魔女さまと下僕の聖騎士(ゴリラ)のお話

風嵐むげん

きっかけは、ただの気まぐれだった



 ――とある国の終わりを見物しに来た時、魔女は『それ』を見つけてしまった。


 黒々とした煙が空を濁し、夜闇さえ押し退ける程の業火が街を、城を、国を、そして人々を飲み込んでいく。かつては煌びやかだった街並みは炎に舐め尽くされ、今にも崩れ去ろうとしていた。ここに住んでいたであろう人々の声は、既に無い。

 短い命を削って築き上げた文明を、革命だ何だともっともらしい理由で滅ぼすなんて。


「勿体無い、とは思わないのかしら」


 滑稽だわ。杖を振りかざし、自分が進める程度に火を鎮める。彼女は悠久を生きる黒き魔女。火粉ひのこを撒き散らす熱風が腰まである黒髪を乱暴に揺らすも、美貌に飾る笑みを奪うまでには至らなかった。

 きめ細やかな真珠の肌に、欲に濡れた琥珀色の瞳。闇色のドレスは胸や腰の凹凸にぴたりと沿い、深くスリットが入った裾から覗く白が眩しい。

 せっかくだから、何か面白そうなものは無いだろうか。魔法の触媒になりそうな宝石とか、薬の材料とか。あくまでも散歩のつもりで、焼け落ちる際の国を歩いていた。

 そして、魔女は『それ』を見つけた。


「あらあら、なんて小汚いぼうやだこと」


 少年は虚ろな青い瞳で、国の最後を見つめていた。魔女が歩み寄っても、逃げるどころか驚くことすらしない。

 見る限り、まだ生きている筈だが。


「っ……」

「ふふっ、可哀想に。お前、一人だけ生き残ってしまったのね。皆と一緒に死ねたら、ラクだったのに」


 白魚のような手を伸ばし、冷たい指先で煤だらけの頬をするりと擽る。まるで子犬のように肩を震わせる姿に、胸中で仄暗い嗜虐心が頭をもたげる。

 ああ、しかもこれは。魔女は彼の頬を見て歓喜した。


「この頬に刻まれた紋章は……なんと、驚いた。お前、神の洗礼を受けた聖騎士パラディンか。いや……まだ見習いですらないようだが」


 思わず、魔女は口角を吊り上げる。少年の頬に刻まれた、翼と光を模した神聖なる紋章。星の数程居る騎士の中でも、この証を宿せる者は一握りでしかない筈。

 ああ、この少年はなんて不幸なのだろう。あと二十年もすれば、人々からの賞賛を浴びる聖なる騎士になれただろうに。

 紅蓮の炎と、浅ましい改革エゴが彼から全てを奪ったのだ。家族も、未来も。


「ふうん……よく見れば、可愛い顔をしているじゃない」


 指先で顔の煤を拭い、顎を掴んでこちらを向かせる。大きくて無垢な蒼い双眸に、柔らかく揺れる金髪。こうして見ると、彼はまるで丹精込めて作られたビスクドールのようだ。

 うん、気に入った。


「見た目は良いし、聖騎士の素質がある……このまま焼けてしまうのは惜しいわね。ねえ、ぼうや。私の元に来ない?」

「……え?」

「神聖なる印を宿した小間使いペットだなんて、魔女の集会で自慢出来るじゃない。良い子にしていれば、ご飯と寝床は保証してあげるわよ」


 どうかしら? 首を小さく傾げながら、少年に手を差し出す魔女。身の回りの世話をする小間使いが丁度欲しいと思っていたところだ。

 彼ならきっと、仲間達も指を咥えて羨ましがるだろう。それに、神が選んだこの生命を自分の黒に染めるのは楽しいに違いない。闇色の騎士が足元に跪き、この爪先に口付けを落とす様を想像するだけで愉快だ。高笑いしたくなる程に。

 真っ赤に塗った唇に、蠱惑的な微笑を浮かべながら。遠慮がちに伸ばされた手を引いて、魔女は静かに少年を抱き上げる。

 まるで羽根のように軽い温もりが、何だか妙に心地良い。


「良いわ、素直な子は好きよ。もう大丈夫、これからは私が護ってあげるから。ずっと一緒よ」


 魔女がそう囁けば、小さな手がぎゅっとドレスに縋り付く。思わず目を細め上機嫌に笑いながら、二人は振り返ることなくその場を後にした。


 

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