ドラッグストア・ニューイヤー

naka-motoo

第1話

「うーん」


わたしは右折ウインカーを一旦点滅させたものの悩んでいた。


どちらが空いているだろうかと。


店内の混み具合はもちろんだけれども、駐車場の整然さが女であるわたしにとっては非常に重要だ。


いや、失言かな。


性別問わず、わたしというドライバーにとっては駐車するという行為は苦手だ。


なので、右折のまま対向車線をぐるっとUターンしてスーパーを通り過ぎ、地元企業が展開するローカルなドラッグストアの駐車場へ向かった。以前来た時のゆったりした駐車スペースと融雪装置が行き届いているという良いイメージが残っていた。


今日は、正月2日。


昨夜からの大雪で、今朝実家の玄関から道路までと向かいの独居老人の同じく道路から玄関までを除雪した。

その後、実家を訪れた際いつも使わせてもらっている幼稚園前の空き地で雪に埋もれた車を発掘し、なんとかここまでたどり着いた次第だ。


買い物先でまでスコップでえっこらするのはごめんだもんね。


しかも正月の2日から。


LINEでダンナに送信する。


『ちゃんと除雪してくれてる?』


ドラッグストアの自動ドアをくぐったところで返信が来る。


『にいちゃんとまっくにやってもらった』


ったく。

そんなことだろうと思った。

まあ、2人とも男だからダブル受験だろうがなんだろうがこき使ったところでバチは当たらないだろう。

それにしても母親孝行な息子たちだ。わたしが舅・姑から責められる要素を一つ潰してくれた。


ドラッグストアの店内は静かだった。


人がいないということではない。


老人ばかりなのだ。


カートを杖代わりに押すダンナさんとそれに縋るようにヨタヨタと歩く奥さん。


一人暮らし用の少量パック品を物色するおばあさん。


プライベートブランドの発泡酒の値札を至近距離で比較検討するおじいさん。


全員、間違いなく後期高齢者だ。


わたしは日本酒のコーナーへ向かう。


「あ、『横山』がない」


常用している日本酒の300ml瓶が品切れだった。

仕方なく『刀剣』という二番手の小瓶をカゴに入れる。


それから、白大福と豆大福も。


「年齢確認させてくださいね」


レジの女の店員さんに促され、『20歳以上ですか?』という画面をタッチする。


「ごめんなさいねえ。決まりだから」


あら。そこは高校生かと思った、とかお世辞を言ってくれてもいいのに。


まあでも今のこの瞬間、この店内で一番若いのはわたし。

二番目はこの女の店員さんだろう。


でも、店員さんにしたってわたしよりふた回りは年上だろう。


・・・・・・


車に戻り、わたしはエコバッグから日本酒を取り出した。


あ。


もしかしてわたしのこと、介護に疲れたキッチンドランカーとか思ってますね?


残念。


この日本酒はウエストポーチにしまうのですよ。


ジョギングに使う伸縮性の優れモノで、さっき買った大福も一緒に入っちゃう。


それから、車に備え付けのジッパー付きの食塩の小袋も。


あ。


アル中ではないけれども、何か異常行動をする女とか思ってますね?


それは・・・うーん、一部は当たってるかな。


わたし自身は大真面目なルーティンなんだけれども、まずこういう行動をする主婦はいないだろうから。


・・・・・・・・・・


日本酒を仕込んだウエストポーチを装着してわたしが車で乗りつけたのは、墓地。


『墓地』なんて書くとホラーっぽいけれども、要は実家の先祖代々の、裏山にある共同墓地。


当たり前だけれども新年2日の墓地の駐車場は除雪などされておらず、わたしはタイヤの稼働が効くぎりぎりのところまで入って行ってそこで車を駐めた。車の中で長靴に履き替えて真っ白な新雪に降り立つ。


「今年もよろしくお願いします」


と、まず駐車場脇で埋もれているお地蔵様に手を合わせる。

それから、ズボズボと墓の方まで歩いて行って、「・・・・」と手を合わせた。


実はここが最終目的地ではない。

どちらかというと車を駐めておくために立ち寄ったというところだ。


わたしは長靴に雪が入り込まないようカバーをかけ、裏山の中へ入って行った。


・・・・・・・・


「うわー。結構積もってるなー」


小学生の頃はこういう状況だと雪に突進していくような単純さがあったけれども、わたしはもういい年だ。

疲れる、という感覚が体と性根にこびりついてしまった。

だから、できるだけ最小限の動きで体力を温存しつつ進む。


「あ・・・見えてきた見えてきた」


わたしの最終目標が見えてきた。


それは、一本の、杉の木。


この小規模な里山の中ではひときわ樹齢を重ねた立派な木。


ご神木、なのだ。


実は由来はわたしはよくわかってない。


ただ、死んだばあちゃんが子供のわたしをここに連れてきては、


「ノネちゃん、この山の神様にきちんとお参りしていくんだよ」


という言葉が残ってる。


毎月そのお参りをばあちゃんはずっと続けていた。


けれども、ばあちゃんが死んでから、それは途絶えた。

ばあちゃんは死ぬ直前までこの急斜面を登って、塩で木を清め、酒と大福をお供えしていた。わたしの両親もそれとほぼ同じ年齢なのだけれども、「できるわけがないだろ」と言って誰も行かなかったのだ。


