で、あれから早くも二十年が経ってしまったわけで
※
「居たぞ、こっちだ!」
「退路を塞げ! 絶対にあの罪人達を逃がすなよ!!」
歴史を感じる石造りの城内を、一人の騎士が駆ける。追いかけてくる王国兵と比べても抜きん出た長身に、均整の取れた体格。繊細な装飾が施された白銀の鎧を身に纏い、夕焼け色の外套を翻して。彼は風のように駆ける。
そして、彼の肩に荷物っぽく担がれているのが
彼が、下僕で。
担がれている私が、主人なのだ
「いやああああ! 死ぬうううぅ、死んじゃうううううう!!」
「絶対に死なせませんから暴れないでくださいよ、魔女さま。落としちゃいますよ」
背後を狙って放たれるクロスボウ。そのいくつもの矢を剣で難無く払い落としながら、下僕が暢気に笑う。
「それにしても魔女さまって、燃え盛る炎は怖くないのにこんな矢が怖いんですか? あはは、やっぱり変わってますねぇ」
「う、うるさい! 魔女だって飛んでくる矢や斬りかかってくる剣は怖いのよ。当たったら痛いし、それに――」
「黒の魔女さまは夜は無敵だけど、反対に昼の間は魔法がほとんど使えないんですよね? はいはい、わかってますから。なので、昼間は俺に任せてくださいよ」
再び放たれた矢を薙ぎ払って。下僕が涼しい顔で魔女を担いだまま、今度は自ら兵士達の群れに飛び込み刃を交わす。その辺の騎士がよくやりがちな剣の礼儀作法云々など、森で魔物相手に力を付けた彼にはこれっぽっちも備わっていない。
ただ、獣のように圧倒的な暴力で、相手の剣を圧し折り無力化させるのみ。
「な、なんだこの男は! 化け物か、それとも野獣か――ぎゃああ!!」
「あの紋章は、まさか聖騎士……だ、だが魔女を助けるだなん――ぐはああぁ!?」
「はいはいジャマジャマ、死にたくなかったら大人しく寝ててくださいねー」
ついでに腹に膝や踵を思い切り打ち込み、もしくは背後に回って柄で後頭部を殴って気絶させる。そうして聖騎士らしからぬ野生的な戦い方で倒した王国兵達が、二人の後ろに累々と続く。
「お、おおお降ろして下僕! 降ろしなさい!」
「嫌ですよ、この方が早いので。我慢してください」
ていうか。クロスボウ軍団を薙ぎ倒しながら、下僕が不満そうに口を尖らせる。
「元はと言えば、魔女さまがこの王国の秘宝が欲しいって無計画のまま乗り込むのが悪いんですよ。しかも、俺が寝てる間に」
「うるさいうるさい! だって、すぐに帰って来られると思ったんだもの! でもまさか、こんなド田舎の城に魔女捕獲用の魔法陣が仕掛けられてるなんて。しかも秘宝は魔法の触媒にすらならないクズ石だったし、きいぃ!」
ジタバタと暴れるも、がっしりとした腕は魔女を離そうだなんてこれっぽっちも考えていないらしい。くそう。
「大体、あんたが来なければもっと穏便に済んだのよ。あんたは目立つのよ、無駄に!!」
「カビ臭い牢屋でビビってた人がよく言いますね。それに、目立つのは魔女さまが俺にこんな派手な鎧を着せるからですよ」
「ビビってない! あと、鎧の何が悪いっていうのよ。少しは身を護ってくれるし、騎士っぽいし。それに、あんたは顔が良いんだから派手な格好の方が似合うのよ。言ってしまえばただの私の趣味よ。悪かったわね、ばーか!」
今の格好が恥ずかし過ぎて、自分が何を言っているのかわからなくなってきた。だって、私は黒の魔女。闇を従えて、悠久の時を生きる至高の存在の筈なのに。
いつからだろう、隣にある蒼い瞳に見つめられたら頬が火照るようになったのは。
「それに私一人だったらこう……そう、空とか飛んで逃げたわよ。魔女だもの、箒で優雅に飛んで逃げたわ!」
「あー、それ。前から言いたかったんですけど」
二人を取り押さえようと突進してきた盾兵達を纏めて薙ぎ払い、下僕が城内を駆ける。ていうか、こいつはどこに向かっているのだろう。
「箒に跨って飛ぶの、やめてくれません? 可愛いけど、はしたないんで。跨るのは俺だけにしてください」
「何言ってんの?」
「大丈夫です、貴女を飛ばす自信はあります」
「だから何言ってんの? ネズミにするわよ? 一生ナッツとチーズ漬けで回し車を回すだけの毎日を送りたいの?」
「魔女さんに愛でられるのなら何でも良いですけど。ネズミにされたら剣が持てないので、やるなら後にしてください」
ずっと動き回ってるくせに、息切れ一つせずに下僕が喋り続ける。おかしい、ほんの二十年前は虫も殺せないような気が弱くて可愛い可愛い、それは可愛い美少年だった筈なのに。
「うう、昔はあんなにふにゃふにゃしてて可愛かったのに。いつの間にこんな性騎士になっちゃったの……しかも無駄にデカいし馬鹿力だし。何なの、人間にはドラゴンとかマンドラゴラとか食べさせちゃいけなかったの? 何がこいつを美少年からゴリラにしたの?」
「全て貴女の教育の賜物です、本当にありがとうございます。あれ……この扉は鍵がかかってますね」
過去の過ちに嘆いていると、不意に下僕が足を止めた。どうやら、行く手を塞がれてしまったらしい。
確かに、目の前の扉にはかなり頑丈な鍵がかかっているようだ。
