈍い灰色に覆われている。しかし、長らく森に棲んでいる私ですら気が付けないほどの変化をロシェは良く分かったな、と感心した。きっと、敏い子なのだろう。

「僕、ちょっと行ってきます。せっかく作った罠が壊れてしまうのはもったいないですし、作り直すのにも時間がかかりますから」

 これ、ありがとうございます、と紙を私に手渡し、外套に付いた頭巾を目深に被って外に出ようとする。その背中に私は声をかけた。

「気を付けて行っておいで。部屋を暖かくして待っているから」

「ありがとうございます。行ってきます、ルチアさん」

 振り返ったロシェの笑顔は、とても優しかった。

 部屋に残った私は、ロシェが返してくれた羊皮紙を見つめた。中身は白くて可愛らしい花をつける毒草について記したものだった。根元に近い茎には赤いまだら模様がついていて、葉も根も黴のような臭いがするのが特徴だ。乾燥させれば毒の効果は大幅に減るものの、多く摂取すれば命に係わる。故郷の近くに群生していて、以前家畜が誤って食べてしまった時に大騒ぎになった代物だ。どうしてロシェはこの羊皮紙を読んでいたのだろう、と不思議に思ったが、あの子にも何かこの草に関する思い出があるのかもしれないと、早々に考えるのをやめた。

 散らばった羊皮紙を紐で括っていると、雨粒が窓を叩く音が聞こえた。もう雨が降ってきたみたいだ。いそいそと羊皮紙を棚に詰め込んでから、私は暖炉に薪を投げ入れた。

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