わたしも外へ嫁に出た身なので、舅・姑への遠慮や、兄を差し置いてまでという思いがあって、ずっとお参りしていなかった。


けれども、そういうのは人間が勝手に慮ってるだけの話であって、ごくごくシンプルに考えれば、


「わたしが行くしかない」


と思い至ったのだ。


まあ、主婦としての年季が図々しさをわたしの身につけたことと、実家の介護をするわたしを見て、そう遠くない将来自分たちも同様の状況になるだろうと舅・姑が考え始めた気配もあったからだ。


しかし、正月休み明けにすればよかったかな、と後悔した。誰も踏み分けてない雪道を、しかもこの急斜面を登るのはかなりきつい。


「はあ・・・」


ちょっと小休止と立ち止まったところでわたしは雪の上に足跡を見つけた。


「これって・・・」


直径10センチぐらいの丸いくぼみが規則的に続いている。くぼみの上に更に雪が降ったようではっきりとした形状ではないけれども。

わたしの脳が思考を始める。


イノシシ?


出没情報は結構あるので真っ先に浮かんだ。


でも、足跡にスピード感がない。

走る感じの動物ではないのかな、と思った。


じゃあ、狸? それか、てんとか?


狸はこの近辺では子供の頃からも見たことはない。貂も見たことがないけれども、ばあちゃんが納屋に昨夜貂が入って悪さしてった、とか言ってたことがあった。


野犬?


わたしは野犬が怖い。


わたしが子供の頃、いくつか年上の近所の男の子が野犬の群れに噛み殺される事故が実際に起こっていたからだ。


この足跡は誰かが飼い犬を散歩させてたんだ、という仮説をわたしは無理矢理に立てようとした。

心を安らげるために。


けれども、どうみても人間の長靴の足跡はわたしのもの以外に見当たらない。リードが雪に擦れたような形跡も全くない。


目標の杉まであと5分ほど。


わたしの精神が段々と追い詰められてくる。


まさか・・・と、すっ、とカタカナ二文字の単語が浮かんだ。


クマ?


わたしの歩みは自動的に止まる。


根拠がないわけではない。


秋頃、わたしは職場の同僚たちと、山間のできたばかりのクロスカントリーコースをランニングしたことがある。


その時、ウッドチップを敷き詰めたコースの上に、明らかにヘビー級の動物の足跡を見つけたのだ。


『ああ、クマのだよ』


とコース整備をしている作業員さんが日常会話のように言ったのだ。

以来そのコースへ行くのは差し控えているので一度見ただけだけれども、もしあの足跡が雪の上に再現されたとしたらどんな形状だろうと推測した。


「・・・戻ろう」


わたしは子供の頃いじめに遭った経験と、前職で強盗多発国へ赴任した経験があり、危険察知能力は高いと自負している。

即・判断した。


杉のかなり手前だけれども塩を雪の上に撒き、大福を2個重ねて雪の上に置く。

そして、日本酒を雪の盃に注ぐように流した。


二礼二拍手一礼して、回れ右をする。


帰りは自分の長靴の後を辿るので若干スピードが上がる。


順調だ。


斜面を降りきり、平地に入った。


更にスピードを上げる。


本当は走りたいぐらいだけれども、プロネーションの不具合から年末に疲労骨折した足の指の痛みがそれを許してくれない。


ずぼっ。


自分の長靴の穴を更に深く踏み込んでハマり、一旦ストップした。


カサカサ


微かに後方から音がする。


じっと耳を澄ます。


カサ・・・カサ・・・カサ・・・


やや間隔を空けて規則的かつ継続的にその微音がする。


「ううっ!」


声を漏らさまいとしても出てしまったわたしの呻きを合図に、わたしは走り出した。


抜けない片足の長靴を雪の中に残したまま。


そして、数歩でもう片方の長靴も脱げるままにした。


裸足でわたしは雪上を駆ける。


いや、這いずった。


さっきまでこんなに積雪が多かったろうか。


なかば膝で雪を押し固めながら進むような状態になる。


わたしは、足掻く。


「あーあ!」


こんな時にわたしはこういう嘆きの声を出す。


どうしてわたしはこんな所にいるんだ。


わたしは新年から子供とも過ごせず、何をしてるんだ。


なんでにいちゃんは実家に帰ってこないんだ。


あの時、なんでわたしが仕事を辞めなきゃならなかったんだ。


どうしてわたしは誰も読まない小説を書いてるんだ。


どうしてわたしがいじめに遭わなきゃならなかったんだ。


・・・最後の嘆きでもって、どうでもよくなった。

とりあえず、やれるところまではやったろうと思う。

今だって、とにかくここまで逃げた。


もう、いいだろう。


ああ、疲れた。


わたしはつんのめって倒れるままに雪に顔を埋めた。


冷たすぎて感覚がないけれども。


多分、涙が流れているんだと思う。


そっと、目を閉じた。


うつろな脳が認識する聴覚に、カサカサ、という音がまた入ってきた。


あーあ。


・・・・・・わたしが自棄している左後方から聴こえてきた微音がほんの少しヴォリュームを上げて真横に到達した。


その音は止まらない。


数秒後、微音は小規模なドップラー効果を引き起こして左耳の前方に移動する。


・・・?


わたしは十分に慎重なつもりだ。


うつ伏せのまま、左目を上げた。


左前方の状況を視認する。


「あ・・・」


そいつは、そこに居た・


「・・・うさぎ」


わたしの視線を感じたのだろう。

その小動物はくるっと身を翻す。


わたしと、白いうさぎは、目が合った。


「かわいくない・・・」


みすぼらしい野生のうさぎはわたしの食指をまったく惹かなかった。


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