「もう、鍵を開けるくらいの魔法なら使えるから。とりあえず、一旦降ろして――」
「面倒なので、壊しちゃいますねー」
剣を振り降ろし、扉を叩き切る下僕。嘘みたいな轟音が鼓膜を殴り付ける。もう見なくてもわかる。かんぬき状の鍵は健在のまま、扉自体が見るも無残に砕け散ってしまった。
嗚呼。騎士としての作法とか、もっと教えれば良かった。金髪蒼眼の整った容姿はそれだけでどこかの国の王子様みたいだし、剣を持たせて鎧を着せれば勝手にそれっぽくなると思ってたのに。
顔が良い分、ゴリラ味が凄い。
「この馬鹿……絶対に若返りの魔法を開発して、一から再教育してやる」
「再教育ですか。はっ……そ、それはつまり、もう一度魔女さまのたわわな胸に溺れられるってことですか!?」
「吊るすぞ」
「こわい! 昔は素直な俺が可愛い、好きって言ってくれたのになぁ……あ、魔女さま見てください。外ですよ、外」
「え? ……ええ、そうね。外ね。外……ではあるけど」
びゅうっ、と冷たい風が頬を叩く。視界に広がる澄み切った空に、白い雲。彼方には緑豊かな山々が見え、咲き乱れる花々の甘い香りが鼻腔を擽る。この上ない開放感だが、それでも助かった、とは微塵も思わない。
眼下に見える人間達が、指人形くらいの大きさだったから。
「…………まあ、この程度の高さならイケるか」
「行くなばか!」
「大丈夫ですって。魔女さまも俺も、この程度の高さでは死にませんから」
庭園のような屋上を駆けて、躊躇なく縁に足を駆ける下僕。いや、確かに私は魔女だし、彼も選ばれた聖騎士ゆえに人並み外れた身体能力を持ってはいるが。
無理! 精神的に無理!
「それじゃあ、紐無しバンジージャンプまで三秒前! 二! いーち!」
「死ぬうううぅ! 今度こそ死んじゃううううぅ!」
「待て、そこの魔女と手下」
今まさに空中へ飛び出さんとした下僕を、背後から低い声が呼び止める。振り返れば、大勢の王国兵達を引きつれた煌びやかな装いの老人が堂々と立っているのが見えた。
あ、この国の王様だわ。魔女がそう呟くと、下僕が面倒臭そうに溜め息を吐く。そして何を思ったのか、あれほど頑なだったにも関わらず魔女を肩から降ろした。
うう、ちょっと酔った。
「はあ、一体何でしょう? まだ俺達を捕まえるつもりなら、相応の抵抗は続けるつもりなんで。これ以上被害を増やしたくなければ、このまま見逃して欲しいんですけど。そもそも、この方は城に忍び込みはしたものの、何も盗んだりしていませんよね? 迷い込んだ猫みたいなものと思って欲しいんですけど」
「愚かな、悪しき魔女は生きているだけで害毒だ。見つけ次第捕らえ、抹殺しなければならない。だが……貴様の頬にある紋章、それは神に選ばれし聖騎士の証。どうして貴様のような男が、魔女の味方をしているのだ? 見る限り、魔女に操られているわけではないようだが……貴様の剣は、人間の為に振るうべきだろう」
兵士達が、各々の武器を構える。人間よりは丈夫に出来ているとはいえ、魔女だって切ったり殴られたら死んでしまう。それは、隣に居る下僕も同じだ。
それなのに。下僕は剣を収め、真正面から国王に向き直る。思わず魔女が彼を見上げれば、精悍な顔に挑発的な笑みが浮かんでいるのが見えた。
「じゃあ、逆に聞きますけど。男が好きな
「んなっ!?」
思わず声を上げる魔女。そう、決して自分は彼を操っているわけではない。かつては王の言う通り、己の黒でこの男を染め上げ、思うがままの玩具にしようと企んでいたのだが。
今この瞬間でも、それは全く成せていない。当たり前だ。
魔女が黒き闇なら、彼は白き光。それも、神のお墨付きのとびきり
「俺は彼女を愛している。一人の男として。だから護る、命を賭けて。あと、単純に人間のことが嫌いなので。死んでもあんた達の味方なんかしませんよ。ばーか、ばーか!」
では、失礼します。下僕がそう吐き捨てると同時に、魔女の身体がふわりと浮いた。肩と膝裏に回された腕と、耳元で囁かれる声に思考が沸騰する。
「それでは魔女さま。これからも、あなたは俺が護りますので。火の中でも水の中でも、落下地点でも。きっと俺が先に死ぬと思うので、それまでずっと一緒に居ましょうね!」
「は? 落下地点って……い、いやああぁああ!!」
蒸発しかけていた理性が、急激に冷やされる。でも、内臓がせり上がるような浮遊感は全てが手遅れだと思い知らせるだけ。うん、死なないけど。
多分、二人とも死なないけども!
「後で絶対にネズミにして、回し車の刑なんだからああぁー!!」
「あっははは! 魔女さまに構って貰えるなら何でも良いでーす!」
魔女の悲痛な叫びと、下僕の楽しそうな笑い声が、辺りに虚しく響き渡る。結局、国王達は気圧されたのか、呆れ果てたのか。
それ以上、人間達が二人を追いかけてくることは決してなかった。
魔女さまと下僕の聖騎士(ゴリラ)のお話 風嵐むげん @m_kazarashi
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